2025年10月27日月曜日

大杉栄とその時代年表(660) 1906(明治39)年4月1日~9日 「さらば日本よ。余は爾(なんじ)を愛せざる能はず。爾は幼稚なれども、確に大なる未来を有す。爾が理想を高くし、志を大にし、自ら新(あらた)にして、此美なる国土に爾を生み玉へる天の恩寵に背かざれ。爾の頭より月桂冠を脱ぎ棄てよ。『剣を執る者は剣にて亡びむ』。知らずや、爾が戦は今後、爾が敵は北にあらず、東にあらず、西にあらず、はた南にあらず、爾が敵は爾、爾が罪、爾は爾自身に克たぎる可からざるを。」(トルストイ会見に向かう徳富蘆花の日記)

 

徳富蘆花

大杉栄とその時代年表(659) 1906(明治39)年4月 蒋介石の初来日 初来日して、東京で日本語を学んでいたところへ、幼なじみの周淡游が留学してきた。彼は警察官を養成する東京警監学校に入学したが、ふたりは毎日のようにつるんで銀座へ繰り出し、遊び歩いた。その周淡游の縁で、同郷出身の陳其美と知り合った。これが蒋介石の未来を運命づける決定的な出来事となる。 より続く

1906(明治39)年

4月上旬

荒畑寒村、田辺より大阪・奈良・京都で遊び帰京。堺家に寄食し、「光」編集発行手伝い、「社会主義研究」「家庭雑誌」の雑務。夜は正則英語学校通い。

4月1日

京漢鉄道、全線開通。

4月1日

陸軍戸山学校、騎兵実施学校、野戦学校、要塞砲兵射撃学校、各開校。

4月1日

森鴎外(45)、功三級金璃勲章を授けられ、また勲二等に叙せられ、旭日重光章を授けられる。叙勲2ヶ月後、「常磐会」が創立され、山県有朋との関係は密接となる。

4月1日

京都博覧協会主催凱旋記念内国生産品博覧会、京都御苑内で開会(~5月31日)。

4月1日

第五高等学校工学部、分離独立して熊本高等工業学校設置。高等学校の専門学科、すべて解消。

4月1日

兵庫県の山陽鉄道播但線、新井-和田山間開通。

4月1日

(漱石)

「四月一日(日)、『ホトトギス』(四月号)で『坊っちゃん』を読む。原稿を遅らせたことが原因とは知りながらも、四月一日(日)に発売になっているとよいと思う。(発売は四月十日(火)である。定価五十二銭。部数五千五百部。発行間際に定価をあげ、部数も増やす)

高浜虚子宛手紙に、「模試験しらべで多忙しかも来客頻繁。どうか春晴に乗じて一日川があって帆懸舟の通る所へ行って遊びたい。夫から東京座の二十四孝といふものが見たい。」と述べる。

島崎藤村の『破戒』、三分の一ほど読み、商涼虚子・森田草平宛手紙で激賞し、一読を勧める。

四月三日 (火)、『破戒』読み了え、深く感動する。


近松半二と竹本三郎兵衛合作の時代物浄瑠璃で『本朝廿四孝』が原題である。」(荒正人、前掲書)


4月1日

アルバート・アインシュタイン、ベルン特許局2級技術専門職に昇進。年報4500スイス・フランに上がる。

4月1日

サンフランシスコで日本人学童の排斥事件が起こる。

4月1日

幸徳秋水、桑港平民社で婦人講演会。

7日、オークランドで社会主義研究会。

4月2日

労働者観桜会

4月2日

9月1日からの大連港開放、閣議決定。

4月2日

急行列車券規程公布。

4月16日、新橋~神戸間に最急行列車運転開始。150マイル未満1等1円、2等60銭、3等30銭。急行料金徴収の最初。

4月4日

大韓自強会結成。

4月4日

徳冨蘆花(37)、横浜港から備後丸で出航、トルストイ訪問の旅に出る。8月4日帰国。

蘆花は、伊香保を出て、安中教会で柏木義円牧師に頼んで妻に洗礼をしてもらった。

東京の兄蘇峰の家で旅行の支度をした。手持ちの600円余では旅費に足りないと言って、兄は金をくれたがったが、それを断り、郵船備後丸の特別3等切符を買った。

妻は、かねて志していた英語を習うために東洋英和女学校に臨時生徒として入学し、その寄宿舎に入り、健次郎の本の印税で暮すことになった。

船が神戸に入ったとき、蘆花は京都で関西旅行中の兄と一緒になり、姉の湯浅初子を訪ねたり、新島襄の基に詣でたりした。

7日、神戸を出帆。見送りに大阪の出版社で、雑誌「小天地」を出していた金尾文淵堂の若主人金尾種次郎が乗っていた。金尾は門司まで蘆花に同行するという。彼は何とか蘆花の本を出版したいと思っていた。

蘆花が聖エルサレムとトルストイ家を訪う旅に出ると聞いて、彼は何とかして旅行記の出版権を得たいと考えて、門司まで備後丸に同行したが、それは叶わなかった。

9日、門司を抜錨。


彼の日記。

「さらば日本よ。余は爾(なんじ)を愛せざる能はず。爾は幼稚なれども、確に大なる未来を有す。爾が理想を高くし、志を大にし、自ら新(あらた)にして、此美なる国土に爾を生み玉へる天の恩寵に背かざれ。爾の頭より月桂冠を脱ぎ棄てよ。『剣を執る者は剣にて亡びむ』。知らずや、爾が戦は今後、爾が敵は北にあらず、東にあらず、西にあらず、はた南にあらず、爾が敵は爾、爾が罪、爾は爾自身に克たぎる可からざるを。」


蘆花の特別三等室というのは、左舷の下甲板にある四毘半ほどの室であった。室には洗面台が一つあり、室の三方の壁に、上下二つずつの寝台が計六つ作りつけになっていた。同室の客は、南米のブラジルに行くという人が一人、イタリアのミラノにある博覧会に行くという人が二人、またオーストリア人の新聞記者で、女のことで刑に触れたという噂のある男が一人だった。

扉を開くと隣室が並の三等室で、そこは寝台と言っても蚕棚のようなものに蒲の筵を敷いただけのものが並んでいる薄暗い室であった。そこにいるのはアメリカへ行く学生、濠洲に行く労働者などの日本人、それから中国人達であった。

一二等の室には外交官、陸海軍の武官、文部省からの留学生、船会社の社員などで満員であった。その中に左団次と松居松葉がいた。

船は上海に3日、香港に2日、シンガポールに3日、ペナンに2日、コロンボに3日という順で寄港し、コロンボからエジプトのポートサイドまでは2週間どこへも寄港せずに進んだ。

4月7日

廃兵院法公布(法)。戦闘または公務傷痍軍人救護施設。

8月6日廃兵院条例公布(勅)。陸軍大臣の監督下で、所在地所管師団が管理、入院資格など規程。

4月7日

啄木(20)、渋民小学校への就職の件について村役場から呼び出しを受け、履歴書を提出する。

4月7日

イタリアのヴェスヴィオ火山噴火。死傷者数百人。

4月7日

モロッコ問題に関するアルヘシラス議定書調印。

4月8日

仏、労働総同盟(CGT)、8時間労働を要求してゼネスト。パリに軍隊集結。

4月9日

「(四月九日 (月)、渋川柳次郎(玄耳)、熊本市に帰還する。やがて、第一師団法官部へ転勤の命令受ける。四月末に、家族と共に麻布区市兵衛町 (現・港区六本木) に居を樅える。)」(荒正人、前掲書)

4月9日

露仏借款成立。


つづく

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