2024年1月18日木曜日

大杉栄とその時代年表(13) 1887(明治20)年1月~2月 一葉(15)日記「身のふる衣 まきのいち」(稽古歌会を記録) 葛西善蔵生まれる 一葉(15)、新年発会で第一等の点を取る  徳富蘇峰「国民之友」第1号  

 


大杉栄とその時代年表(12) 1886(明治19)年10月~12月 関西法律学校開校 ノルマントン号事件 藤田嗣治・大川周明生まれる 米山保三郎が正岡子規を訪問 子規は2歳年下の米山の博識に「四驚」を喫する 『我楽多文庫』活版第1号 基督教婦人矯風会発会 南方熊楠(19)渡米 より続く

1887(明治20)年

1月

幸徳伝次郎、健康回復し、再び高知に赴き遊焉義塾の戻り、高知中学校に復学。

1月2日

尻無川事件。土佐の修立社社員佐野義一・下村治幾・間直三・大井善友、嶽洋社員吉松寿太郎らと大臣暗殺を企て上阪、金銭のもつれから尻無川で高知県人沢田久万吉を縊殺、捕縛。吉松・佐野は21年7月死刑、下村・間は無期徒刑、大井らは重禁錮3年。

1月7日

南方熊楠、サンフランシスコに入港、翌日上陸。間もなく同地のパシフィック・ビジネス・カレッジ(商業学校)入学。8月シカゴ~ランシングに移る。

1月15日

この日~8月、樋口一葉(15)、萩の舎の稽古歌会を記録した日記「身のふる衣(コロモ) まきのいち」をつける。貧しい故に「ふる衣」をまとわねばならなかった悲しくも誇り高い心情が生き生きと描かれ、それは歌会の競詠で、最高点を得たという出来事を頂点とした、歌日記であり、短篇小説でもあった。

稽古初めの日(1月15日)の日記。

「みどり子のむ月し立て十日あまり五日といへるほどになん、稽古はじめとて師の本(許)にまかでけり」

1月16日

葛西善蔵、青森県中津軽郡弘前町(現、弘前市)に誕生。明治35年上京、同7月母没により帰郷。同冬、北海道に渡り2年間放浪。明治38年9月再度上京。

1月17日

皇后、女子服制に関する「恩召書」、各大臣・勅任官・華族などに「達」。上流婦人の間に洋装が広まる。

1月22日

日本基督教会系3校が合併した学校・明治学院、認可

1月27日

陸軍大臣官邸にて大山巌主催夜会

1月28日

パリ、エッフェル塔の鍬入れ式。1889年開催のフランス革命100周年記念パリ万国博覧会のため。高架橋技師ギュスターヴ・エッフェル。

1月28日

ピアニスト、アルトゥーロ・ルービンシュテイン、誕生。


2月

石川島造船所職工、「鉄工懇親会」開く。

2月

大阪、第2回全国有志大懇親会、開催。

2月

田中正造、安蘇郡の機業・石灰・製氷業者に演説。

目の前の利害にとらわれて地域内で競争し地域社会の発展のために協力しないことを批判し会社を結成して協力することを提案。また、企業家が政府保護を頼るのを批判、独立の気象を奮い起こすことを説き、企業家と民権家の協同を説く。

2月

ゴッホ、「ル・タンブラン」で浮世絵版画の展覧会開催、ベルナールやアンクタンに影響を与える。自身の様式は、浮世絵版画模写、モネやピサロ、ドガやトゥールーズ=ロートレックの作風、シニャックを通じて新印象派の点描技法まで、を摂取しながら急速に変化。夏、アニエールで描かれた風景画は、印象派を越えた大胆な色彩と筆触、次のアルル時代を予告。

初め頃

2月か3月初め頃、与謝野寛、得度。法号礼譲。

2月3日

仏、労働取引所(職業斡旋機関)、創設。パリの例をモデルとして各都市に設置。20世紀初頭迄100余を数える。しばしば市当局が施設と運営費を提供、労働組合が運営にあたる。このため取引所は地域における組合運動の拠点を兼ね、その名は組合の地域的連合体を意味する。組合運動の未成熟だった世紀末、この機関は労働者の組織化に貢献。パリ、リヨンなどの取引所は現存。

2月15日

徳富蘇峰「国民之友」第1号刊行(明治31年8月号で廃刊)。7500部を発売。この年1月2日、民友社を設立。当時の蘇峰は「急進的な欧化主義の鼓吹者」(岡野他家夫『日本出版文化史』)であった。社名は誌名により、誌名は愛読の米誌「The Nation」にちなむ。「平民主義」を鼓吹し、政治・経済から社会問題・文学等を幅広く取りあげ「国民之友」「家庭雑誌」(92年9月創刊)のほか多くの叢書を刊行。90年2月には民友社を母体に「国民新聞」を創刊。97年頃までが全盛期。2誌とも98年8月に廃刊。

2月15日

ビゴー(26)、横浜居留地の海岸5番館クラブホテルで雑誌「TOBAYE」(「トバエ」第2次)発行。

2月18日

高知県会、植木枝盛議員提案の高等女学校設立建議案を可決、9月20日高知県尋常中学校女子部開校

2月21日

樋口一葉(15)、麹町3番町(九段坂上)の「萬源楼」での歌塾「萩の舎」の新年発会に初めて出席。60余人の中で一葉(15)が点取で詠んだ「月前柳」(つきのまえのやなぎ)が最優秀作に選ばれ、第一等の点を取り大いに面目をほどこす。会にみすぼらしい身なりで出て恥ずかしい思いをした事が日記「身のふる衣 まきのいち」に書きつづられる。

この年最初の歌会をまえに、稽古に来る門人達は当日着て行く晴れ着の話で持ち切りであった。例会や納会とは違うこの習慣を知らなかった一葉は、貴顕(貴族など身分の高い人)の子女達と晴れ着を持ち合わせない自分との格差をこの時に痛感するのである。

母は、恥をかくだけだから行くのはやめた方がいいと言い、父はおまえのいいようにしなさいと言うが、その悔しげな表情を夏子は書く。

「と様かう様かんがふれば、家は貧に身はつたなし、しかりといへ共頼めし人の義理もあり思ひさだめて行にしかじと、かの衣のすそ引ほどきぬひ直しなどし侍りてその日をのみ待渡りつゝ」

結局、裏は庶民の常用する花色木綿にして、八丈の古着の寸法を直して上着にし、鍛子(どんす)の帯で出ることにした。それでも袖が短いため当日の写真では隠そうとした手が出ている。

2月21日の発会の日。

「いとゞはづかしとはおもひ侍れど、此人々のあやにしきき給ひしよりは、わがふる衣こそ中々に、たらちねの親の恵とそゞろうれしかりき」と綴る。

兼題は「初春鶴」(はつはるのつる)で「けふよりはまことの春と大ぞらに遊ぶ田鶴の声ものどけし」が出品され、当日は探題として「朝雲雀」(あさのひばり)を引き当てて「うちむれて春野にくればいつしかとあがるひばりの声のゝどけさ」と詠じて8点を取り、点取りでは「月前柳」(つきまえのやなぎ)を「打なびく柳をみればのどかなるおぼろ月よもかぜはありけり」と詠じて並み居る同輩達をしのいで最高点の10点を取り、古着の引け目を忘れて喜びにひたる。


つづく

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