2025年5月2日金曜日

大杉栄とその時代年表(482訂) 1904(明治37)年2月1日~4日 日露開戦決定御前会議 外務大臣小村寿太郎の意見開陳「・・・事是(ことここ)に至りては実に巳むを得ぬから、我方はこの上談判を継続するも妥協に至るの望なき故に之を断絶し、自衛のため並に我が既得権及び正当利益を擁護するため必要と認むる独立の行動を取るべきことを露国政府に通告し、併せて軍事行動を執ることを緊要なりと思考する。」

 

金子堅太郎(1905年頃)

大杉栄とその時代年表(481) 1904(明治37)年1月30日~31日 「……平戦何(いづ)レニカ決セラルルハ、今ヤ数日ノ中ニアルモノト認ム。 干戈相見(あひまみ)ユルニ至ラバ、第一著ニ敵ニ接スルハ我ガ海軍ノ任務ナルベキヲ以テ……我ガ軍隊ノ行動ハ、恒(つね)ニ人道ヲ逸スルガ如キコトナク、終始光輝アル文明ノ代表者トシテ恥ヅル所ナキヲ期セラレムコト、本大臣ノ切ニ望ム所ナリ」(山本海軍大臣訓示) より続く

1904(明治37)年

2月

平出修(26)が東京地方裁判所弁護士に登録される。前月(1月)、司法官試補を辞任。

2月

北海道婦人同志会、「二十世紀の婦人」(今井歌子、川村春子編集)創刊。

2月

ポターペンコ、二葉亭四迷訳「四人共産団」(「文芸界」)

2月

児玉花外「花外詩集」(自家版) 

2月

東京日比谷公園に洋風喫茶店松本楼開店。

2月

女子学習院など、出征軍人家族慰問婦人会結成。出征兵士へ慰問袋を贈る。

2月

日露開戦に際し、長野県下の各村学校で男女同窓会開催。この頃、軍人や出征遺家族の援護のため村落で青年・婦人の組織化がさかん。

2月

トランスヴァール地方に、中国人契約労働者を導入。南アフリカの中国人労働者、ラントに移入。

2月

パルヴス、連続論文「戦争と革命」(『イスクラ』)。トロツキーに大きな感銘を与える。

2月1日

参謀総長大山元帥、開戦決定建白書を天皇、内閣に提出。

2月1日

(漱石)

「二月一日(月)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。

二月二日(火)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Macbeth を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。

二月三日(水)、曇。微雨。夜、寺田寅彦来る。高知県の菊畑の写真見せられる。

二月四日(木)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Macbeth を講義する。」(荒正人、前掲書)

2月1日

フィリピン、タフト、陸軍長官就任のため総督を辞任。後任にライト。

2月2日

青山学院の神学部、高等科、青山女学院英文専門科が旧制専門学校として認可を受ける。

2月2日

イタリアのラブリオーラ、没(1843年7月2日~)。

2月3日

午前5時、旅順口港のロシア軍艦・駆逐艦、訓練のため出港。

2月3日

午前9時25分、栗野駐ロシア公使の公電。前日、外相ラムスドルフと会見、対日回答の皇帝裁可までに2~3日を要すとの回答。

午前10時、伊藤・山県・大山・松方・井上の5元老、山本海相・小村外相・寺内陸相、首相官邸に集合。翌日の御前会議で開戦決定に合意

午後4時25分、桂・小村、参内。小村は栗野公使にロシアへの回答督促は不要と連絡。

2月3日

山本海相、参謀山下大佐にロシア艦隊攻撃指示「大海令第一号」を持たせ佐世保派遣。開封は別名電による。

2月3日

桂太郎首相、元老5人(伊藤、山縣、松方、井上、大山参謀総長)および山本権兵衛海相、小村寿太郎外相、寺内正毅陸相と首相官邸に会し、開戦を決意すべきことを決定。御前会議を上奏。

2月3日

石川啄木(19)・堀合節子、婚約。母カツ、堀合家に結納を持参。

2月3日

「日進」、石炭を積み込みシンガポール発。続いて「春日」への積み込み開始。4日午後8時、出港。

2月3日

在米社会主義者岩佐作太郎・赤羽一ら、片山の渡米を迎え「社会党桑港支部」結成。

2月4日

対露開戦決定

午前中、閣議

午後2時25分~4時30分、御前会議。出席者:枢密院議長伊藤博文、枢密顧問官山縣有朋元帥、参謀総長大山巌元帥、枢密顧問官松方正義、枢密顧問官井上馨(以上、元老)、首相桂太郎大将、海相山本権兵衛中将、蔵相曾禰荒助、外相小村寿太郎、陸相寺内正毅中将。対露交渉中止・国交断絶を決定。


外務大臣小村寿太郎は決議案を提出し、次のような意見を開陳した。

「・・・事是(ことここ)に至りては実に巳むを得ぬから、我方はこの上談判を継続するも妥協に至るの望なき故に之を断絶し、自衛のため並に我が既得権及び正当利益を擁護するため必要と認むる独立の行動を取るべきことを露国政府に通告し、併せて軍事行動を執ることを緊要なりと思考する。」


「事此に至りては、復(ま)た一人の異論を唱ふるものなく、亦(また)之(これ)あるべき理由なく、唯(た)だ過去の不足論位は或る一方面より出でたれども、固(もと)より大議論とても無く、満場一致、露国に対し戦を聞くに決し、即時命令を陸海軍に下し、駐露粟野公使をして、国交断絶の旨を露国政府に通告せしめたり」(『公爵桂太郎伝』)


午後8時、山本海相、竹敷・佐世保・呉軍港に対しロシア艦隊が敵意を示すときは「直二之ヲ撃破スベシ」と下命。

午後9時30分、参謀本部、第12師団長井上光中将に韓国派遣部隊の派遣下命。

夜、枢相伊藤博文、子爵金子堅太郎に米の日本支援工作のため渡米要請

金子は一晩の猶予をもらって考えるが、米国説得の自信は持てない。伊藤は金子に、「今度の戦争は、陸海軍ともに成功の見込みはない。日本は国を賭して戦うわけで、勝敗は眼中にはない。露軍が大挙して九州海岸に来襲することとなれば、自分も卒伍に列し、武器をとって奮闘するつもりだ」と説いてアメリカ行きを納得させる。

2月4日

肺結核予防令公布。


つづく


〈註:追記項目あり、5月1日掲載(482)を(482訂)として訂正後、再掲載した〉

0 件のコメント: