鎌倉 明月院 2016-06-14
*應永28(1421)年
この年
・フィレンツェ、ジェノヴァから海港リヴォルノを購入、トスカナ北部はフィレンツェの勢力圏となる。
ジョヴァンニ・デ・メディチ(61)、「正義の旗手」就任。
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・皇帝ジギスムント、ボヘミアに出撃。
ヴィトコフ(プラハ郊外)で、壊滅的打撃を受け敗退。
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・仏、フィリップ善良候、ナミール伯領を買収。
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・オスマン・トルコ、ムハメット1世、没(位1405~1421)。ムラード2世、即位(位1421~1451)。
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1月
・チェコ、ターボル、「ピカルディ派」マルチン・フースカ、ターボルの共同体を離れピカルディ派の独立の気配を示す。
ジシュカは1421年1月末マルチン・フースカの身柄拘束。
続いてターボルに住むピカルディ派200~300人を追放。
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2月
・ヘンリ5世、キャサリン(カトリーヌ)を伴いイングランドに帰国。
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2月2日
・[明・永楽19年1月1日]永楽帝、北京に遷都
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2月21日
・ウェストミンスタ寺院、ヘンリー5世妃キャサリン(カトリーヌ)の戴冠式。
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2月22日
・ヴェネツィア、フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティと10年間の同盟
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3月
・教皇マルティヌス5世の命を受けたライン地方の大司教達、ポッパルドで会談。皇帝にフス派対策のための帝国会議を召集を求める。
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3月14日
・ヴェネツィア、マントヴァ君主ジャン・フランチェスコ・ゴンザァーガと条約
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3月22日
・仏、王太子軍、シノン近くのボージェで勝利。
ヘンリ5世次弟クラレンス大公トマス、戦死。
ヘンリ5世、急遽フランス遠征し反撃。シャルトル、ボンヌヴァル、エベルノン、モーなど占領。コンビエーニュとサンリスは戦わず降伏。
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4月
・ボヘミア、ジギスムント皇帝の命を受けたウルリッヒ・フォン・ローゼンベルク、次回の交渉までフス派に「プラハ4箇条」の主張を認めると告げ、後のチャースラフの会議で「プラハ4箇条の厳守」が誓われたときも、その容認ともとれる姿勢を見せる。
4月20日、プラハ大司教がプラハ郊外の城で和解交渉を開始、失敗。ジギスムントは先行きに失望、再び軍事力による威嚇を試みることになる。
ヤン・ジシュカ、狂信的タボル派ペテル・カニシュとアダム派75名を処刑。
タボル内での貧民層の発言力が弱まり、零細市民・小地主(下級貴族)出身戦士が優勢となる。
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4月
・伊豆大島噴火。海水熱湯の如く、魚多く死す。
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4月13日
・ニュルンベルクで帝国議会。
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4月23日
・フス派に対する第2次十字軍計画。ニュルンベルク、聖職者の「対フス派」同盟誕生。兵馬の動員に同意。ヴェーゼルでの会合で、「聖バルトロメオの日」をもってドイツから進撃決定。指導者はラインの4選帝候とブランデンブルク辺境伯。
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5月8日
・仏、ブルターニュ公ジャン5世と王太子、会談。ブルターニュ公はトロア協定に反撥。
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6月
・リトワニア大公ビトルド(リトワニア名:ヴィタウタス)、正式に「チェコ国王」と宣言(王冠は送られていない)。チェコへは「摂政」として、彼の甥ジグムント・コリブート候を送ることにした。
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6月3日
・~7日、「チャースラフ会議」。モラヴィアを含め殆ど全てのフス派の支配地域から代表者が集合。
主題は「王国の平和」。
決議文作成者、プラハ両市街市長、4月にフス派に入ったプラハ大司教コンラート・フォン・ヴェヒタと貴族達、フス派所属の都市の代表者。
決議文は
①「プラハ4箇条」の承認、
②ジギスムントの王位継承の否定、
③「執政官」20名が選ばれて、王国の管理が任せられる。構成は上級貴族5名、プラハ代表者4名、下級貴族11名。ジシュカはこの下級貴族。「執政官」の補佐役としてプラハ大学のヤン・プシーブラム、説教師ヤン・ジェリフスキー(ジェリフのヤン)の意見が聞かれることとなる。
フス派の全国的組織固まり、指導部が完成。
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6月30日
・説教師のクーデタ。
プラハ、ジェリフのヤン(・ジエリフスキー)、聖母教会の鐘を乱打させ、集まった市民を扇動して旧市街へ行進。
再び市庁舎を襲撃、旧市街の参事会員達から印章を剥奪、旧市街・新市街合同を宣言、新参事会員選出までの臨時措置として「執政官」4人を選出するための集会を開く。
新市街の急進派が旧市街の穏健派を圧倒、統制下におく。
ジェリフのヤンはプラハ市における権限を一手に掌握。
ジェリフスキーの狙いは、7月4日から開催される教会会議の主導権掌握、穏健派への先手を打つ。
教会会議にはフス派の全党派が代表を派遣し、聖職者の道徳的乱れの一層厳しい取り締まり、聖職者の家屋・畑を管理禁止、教会・世俗の財産の有料貸し出し禁止などを決議。
また、プラハに放置されている教会財産に対する何らかの要求も禁止される。これは世俗貴族による教会財産略奪を禁じる処置。没収した教会財産の配分を巡る新旧両市街の対立は持ち越され、保守派の貴族は、過激な演説で知られる説教師がプラハの独裁者として振舞う事を激しく非難。
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8月21日
・チェコ、プラハ、「ピカルディ派」マルチン・フースカ、拷問による改悛(フス派に)を拒否、迫りくる第2次異端撲滅十字軍を前に焚刑に処される。
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10月
・ヤン・ジシュカ軍、狂信的タボル派のアダム派を根絶。
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10月2日
・フス派のボヘミア軍、独諸領の連合軍侵入を防ぐ。
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10月13日
・京で地震。
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10月28日
・ミラノ公国、ジェノヴァを併合
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11月1日
・プラハ郊外ヴィシェフラッドの丘の戦い。皇帝軍(異端撲滅第2次十字軍)の惨敗。
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11月12日
・円覚寺が焼ける
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12月1日
・英、王太子ヘンリ(後、ヘンリ6世)、ウィンザー城で誕生。トロワ協定によりイギリス・フランス両国王が約束されている。
父:ヘンリ5世。母:王妃キャサリン(カトリーヌ)、キャサリン(カトリーヌ)の父はフランス王シャルル6世(狂気の王)、ヘンリ6世に祖父の狂気が遺伝。
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12月3日
・京で地震。
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12月13日
・去夜、星地に落ちる。陰陽道国主御慎あり、勘進するという。また夜光物あり、北より南へ飛ぶ。
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