1887(明治20)年
3月
小野梓「条約改正論」(富山房)
3月
坪内逍遙「此処やかしこ」(「絵入朝野新聞」)~5月
3月1日
土佐における最初の婦人会「婦人交際会」発足。片岡健吉、坂本直亮(南海男)ら民権家の妻ら中心。植木枝盛出席。
3月3日
大杉栄(2)の妹、春(一女)が生まれる
3月13日
(露暦3/1)露、ナロードナヤ・ヴォリヤ(「人民の意志」党)参加のレーニン兄アレクサンドル・ウリヤーノフ(21)と姉アンナ(陰謀とは無関係)のアレクアンドル3世暗殺計画発覚。逮捕。/露暦5/8.処刑。
3月21日
夏目金之助(20)・長兄大一(31)、肺結核により没。
「大助は開成学校(東大の前身)を中退して警視庁の翻訳係となったが、三十一歳で死亡。彼は勉強も出来たが遊芸にも通じていたようで、金之助は英語の手解きを受けるとともに地元の芸者屋にも連れて行かれた。臨終の際、金之助によく勉強せよと言い通したという。」(岩波新書『夏目漱石』)
3月22日
中山晋平、誕生。
3月30日
啄木父一禎、北岩手郡渋民村92番地(現、岩手郡玉山村)万年山宝徳寺の第15世住職に任じられ、一家は渋民村に転住。啄木が「ふるさと」と呼ぶのはこの宝徳寺のある渋民村。
3月30日
パリ、アンドレ・アントアーヌの自由劇場が開設
4月
中村鷹治郎、末広鉄腸の政治小説「雪中梅」を脚色して道頓堀角座で上演。
10月、対抗馬の中村宗十郎、改良演劇会社をつくり、新活劇「仲囲」を道頓堀浪花座で興行。東京での歌舞伎俳優を中心とした演劇改良活動・自由民権活動が影響。
4月
大阪事件公判。大阪臨時重罪裁判所。小新聞育ちの「朝日」と大新聞の「大阪日報」が付録合戦。
「朝日」の傍聴筆記付録は4ヶ月間に90回。1日発行部数約3万5千が、公判後には6~7千部増えた、という(「社史」)。
4月
子規、第一高等中学校寄宿舎に入る。
4月
ゴーギャン(39)、~11月、シャルル・ラヴァル(1862~94)と共にパナマとマルチニック島に滞在。
4月1日
宮武外骨(21)の頓智協会が、「機に臨み時に応じて利用すべき頓智を発育養成する」として『頓智協会雑誌』を発行。第1号は4千部売れる。当分は絶好調であった。原価2銭5厘の雑誌を7銭で卸したから、千部売れれば45円の利益となる。会員には仮名垣魯文や三遊亭円朝も名を連ね、坪内逍遥も寄稿。
一ケ月二十円あれば雇人二三人を置いて楽に生活の出来る時代に、毎月二三百円の収入があるので、良からぬ遊蕩根性が勃発して、妾を置く外、一ケ月間に二十回以上の吉原行、収入の全額を遣い果たしてマダ足りないほどの乱行であった。
成功したらつれ戻すからと言って送り出した妻房子を奉公先に置いたままでである。
房子は温柔貞淑で別居以来浮いた事もなく、ただただ予の成功を祈っていたのであるに、予が顧みないので神田警察署へ説諭願いを出した事もあった、両人対審の際、房子は「この人が生活に困っているのならば、私は何年でも勤め奉公をしておりますが、昨今は妾を置いて贅沢な暮しをしていながら、私を棄てて振向かないのはヒドイと思います、私は棄られたと云って今更オメオメと国へ帰る面目もありません」と泣き伏した。(宮武外骨「自家性的犠牲史」昭和6年)
4月2日
堀詰座で開催の仏教演説会で村岡寅衛ら婦人弁士が演説
4月20日
伊藤首相官邸で大仮装舞踏会開催。
午後9時半~午前4時。ヴェネツィア貴族夫妻(伊藤夫妻)をイタリア田舎娘の長女が待受ける。井上外相は三河万歳、山県内相は奇兵隊士、東京府知事高崎五六は弁慶・娘が牛若丸、三島警視総監は南北朝の児島高徳、戸田氏共(外交官、元大垣藩主)は太田道灌・妻が賤の乙女など。
4月22日
外相井上馨による条約改正会議、「裁判管轄条約」議了。屈辱的内容(外国人裁判官採用を認める。2年以内に法典整備して外国政府に通知=「審査承諾」)。ボアソナアドと農商務省谷干城に反対意見書。
6月以降、外国人判事任用に対し、政府内外で反対の声が高まる。7月29日、井上外相は条約改正会議の無期延期を各国公使に通告し、9月17日辞任。
4月26日
井上馨邸(麻布鳥居坂)、天覧歌舞伎
4月28日
伊藤博文(47)と戸田伯爵夫人極子(31、岩倉具視長女)のスキャンダル報道。これを批判した「姦淫の空気」を掲載した「女学雑誌」は発行停止。
つづく
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