2013年8月3日土曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(79) 「第9章 「歴史は終わった」のか? -ポーランドの危機、中国の虐殺-」(その3) ショック療法「サックス・プラン」を巡って

北の丸公園 2013-08-02
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ジョージ・ソロスが後押し(費用を負担)してジェフリー・サックスが経済改革に着手
 ポーランドでのジェフリー・サックスの活動は「連帯」の勝利前の共産主義政権時代に始まった。
要請を受けて最初に訪問した際、サックスは一日で政府と「連帯」の両方の代表者と会談。
彼が現場でより大きな発言権を持てるよう後押ししたのは、億万長者の投資家であり為替投機家でもあるジョージ.ソロスだった。
ソロスと一緒にワルシャワを訪れた際、サックスは「連帯」とポーランド政府の両方に、深刻化しつつある経済危機への取り組みにもっと関与する用意があると話したという。
ソロスは、サックスと彼の同僚で当時IMFで働いていた筋金入りの自由市場経済学者デイヴィッド・リブトンがポーランドの経済改革計画に着手するにあたって、費用負担に同意した。
「連帯」の圧勝後、サックスは「連帯」と緊密な関係を結ぶ。

新政権にとって最後の望みとなる援助や債務救済
 IMFの職員でもアメリカ政府の役人でもないサックスが多くの「連帯」幹部には救世主のように映った。
アメリカ政府との間のハイレベルなパイプと、伝説的な評判を持つサックスは、新政権にとって残されたただひとつのチャンスである援助と債務救済へのカギを握っていると思われ。
サックスは「連帯」に対し、前政権から引き継いだ債務返済を拒否するよう指示し、30億ドルの援助金を取りつけることを確約した。
IMFからの融資や債務再交渉に関するボリビアでの実績を見れば、サックスを疑う理由は見あたらなかった。

援助の代償はショック療法(サックス・プラン)
 しかしサックスの力を借りることには代償が伴った。
彼の持つコネや交渉力を利用するには、新政府は「サックス・プラン」-即ち、ショック療法-を採用しなければならなかった。

「連帯」の経済プログラムと正反対の急進的なサックス・プラン
 それはボリビアで実施された政策よりさらに急進的なものだった。
一夜のうちに価格統制を撤廃し、政府の補助金を削減することに加え、国営の鉱山や造船所、工場をすべて民間部門に売却する方針が打ち出された。
これは、国営企業を労働者所有に転換することを柱にした「連帯」の経済プログラムとは真っ向から対立する。
「連帯」の全国指導者は、賛否両論のあるこの方針をいったん棚上げにはしていたものの、多くの組合員にとって労働者所有の理念は、いわば信仰箇条のようになっていた。
サックスとリブトンは、15ページにわたるポーランドのショック療法プログラムを一晩で書き上げた。
サックスは、「社会主義経済を市場経済へと転換するための包括的計画が策定されたのは、私が知る限りこれが初めてのことだった」という。

 ポーランドが今すぐにでも「この制度的な隔たりを飛び越える」必要があるのは、他のさまざまな問題に加えて、同国がハイパーインフレに突入寸前の状態にあるからだとサックスは確信していた。
もしハイパーインフレになれば、「大規模な崩壊、(中略)純然たる、正真正銘の惨事」が起こるという。

サックス・プランを拒否する「連帯」幹部
 サックスはこの計画を説明するため、主要な「連帯」幹部と一対一の会談を数回にわたって行ない、選挙で選ばれた政府当局者を集めてのレクチャーも行なった。
だが、「連帯」指導者の多くはサックスの考えに賛同しなかった。
そもそも「連帯」が結成されたのは、共産主義政権による大幅な価格の引き上げへの反対からだったが、サックスの計画は、それと同じことをはるかに大きな規模で実施することを提唱していた。
しかし、サックスは、「「連帯には、まさに驚異的なまでの民衆の信頼が蓄積されており、その重要性は計り知れない」からこそ、この計画はうまくいくと主張した。

民衆と乖離した「連帯」指導者
 「連帯」の指導者たちは、そうした信頼を盾にして一般の組合員に極度の痛みをもたらすような政策を実施するつもりなどなかった。
だが長期間地下に潜り、あるいは獄中や村外で過ごしたために、民衆との間に距離ができていたこともたしかだった。
ポーランドの編集者プリジミスラフ・ビールゴッシュによれば、「連帯」のトップは「事実上切り離され、(中略)彼らが得ていた支持は工場や工業プラントではなく、教会からのものだった」という。
指導者たちはまた、即効的な効果のある政策を、たとえ痛みを伴うものでも躍起になって探しており、サックスの計画はまさにその要求に応えるものだった。
「うまくいくんですか? 私はそれが知りたい。本当にうまく行くんですか?」と、「連帯」幹部のなかでももっとも有名な知識人アダム・ミチニクが問いただすと、サックスは少しもたじろがずに答えた。「これは良い政策です。必ずうまくいきます」


ミチニクはのちに、「共産主義の最悪な部分は、それが終わったあとにやってくる」と苦々しい調子で述べている。

ボリビア・モデルを嫌うワレサ
 サックスは、何度もボリビアの例を挙げて、それこそがポーランドが見習うべき手本だと説いた。
しかし、「連帯」指導考は、「ここにボリビアを持ち込まれるのはごめんだ」と考えていた。
なかでもレフ・ワレサはボリビアに対して強い嫌悪感を抱くようになり、何年ものちに大統領として出席した首脳会談で、当時のボリビア大統領ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサーダ(”ゴニ”)と会ったとき、そのことを吐露している。
ゴニの回想では、「彼は私のほうにやってきてこう言った」。
「「私はずっと以前からボリビア人、とくにボリビアの大統領に会ってみたいと思っていましてね。というのもわれわれはいつも、この苦い薬を飲め、ボリビア人も同じ薬を飲んだんだから、と言われてきたんです。でも実際に会ってみたら、あなたはそんなに悪い人じゃない - でも昔は大嫌いだった」とね」

 しかしサックスは、ボリビアについて話す際、ショック療法プログラムを実施するために政府が非常事態を宣言したことや、二回にわたって労働組合の指導者を連行し、拘束した事実(その少し前、ポーランドでも威厳令が出され、統一労働者党の秘密警察に「連帯」の指導者が逮捕・拘留された)については触れなかった。

ドイツやフランスのような「ヨーロッパの普通の国」になれる
 サックスの説明のなかでももっとも説得力があったのは、もし彼の厳しい助言に従えば、ポーランドは特殊な国ではなく「普通」になれる、すなわち「ヨーロッパの普通の国」になれると請け合ったことだった。
もしサックスの言うとおり、ポーランドが旧態依然たる構造を切り捨てることで急速にフランスやドイツのような国になれるのだとしたら、痛みを耐え忍ぶだけの価値はあるのではないか? 
漸進的な路線を選んで失敗したり、新たな第三の道を模索するより、今日の前にある、瞬時にヨーロッパの一員になれるという方法を選ぶのが賢明というものではないか? 
ショック療法によって価格が上昇し、「一時的な混乱」は生じるだろうとしつつも、「いずれ価格は安定し、人々は落ち着きを取り戻すだろう」とサックスは予測した。

”名誉シカゴ・ボーイ”レシェク・パルチェロヴィッチ
 サックスは、新任の財務大臣レシェク・パルチェロヴィッチと同盟を組んだ。
パルチェロヴィッチはワルシャワ中央計画統計大学の経済学者で、任命当初その政治的立場はほとんど知られていなかったが、やがて自身を”名誉シカゴ・ボーイ”とみなしていることが明らかになる。
彼はフリードマンの『資本主義と自由』をポーランド語の海賊版で熟読していた。
のちにパルチェロヴィッチは、この本が「自分や多くの人たちに刺激を与え、共産主義支配による暗黒の時代に自由な未来を夢見ることを可能にしてくれた」とふり返っている。

ワレサが国民に約束したもの
 フリードマンの主張する資本主義の原理主義版は、その夏ワレサが国民に約束してきたものとはかけ離れていた。
ワレサは国民に、より寛大な第三の道がポーランドには可能だと訴えた。
アメリカのテレビ・ジャーナリスト、バーバラ・ウォルターズとのインタビューで、彼はこう説明している。
「折衷的なものです。(中略)資本主義ではありません。資本主義の持つ悪をすべて排した、資本主義よりももっといいシステムになるはずです」

ショック療法反対派
 一方、サックスとパルチェロヴィッチの二人が突然売り込んできた処方箋は作り話にすぎないと主張する者も少なくなかった。
ショック療法はポーランドを健全で正常な状態に戻すどころか、いっそうの貧困と国内産業の衰退を招き、混乱を大きくするだけだと彼らは主張した。
「ポーランドは貧しく、脆弱な国です。ショックに耐えられるわけはありません」と、医療改革を提唱するある有名な医師は、『ニューヨーカー』誌の記者ローレンス・ウェシュラーに語っている。

深まる経済危機
 選挙での歴史的勝利から3ヶ月、非合法活動家から突然立法府の議員となった「連帯」中枢部は、議論に議論を重ねた。
それでも結論は出ない。
ポーランドの経済危機は日々、深まっていった。
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