2023年12月9日土曜日

〈100年前の世界149〉大正12(1923)年 大杉栄・伊藤野枝・橘宗一虐殺(Ⅵ) 佐野眞一「甘粕正彦 乱心の曠野」(新潮社)より 9月19日~24日 検察官取り調べ~虐殺事件の概要公表  

 


〈100年前の世界148〉大正12(1923)年9月16日 大杉栄・伊藤野枝・橘宗一虐殺(Ⅴ) 佐野眞一「甘粕正彦 乱心の曠野」(新潮社)より 陸軍法務官山田喬三郎による検察官調書 甘粕の供述(2終) より続く


大正12(1923)年

9月19日

検察官取り調べ (Ⅳ)(Ⅴ)

9月19日

夜11時過ぎ、内田魯庵宅へ友人の読売新聞記者安成二郎がやって来て、「大杉が行方不明になりました。どこの警察に問い合わせても検挙されていません。明日、戒厳司令官はじめ陸軍の重職が更迭され、一大尉一特務曹長が軍法会議に廻される異例の人事異動が発表されますが、その理由はまだ説明されていません。どうやら不法殺人らしいのですが、それがどうも大杉らしいのです」と、言う。


9月20日

福田雅太郎関東戒厳司令官が更迭され、後任に山梨半造が任命される。また、司令官小泉五一少将・東京憲兵隊長小山介蔵憲兵大佐が停職処分となり、東京憲兵隊渋谷分隊長兼麹町分隊長甘粕正彦憲兵大尉が、違法行為の為軍法会議に付される。

事実はひた隠しにされるが、大杉を尾行していた淀橋署の刑事からの報告で、警察側は大杉らの身柄について憲兵隊に問い合わせるが、憲兵隊は不知の返事。その後、両者間で曲折があり、大杉不明の報告は首相にまで達す。首相から調査を命じられた陸軍大臣の下命により、憲兵隊も犯行を隠すことはできなくなる。

この日夕方、「時事新報」「読売新聞」「大阪朝日新聞」が大杉殺害事件をスクープして号外を印刷するが、直ちに発売禁止、差押えとなる。

「大阪朝日新聞」は2回の号外を打つ。

1回目は麹町憲兵分隊長甘粕正彦大尉が不法行為のため軍法会議に付せられ審理中という内容。

2回目は大杉栄殺害をはっきり報じる(殺害方法、殺害場所、単独犯行など間違いもある)。

「甘粕憲兵分隊長留置中の大杉栄を刺殺す。軍法会議に廻された内容。突然関東戒厳司令官以下憲兵司令官、憲兵隊長の大更迭を見るに至った憲兵分隊長甘粕大尉の不法行為内容について本社の探査するところによれば右は十六日無政府主義者大杉栄を逮捕したるに拘はらず赤坂憲兵隊留置所に於て同大尉が独断にて刺殺したるためであると(東京電話)」

9月21日

この日付け「報知新聞」。

「廿日午後一時突然左の如く戒厳司令官が更迭された

補関東戒厳司令官    陸軍大将 山梨半造

免本職 関東戒厳司令官陸軍大将 福田雅太郎

憲兵司令官更迭 別項戒厳司令官更迭とゝもに左の通り憲兵司令官の更迭も発表された。

停職被仰付    憲兵司令官陸軍少将      小泉六一

補憲兵司令官   歩兵第一旅団長陸軍少将  柴山重一

停職被仰付    東京憲兵隊長陸軍憲兵大佐 小山介蔵

補東京憲兵隊長 憲兵司令部附陸軍憲兵大佐 三宅篤夫」

■時事新報社会部記者吉井顥存「大杉殺し事件の曝露されるまで」(「婦人公論」大正12年11・12月合併号)。

9月20日、福田戒厳司令官以下3人の更迭が発表され、甘粕憲兵大尉が軍法会議に廻されたらしいとの情報が入り、時事新報は社会部記者を憲兵隊本部に差し向ける。

記者が、新任の三宅憲兵隊長に面会を求めると、副官が出てきて知らぬ存ぜぬの一点張り。埒が明かないので、震災で行方不明の友人が心配で駆けつけたという名目で、憲兵隊の周りをうろうろしていると、顔見知りの憲兵が通りかかり、

「いよう、よく来ましたね。大杉事件ですか」

と、相手の方から口を割り、

「殺されてしまったよ。三人とも井戸の中に放り込まれてしまった」

「あとの二人は誰なんです」

「伊藤野枝と子どもですよ。井戸を見ますか。案内しますよ」

と言う。

それだけ聞けば十分なので、記者はすぐに編集局に帰り、号外用の原稿を書く。しかし、そこに、当局から、事件については一切報道禁止との命令が届く。

時事は、大杉殺害のみを書くなら構うまいと判断し、出来たばかりの号外を目黒や渋谷など目ぼしいところに張り付けた。ところが、その号外も9月7日公布・即日施行の緊急勅令「治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」に抵触するとの理由で、発行禁止となる。

時事は、当局からの発禁命令が出る直前、大杉殺害だけでなく、犯人の甘粕大尉が軍法会議に廻されたとの情報を京阪神・九州方面に電話で送っていた。これが、「大阪朝日」号外に繋がる


9月24日

第1師団軍法会議の予審が終了し、事件の概要が発表される。軍法会議検察官談話として、「甘粕憲兵大尉は本月十六日夜大杉栄ほか二名の者を某所に同行し、これを死に致したり」と発表。

■9月25日付け「時事新報」

(見出し)

「大杉栄氏外二名 甘粕大尉に殺さる 十六日夜某所に於て 怪事件昨日発表さる」

(記事)

「福田関東戒厳司令官を交(ママ)迭せしめ、小泉憲兵隊司令官及び小山東京憲兵隊長の停職を命ぜられたる、甘粕憲兵大尉に関する奇怪な事件は、昨日第一師団軍法会議転於て、予審決定と同時に、左の如く発表された。

陸軍憲兵大尉甘粕正彦に左の犯罪あることを聞知し捜査、予審を終り、本日公訴を提起したり。甘粕憲兵大尉は本月十六日夜、大杉栄外二名の者を某所(*麹町憲兵分隊)に同行し之を死に致したり。

右犯行の動機は、甘粕大尉が平素より社会主義者の行動を国家に有害なりと思惟しありたる折柄、今回の大震災に際し無政府主義者の巨頭たる大杉栄等が、震災後秩序未だ整はざるに乗じ如何なる不逞行為に出づるやも計り難きを憂ひ、自ら国家の蠹毒(トドク)を艾除(ガイジョ)せんとしたるに在るものゝ如し・・・」(「時事新報」大正12年9月25日)"

■9月25日付け「報知新聞」

(見出し)

「甘粕大尉の収監は大杉栄等惨殺のため 兇行は十六日の夜 昨日公判に移さる」

(記事)

「二十一日小泉憲兵司令官及小山東京憲兵隊長が突如更迭された事は少なからず世人を驚かし流言紛々として起ってゐたが、右は無政府主義者の頭目大杉栄及○○○○○○○○○○○○○○の三名を絞殺した事件の為であった。事件の内容は廿四日陸軍省から左の通り発表された」、

続いて、「甘粕憲兵大尉は本月十六日夜大杉栄外二名の者を某所に同行し、これを死に致したり。右犯行の動機は甘粕大尉が平素より社会主義者の行動を国家に有害なりと思惟しありたる」ためとする軍法会議の検察官談話を紹介。

殺された大杉を「幼年学校から革命児へ」と詳しく紹介し、伊藤野枝については、「肉的にも魅力を持った野枝女史」と好色な関心を向け、また、遺児の写真を掲載。

甘粕の上司の岩佐禄郎憲兵司令部副官の談話(岩佐は大正14年2月、甘粕の妹伊勢子を養女にし、そこから彼女を部下の憲兵中尉に嫁に出す)。部下の甘粕に好意的な理解を示す談話。

甘粕大尉は模範的な青年将校で、一点の非難すべきところのない人格者である。新しい思想に対しても相当の理解があったが、まだ未完成のところがあったのだろう。しかし、アナーキストに対してはどこまでも妥協するつもりはなく、いつかは大鉄槌を加える決心をしていたというから、むしろ満足しているかもしれない。それにしても陸軍は本当に惜しい青年を失った」

同日付け「東京朝日新聞」

甘粕に対する好意的な論評を掲載。

「甘粕大尉は極めて謹厳な精神家で、酒も飲まず道楽も持たず最近迄令弟と令妹の教育の為め総てを捧げ、令弟は東大法学部を出たが、令妹はまだ未婚である。甘粕大尉は「妹を嫁つける迄は」と今日迄独身生活を続けて来た。

平常は殆ど無口で読書を好み、「憲兵は人事を司どる職務だから」と云って広く新しい方面の書も読んでゐた。又部下に対しては全く慈父の子供に対する如き暖かみを以て接して居た。

令弟と令妹の教育の為めに殆ど余祐の無い生活の中から、随分部下の為め思ひ切った援助を為した事もあった位で、部下も同大尉を心から敬愛し、今度大尉が大杉栄を殺害した廉に依り軍法会議に廻された事に就き非常に同情を表し、身代りにさへ切望して居る部下が尠くないと伝へられて居る」


つづく

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