2024年4月13日土曜日

大杉栄とその時代年表(99) 1894(明治27)年2月26日~30日 一葉、田中みの子の家で中島歌子・田辺花圃を批判 一葉「花ごもり」其1~其4(『文学界』第14号) 


 大杉栄とその時代年表(98) 1894(明治27)年2月14日~25日 朝鮮で古阜民乱 商売は行き詰まった一葉の捨て身の行動(久佐賀義孝から援助を引き出す工作) 「「女学雑誌」に「田辺龍子、鳥尾ひろ子の、ならべて家門を開かるゝ」よし有けるとか。万感むねにせまりて、今宵はねぶること難し。」 より続く

1894(明治27)年

2月26日

一葉日記より。

星野天知来訪。「文学界」第14号(「花ごろも」其一~其四掲載)の原稿料持参。社(女学雑誌社)が今月から三ノ輪に移転したとのこと。車を待たせていたのですぐに帰る。

2月27日

一葉、歌塾「梅の舎」を開いている田中みの子を訪問。中島歌子に対し批判を抱き対立を深めているみの子と、折から訪ねてきた伊東延子(夏子の母)と共に、花圃と広子の家門についての憤懣をぶつけ、歌子を批判。

みの子の歌子批判。


「談は中島の師が上なり。品行日々にみだれて吝(ケチ)いよいよ甚敷(はなはだしく)、歌道に尽すこゝろは塵ほども見えざるに、弟子のふえなんことをこれ求めて、我れ身しりぞきてより新来の弟子二十人にあまりぬ。よめる歌はと問へば、こぞの稽古納めに歌合(うたあわせ)したる十中の八九は手にはとゝのはず、語格みだれて歌といふべき風情はなし。」


みの子の批判は、歌塾を開く田辺花圃、鳥尾広子にも向けられる。


「「かゝるが中にこの有様を知りつくしたる龍子(たつこ、三宅花圃)ぬしが、これに身を投じて家門を開かんとすと聞こそ、おぼろげのかんがへにはあらざるべし。秋の紅葉のさかりは今一時(イツトキ)なる師が袖にすがりて、我世の春をむかへんとするの結構、此間(このあひだ)にかならずあるべし。鳥尾ぬしがことはもとより論ずるにたらず。師が甘(うま)きロに酔ひて、我が才学のほどをもおもはず、うきよに笑ひ草の種やまくらん。すべて、てんでんがたきの世」とかたる。」

花圃が家門を開くのは、歌子の衰えを承知のうえで、今のうちに歌子にすがって「我世の春をむかへんとする」のであり、広子は「師が甘き口に酔ひて、我が才学のほどをもおもはず、うきよに笑ひ草の種やまくらん」とも言う。


一葉はみの子を励ます。


「いでさらば、何事をも言ほじ、おもはじ。我はもとよりうきよに捨て物の一身を、何のしわざにか欺くべき。田中ぬしはしからず。なまなかあらはし初(そめ)たる名を末弟(ばつてい)におされて、朝(あした)の霜の、此まゝに消なんはいかにロをしからずや。師に情なく、友に信なくとも、何か又そは厭(いと)ふにたらず。念とする所は君が手腕(てなみ)のみ。うきよは三日みぬ間の桜なれば、君もむかしの君ならで、歌学大(おほい)にあがり給ひしか知らねど、我が知りたるまゝならば、此世はとまれ、天下後代に残してそしりなきほどの詠(えい)あるべしとも覚えず。いかで万障をなげうちて、歌道に心を尽し給はずや。我れもこれより君が為に、およぶ限りの相手にはなるべし。かずよみをもなし、各判をもなし、論議弁難もろ共にみがゝでやは。我は今まで、小商人(こあきんど)の歌よむことをもなさゞりしかど、君は常におこたりなくつとめ居たまひしに相違あるまじ。まが玉をみがくに他山の石を以てすとか。一人にてはいかでか」とすゝむ。」


一葉は、「我はもとよりうきよに捨て物の一身」と言い、みの子に「歌道に心を尽」すよう励まし、これからは歌のお相手をすると約束する。


「此人もとより汚濁の外に立ちて、すみ渡りたるこゝろならぬはしれど、おもて清くしてうらにけがれをかくす龍子などのにくゝいやしきに、よしけがれはけがれとして、多数(あまた)のすてたる此人に、せめては歌道にすすむ方(かた)だけをはげまさんとて也。」

(この人(田中みの子)が元来汚濁の外にいてすっかり澄み切った心でないことは知っているが、表面は清浄で裏面に汚れを隠している龍子(田辺=三宅)などが憎らしく卑劣なのに対して、たとえ汚れは汚れとしても、多くの人が見放したこの人に、せめて歌道の方面に進むことだけは励ましてやりたいのである。)


文壇と接触するのにあれほど世話になった田辺(三宅)龍子に対し、かく悪しざまの評言をするのは如何であろうか。また田中みの子に対する煽動にも、策謀の匂いがする。


しかしその後、3月、一葉がみの子を訪ねると、みの子は、花圃の家門の発表、披露について「鍋島家の恩顧をあほがん為」、歌子と共に鍋島侯爵邸へ「参賀」の仕度中であった。「醜聞紛々、田中君の内情みゆる」と一葉は書く。

しかし、一葉も3月未、歌子から「我が此萩の舎は則ち君の物なれば」と云われ、萩の舎で働くよう迫られ、「此いさゝかなる身をあげて歌道の為に尽し度心願なれば」と言い、歌子の申し出を承諾し、萩の舎の助教となる。

2月28日

一葉「花ごもり」其1~其4、『文学界』第14号に掲載

4月30日発行第16号に「花ごもり」其5~其7を発表。

久佐賀から手紙。一葉の精神に感激し、今後親しくしてもらえたら本望であるとのこと。臥龍梅への梅見の誘い。中味も字もよくないが、世に出るほどの人物ではある。下心を察し、梅見は断るが、また教えを乞いに参上すると返事。


「花ごもり」(青空文庫)

主人公瀬川与之助が、幼馴染で従妹のお新との結婚を意識しながらも、母お近の説得により、某省次官田原の令嬢との縁談を承知し、お新は恋の面影を胸に与之助のもとを去るというもの。

題名の『花ごもり』は、一葉の造語で由来は明らかではない。

お新が与之助と別れて田舎へ住むことを決意する「花の中にこもっていく美しさと平和」や「恋をあきらめ田舎にひきこもろうとするお新の生き方」が題名になっていると思われる。

2月下旬または3月上旬(日不詳) 

漱石、商等師範学校長嘉納治五郎から命じられた尋常中学校英語教授法方案取調べようやく完了し、提出する。


つづく

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