2022年11月25日金曜日

〈藤原定家の時代190〉寿永3/元暦元(1184)年12月1日~29日 藤戸合戦(範頼軍、四国攻略の準備として児島攻略) 

 


〈藤原定家の時代189〉寿永3/元暦元(1184)年11月2日~24日 「参河の守範頼(去年九月二日出京し西海に赴く)去年十一月十四日の飛脚、今日参着す。兵粮闕乏するの間、軍士等一揆せず。各々本国を恋い、過半は逃れ帰らんと欲すと。」(「吾妻鏡」) より続く

寿永3/元暦元(1184)年

12月1日

・頼朝、平家没官領の若狭遠敷郡玉置郷を園城寺に寄進(「吾妻鏡」同日条)。

12月2日

「武衛御馬一疋(葦毛)を佐々木の三郎盛綱に遣わさると。盛綱平家を追討せんが為、当時西海に在り。而るに折節乗馬無きの由言上せしむに依って、態と雑色を立て、これを送り遣わさる。」(「吾妻鏡」同日条)。

12月3日

・北条時政、頼朝の園城寺帰依を義経に伝える(「吾妻鏡」同日条)。

12月5日

・藤姓足利(佐野)成俊、没。

12月6日

・この年の冬は5、6年ぶりに雪がよく降った。この日、前夜より雪が降り、兼実が未明に戸を開けて外を見たところ、5、6寸積っていたという。そこで兼実は、雪は豊年の瑞である。明年は天下が治まるの祥瑞であろう、と記している。雪は21日、24日にも降り、4、5寸積った。今年は連日のように雪が降り、寒さは例年に超えているが、巷ではこれをもって吉瑞となしている、と「玉葉」は記す。 

12月7日

・藤戸合戦。『吾妻鏡』によれば、備前児島に城郭を築いた平行盛の攻撃に向った佐々木三郎盛綱と郎等7人が、沖合からしきりに招く行盛が、船には乗らず、馬にまたがって藤戸の海路、三丁ばかりを渡って行ったのを追うて討ったという。

但し、『平家物語』巻10「藤戸の事」では平行盛は登場しない。ここでは盛綱が夜分、浦の男と語らい、味方にもないしょで浅瀬の様子を知ったうえで、翌日小舟に乗って招く平家方目指し、郎等と7騎で海にうち入って追跡したので、源氏の武士もこれに続いたという話になっている。

佐々木盛網の活躍で平家は再び屋島へ去り、盛網は、行盛を追伐したことで頼朝より感状を与えられる。

能の「藤戸」は、盛綱が浅瀬の情報を聞いた浦人を情報漏れを防ぐため殺害し、その男の怨霊に責められ苦しむという粗筋だが、『平家物語』でも語り本系に見られ読み本系には見られない。

また、日付の問題も残る。『吾妻鏡』は12月7日とするが、『平家物語』諸本の「藤戸」は盛綱の渡海を9月23-25日としている。しかし、9月時点での児島での合戦を伝える信頼できる史料はない。

したがって、範頼軍は児島を置き去りにして、先へ進み、12月になって四国攻略の準備として児島攻略に出た解釈できる。

「平氏左馬の頭行盛朝臣五百余騎の軍兵を引卒し、城郭を備前兒島に構うの間、佐々木の三郎盛綱武衛の御使として、これを責め落とさんが為行き向かうと雖も、更に波濤を凌ぎ難きの間、浜の干潟に轡を案ずるの処、行盛朝臣頻りにこれを招く。仍って盛綱武意を励まし、乗船を尋ねるに能わず。乗馬しながら藤戸の海路(三町余)を渡す。相具する所の郎従六騎なり。所謂志賀の九郎・熊谷の四郎・高山の三郎・與野の太郎・橘三・橘五等なり。遂に向岸に着かしめ、行盛を追い落すと。」(「吾妻鏡」同日条)。

12月16日

「吉備津宮の宮仕、今日鎌倉に参着す。供僧行實解状を捧げる所なり。その趣、本宮長日の法華経の免田、並びに二季彼岸の仏聖田等、西海合戦の事に依って没倒す。関東の御沙汰として、元の如く奉寄せらるべきの由なり。武衛子細を相尋ね、成敗すべきの由、御消息を件の解状に相副え、實平の許に遣わさると。實平当時備前の国に在りと。」(「吾妻鏡」同日条)。

12月16日

・後白河法皇、平頼盛の八条邸桟敷から摂政近衛基通の春日大社参詣行列を見物。

12月20日

・義経より西国所領沙汰付の請文、頼朝に到着(「吾妻鏡」同日条)。

12月20日

・平頼盛、権大納言辞任。平光盛を左近衛少将に任じられるよう請う。屋島に仮住む平家一門を思いやり、内心の後ろめたさ、両親の呵責を感じる。

12月21日

・実厳阿闍梨が兼実にひそかに語る。人相見で有名な少納言入道宗綱が昨夜関東から帰っての話に、頼朝は、「右府殿(兼実)のことを京下りの輩(京都から鎌倉に下った者)に尋ねると、彼らは一様にそのよさを称し、悪いことを聞いたことがない。それで兼実が社稷(しやしよく)の臣であることが分った」とたいへん感心していたという。どうやら音信を通じない(兼実から頼朝へ)のが、頼朝の信用を得る根本理由になっていたらしい。(「玉葉」同日条)

12月25日

「鹿島社神主中臣の親廣・親盛等、召しに依って参上す。今日営中に参り、金銀の禄物を賜う。剩え当社御寄進の地、永く地頭の非法を停止し、一向に神主管領せしむべきの旨仰せ含めらる。」(「吾妻鏡」同日条)。

12月29日

・義経、伝法院領の兵糧米・万雑公事の停止を重ねて命じる。


つづく




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