2月17日
東京芝紅葉館、坪内逍遥(47)・島村抱月(35)らの新劇運動団体「文芸協会」発会式。「妹山背山」など上演。
2月17日
この日付漱石の柿崎嘲風宛、「(前略)学者の御そろひの大学でそんな事をむづかしく云ふのは、大学が御屋敷風御大名風衡役人風になってるからだよ(後略)」。大学から英語学試験委員を委嘱されたが、辞退したときの大学評。
2月17日
教皇ピウス10世、前年7月にフランス議会可決の政教分離法実施非難。
2月18日
アルマン・ファリエール、仏大統領就任(~1913年)。
2月19日
台湾銀行法改正。銀貨を金貨に改め、半額準備の制限を解く。
2月19日
台湾銀行法改正。銀貨を金貨に改め、半額準備の制限を解く。
2月19日
満州向け日本綿布輸出組合結成。
2月19日
英コンノート親王来日。明治天皇にガーター勲章を奉呈。
2月19日
(漱石)
「二月十九日(月)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで「十八世紀英文学」を講義する。
二月二十二日(木)、細雨。東京帝国大学文科大学長坪井九馬三に逢ったところ、教授会では辞退の理由を至当と認めたが、試験委員になるようにと云われる。
二月二十三日(金)、雨、夕刻から霰。東京帝国大学文科大学で Tempest を講義する。坪井九馬三宛手紙に、試験委員にもなれぬと伝える。」(荒正人、前掲書)
2月20日
第1回普通選挙請願名簿2,240、衆議院に提出。中村太八郎、西川光二郎、堺利彦ら60人(11日から普通選挙全国同志大会を開いていた)が、日比谷音楽堂から隊列を組んで衆議院に押しかけ、請願書を提出。普選デモの先駆となる。
2月20日
初代韓国統監伊藤博文、東京発。
2月20日
来日中の英国皇族アーサー・コンノート卿、明治天皇にガーター勲章を贈進。
2月20日
英軍、ナイジェリア北部の原住民の反乱鎮圧に出動。
2月22日
衆議院、警視庁廃止建議案を否決。
2月23日
清国、赴日留学生章程制定。
2月24日
日本社会党結成第1回大会。京橋区木挽町出雲橋際の加藤病院。日本社会党・日本平民党合同。出席代議員35人。
評議員片山潜、堺利彦、西川光二郎、加藤時次郎、斉藤兼次郎、樋口伝、森近運平、深尾韶、山口義三、田添鉄二、竹内余所次郎、岡千代彦、幸内久太郎の13人。常任幹事堺・西川・森近を互選。正式党員200弱。
27日夜、神田三崎町平民社ミルクホール2階の社会党事務所で初の評議員会。「本党は国法の範囲内において社会主義を主張す」(第1条)など党則を制定。
翌28日、堺利彦と深尾詔の二人が結党届を提出、思いがけずそのまま認められ、ここに日本で初めての合法的な社会主義の政党が公然と存在を許されることとなった。
日本社会党の正式党員数は200人に満たなかったが、当時、警視庁が新聞に報じたところによると、社会主義者の数は全国にわたって約2万5千人、最も多いのが東京で、次に栃木、神奈川、東北の順となる。東京は1万4千人を占め、その内訳は、労働者3,200人、学生7,500人、政客50人、軍人180人、宗教家60人、司法官10人、医師45人、外に200人は不明となっている。これらの数字を全て信用できないとしても、社会党がその正式党員以外に相当の影響力をもっていたことは推測できる。
「党員二百名未満だったが意気けんこう、演説に、講演に、研究に、地方遊説に彼等の活動は目ざましかった。」(講談日本社会運動史・日本社会党と兇徒聚集事件)
2月24日
文部省、奈良県立戦捷記念図書館設置を認可。
2月24日
(漱石)
「二月二十四日(土)、曇。午前九時十四分十二秒、東京に強震起こる。午後、橋口五葉・中川芳太郎来る。ついで寺田寅彦来る。橋口五菜、『漾虚集』の挿絵の草案を一同に見せる。濃尾地震の話などする。
二月二十六日(月)、兼京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで「十八世紀英文学」を講義する。
橋口五葉・寺田寅彦来る。」(荒正人、前掲書)
2月24日
キューバ大統領選挙でトマス・エストラーダ・パルマが、ホセ・ミゲル・ゴメスを破り再選されるが、反パルマ派が反乱を起こす。
2月24日
イタリアでカトリック選挙連合結成。
2月25日
石川啄木姉田村サダ(31)、没。秋田県鹿角。
2月25日
幸徳秋水「在米同胞は幸福なりや」(邦字新聞「日米」)。ドヤ街に住む多数の日本人日雇い労働者。
2月26日
コンノート卿大歓迎大会、日比谷公園にて催す。
「正門前の雑踏ハ甚しく騎馬と徒歩の警官と憲兵と数十名警戒せしが大名行列が繰り出すや潮の湧くが如く人波を打ち鉄柵の前に殊に設けたる丸太の柵を押潰せんず光景で」(読売新聞)
2月27日
第1回日比谷焼き打ち事件公判。吉沢不二雄の「警犬問題」が一般にも明らかにされる。
大会幹部の吉沢不二雄は自由党系の壮士。
捜査当局は事件後、大会幹部が計画的に群衆の暴動を作り出したことを立証しようとした。検挙した幹部のうち吉沢を除く全員が、暴動計画を否定した。ただ独り、吉沢だけが暴動計画を詳細に陳述した。彼は同じく幹部であった佃信夫から、国民大会強行のため壮士を周旋することを命じられ、佃宅にて爆弾のような包みを見せられ、警視庁、内相官邸などへの襲撃計画までを打ち明けられたと供述したのである。この供述を基にして河野らを事件の責任者として特定した。
ところが、吉沢は公判廷で、供述をひるがえし、警察から釈放と金銭300円とを代償に話したと語った。「自分は警視庁の犬と云はれても致方なし」と証言した。
2月27日
米女性フェルプス、仙台市に東北育児院創設。宮城、福島二県の凶作地の児童100余人収容。のち仙台育児院と改称。
2月27日
英仏、ニューヘブリデス諸島に関する条約締結。
2月28日
加藤高明外相が鉄道国有化法案に反対し辞任
つづく

0 件のコメント:
コメントを投稿