1905(明治38)年
3月11日
この日、淑石は明治大学で「倫敦のアミューズメント」と題した講演を行う。(『明治学報』4月8日 5月8日)
「鶏の蹴合(けあい)」というロンドンの娯楽を紹介している時、奉天占領を告げる号外の鈴の音が鳴る。
この時の講演記録
御承知の通り鶏の蹴合の運命にも余程消長がありまして、或時は非常に流行り、或時は非常に流行らなかったと言ひまする、彼(か)の「クロムエル」などといふ先生が出た時は鶏を蹴合はせるは怪しからぬ、止めて仕舞へと云って鶏を一羽も蹴合せなかったといふ、(此時校外へ号外売来る)、所へ号外が来た、(笑声起る)、どうもアンなものが来るといふと、奉天の方が面白いですからな、鶏の蹴合より日本と露西亜の蹴合ってる方が余程面白いです、(笑声起る)、何処をやってるんだか一向分らない、鶏の蹴合ですな、
漱石は、日本とロシアとの戦いを「鶏」と「鶏」との蹴合いに見立てた。これは、日露両国が満州・韓国の利権を争った日露戦争の本質をよくとらえている。彼は、日露戦争を、義(日本)と不義(ロシア)の戦いとも、祖国防衛のための戦争とも考えていない。
3月11日
米、ルーズベルト大統領、在米元法相金子堅太郎に祝電。奉天開城の報に、各国新聞はロシアの和平調停申入れを論じる。ロシア紙「ノウォスチー」も終戦を訴え。
3月12日
参謀次長長岡外史少将、「明治38年3月11日以降における作戦方針」、桂首相・山県元帥に提示。満州作戦は鉄嶺までとしウラジオ・樺太を支作戦とする。満州軍総参謀長児玉大将は賛意。
3月12日
『直言』第6号発行。
社説「世界の潮流」。
1月15日ブリュッセル、国際社会党(第2インター)本部委員会、フランス社会党(ジョーレス派)代表ジャン・ロンゲ提案、日本政府の社会主義者弾圧抗議、日本の社会主義者への同情、決議を掲載。
「万国社会党本部は日本社会党を犠牲となしつつある日本政府の追啓に対し、殊に社会主義協会の解散、及び万国社会主義者の経典たる『共産党宣言』を訳載したりと云ふ単純なる理由を以て、『平民新聞』の発売を停止したる事実に対して絶対に反抗す。而して万国労働者の共通利益の為めに奮闘せる日本社会主義者に対し、多大の同情を表す。」
委員会議ではフランス社会革命党の代表ヴァイヤンが、フランス社会党諸派の合同統一に関する協議の進展を報告し、イギリス社会民主同盟の代表ハインドマンは階級闘争の舞台における革命的社会党の勢力統一を、フランス社会党に希望するとともに各国の党がこれに倣うべき旨の決議案を提出して可決された。次いで来春開催予定の万国大会における各国代表権および投票方法に関しては、ハイソドマンの提議でベルギーのヴァンダーヴェルト、オランダのファンコール、本部幹事ヴィクトル・セルウイの3名が調査委員に任命され、その審議決定に俟つこととなった。
最後に会議は最近、フランスのマルセイユで病死した人道の戦士ルイズ・ミシェル女史に哀悼の意を表し、閉会後ドイツ代表べーベルは平民館に集合した3,000余の聴衆を前に、万国社会党の進歩発達を明らかにする大演説をおこなった。
3月12日
志村喬、誕生。
3月12日
ロシア、午前会議、継戦方針決定。
蔵相ウィッテは停戦建白。海相アウエラン・陸相サハロフの両大将は必勝計算を披露。
3月13日
担保付社債信託法・鉄道抵当法・工場抵当法・鉱業抵当法、それぞれ公布。
3月13日
(漱石)
「三月十三日(月)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Hamlet を講義する。寺田寅彦来る。文章朗読する。
三月十四日(火)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで Hamlet を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。
三月十六日(木)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。」(荒正人、前掲書)
3月15日
大山総司令官が奉天に入城。
3月16日
鉄嶺を占領。
26日、軍政署の業務開始。9月までの7ヶ月間で捕えた「間諜容疑者」96(死刑15、監禁14、第4軍司令部送致4、放免63)。
3月16日
ロシア第2太平洋艦隊、マダガスカル・ノーシベー湾発。
3月16日
伊政府、フィロナルディ会社からソマリアを引き継ぐ。
3月17日
長崎の三菱造船所第三船渠竣工。開業式挙行。
3月17日
(漱石)
「三月十七日(金)、午後六時から山上御殿で英文会開かれ出席する。約十人集る。山県五十雄も来る。一年生は一人も来ない。学生数人のほか卒業生何人か来る。十時閉会する。」(荒正人、前掲書)
3月17日
アルバート・アインシュタイン、光量子仮説論を完成。
3月19日
『直言』第7号発行
社説「戦後思想界の準備」(木下尚江)。「毎日新聞より転載」。
当局者が二、三の社会党員を処罰して社会党の発生を防ぎ得ると思うのは社会の趨勢に盲目なるものと論じ、社会党に対する「日本全国に普く散在する彼等の擁護者の、案外に侮るべからざる諸勢力」を指摘。
幸徳秋水「露国革命のあたうる教訓」。
ヴェラ・ザスリッチ、ソフィア・ペトロフスカヤなど。
「日本之新聞」。
奉天附近の大会戦は、世界戦史上もっとも惨烈を極めたものであって日露両軍の死傷者は20万を超え、「満洲の曠野は両国同胞の鮮血を吸ふに倦(あき)しなるペし」と記す。
コラム「平民社より」(堺利彦)
世界語としてのエスペラント語を紹介。堺は、エスペラント語の紹介者として知られる東京帝国大学史料編纂員(のちに教授)の黒板勝美と交友があり、この記事も黒板の談話をもとにつくった、と述べている。
「俘虜諸君に告ぐ」
革命の祖国に帰るべき捕虜に次のように呼びかける。
「日本の各地に幽禁せらるゝ露国の『俘虜』諸君に告ぐ、国際法は諸君を呼んで『俘虜』と云ふ、然れ共吾人は今敢て同胞の情愛を以て諸君に一言する所あらんとす」
という書き出しで、彼らに深厚な同情を表したうえで、これから革命の祖国へ帰る諸君には、諸君の祖国にたいし、また空しく討死した諸君の同僚にたいしてあらたに重大な責任があることを自覚せよと訴え
「……去れば諸君、吾人は熱心に諸君に忠告す、乞ふ直に人生社会の理想を捉へて、躊躇無く之を諸君の祖国に建設せよ、民主々義を発揚せよ、社会主義を実行せよ、四海同胞の理想をして諸君の間に顕現することを得せしめよ、復(ま)た剣を執て兄弟相殺すが如き無道の人となること勿れ…‥
記憶せよ、諸君、廿世紀初年の露西亜は猶ほ十九世紀初年の仏蘭西の如き也、西欧諸国の革命が常に仏蘭西の合図を待ちしが如く、今や東洋の諸亡国は露国革命の信号を見て復活せんと待ち構へつつある也
ー 支那を看よ、朝鮮を看よ、吾人豈に諸君の発憤を禱らざるを得んや」
つづく

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