2025年10月22日水曜日

大杉栄とその時代年表(655) 1906(明治39)年3月8日~11日 「明くれは十一日、...日比谷公園には各方面から参集する男女一千余名、...園内の芝山には「電車値上反対市民大会 日本社会党」と大書した赤旗を中心に数十旒の赤旗が林立し、...午後一時、主催者を代表して山路愛山(国家社会党)が全員の拍手喝采裡に左の二決議文を朗読した。(略)次いで主催者代表は、右の二決議を内務大臣に手交するため、...五人を委員に指名したが、大臣不在のため委員は決議文をのこして帰った。五委員は解散後、群衆とともに赤旗四旒、幟二旒を押し立て大太鼓を打ち鳴らしつつ公園を出て有楽町の堅く門扉を閉ざした街鉄会社に押し寄せ、...更に数千枚の檄を配布しつつ 『人民』、『日日』、『時事』、『毎日』、『萬朝』、『読売』の各新聞社前に至り、「資本家に買収された新聞」「電車賃値上げに反対せよ」「反対せざる新聞は購読せず」などと叫んで示威運動の威勢を示した。」(荒畑『続平民社時代』) )   

 

山路 愛山

大杉栄とその時代年表(654) 1906(明治39)年3月1日~7日 外相加藤高明、鉄道国有化に反対し辞任。 加藤は岩崎家の婿(「三菱の大番頭」)。三菱の御用新聞「東京日日新聞」、元老井上馨も鉄道国有化反対。三菱は、長崎の造船所、高島炭鉱を経営し、更に九州鉄道株を買収中。九州鉄道を手中にすれば、競争相手の三井、貝島、麻生などの炭鉱の運搬も独占し得る。九州の炭鉱主は、三菱の鉄道支配を覆すために政府の鉄道国有化に賛成。 より続く

1906(明治39)年

3月8日

電車賃値上げ反対運動。

「三月八日、社会党はまず芝区兼房町の玉翠亭に電革質値上げ反対演説会を開き、山口、岡、斎藤、堺、西川、加藤、木下が市民の奮起を促した。翌日は神田区美土代町のYMCA(基督教青年会館)に田川大吉郎、堺利彦、山路愛山、木下尚江、加藤時次郎等が出演し、越えて十一日午後一時から日比谷公園に市民大会を開き、値上げ反対の大示威運動を行うべきことを決議した。この大会には、山路愛山、中村太八郎等の国家社会党、及び田川大吉郎、細野次郎等の市民団体が社会党と連合し、市民大会告知のビラ五万枚を作って党員が全市に配布した。そして夜は神田区三崎町の吉田尾に済説会を開き、森近、山口、斎藤、竹内、探尾、西川、片山等が出演して、翌日の市民大会について宣伝の熱弁をふるった。また各区の区会も開かれて反対の決議をおこなうなど、市民の反対気勢はのぼるばかりである。」(荒畑『続平民社時代』)

3月8日

電車賃率改正市調査会、5銭均一の値上げを否決。

3月9日

この日付け『読売新聞』、電車賃値上げ反対運動と電車焼き打ちの噂を報じる。

書き出しは、

「三電車の五銭均一に値上げの請願を出したるに就て市民の激昂ハ非常にて殊にこの値上げを運動するにハ当局者中に少なからざる収賄等のある由なれバ・・・」

とあり、値上げ運動の背後に汚職問題があることを示唆。

東京市会では、明治28年(1895)に不正鉄管事件、明治33年に市参事会収賄事件が起きている。

不正鉄管事件とは、東京市に供給していた水道管を巡る収賄事件であり、市参事会収賄事件は、汚物掃除請負人指定、量水器購入、水道用鉛管納入を巡って起きた事件で、いずれも急速に発展して行く東京の基盤整備にからむもの。

そして、電車の利権を巡って、三たび汚職事件の当事者たちが暗躍していた。

その後の経過;

値上げ反対の世論の高まりにより、3社は願書を一旦取り下げるが、5月26日に突然、3社は合併

合併が認可された8月1日、内務大臣は運賃を4銭均一にすることを認可

合併認可、運賃の1銭値上げも秘密裡に行われた。

明治44年、東京市は合併した3社の経営と財産を買収。買収費は実情の値の2倍に相当したといわれる。市有化にあたって、会社は利益を上級社員には平均390円を払ったが、運転手や車掌には46円しか支払わなかった。

3月9日

第4回日比谷焼き打ち事件公判

3月9日

(漱石)

「三月九日(金)、東京帝国大学文科大学で、Tempest を講義する。」(荒正人、前掲書)

3月9日

日本初の石油発動機装備船、完成。

3月9日

米・彫刻家スミス、誕生。

3月10日

日露戦役陸軍記念会(「来賓無慮三千余名なりき」)

3月10日

宮崎民蔵、「土地均享人類の大権」刊行。

3月10日

『吾輩は猫である』 (九)〔『ホトトギス』3月号3月10日刊〕 (9巻6号) (署名は湘石)

3月10日

啄木(20)、本籍地を盛岡市加賀野第二地割字久保田百六番地より岩手郡渋民村大字渋民第十三地割二十四番地へ移す。

3月10日

『新紀元』第5号発行

安部磯雄(社説)「社会主義と基督教」

3月10日

大杉栄(21)、堺利彦の家から、翌日に開催予定の電車賃値上げ反対市民大会のビラを持ち出し、麹町3丁目あたりから配り始める。

「僕が外国語学校を出て社会主義運動に全く身を投じようとした頃のことだった。堺君や田川大吉郎君や故山路愛山君などがいっしょになって、電車の値上上反対運動をやった。そして日比谷で市民大会というのを開いて、集まった群集の力で電車会社や市会などへ押しかけた。その前日だ。僕は堺君の家からあしたの市民大会のビラを抱えて、麹町三丁目のあたりからそれを撒き歩きはじめた。その時僕はふと礼ちゃんらしい姿を道の向う側に認めた。- その市民大会のすぐあとで兇徒聚集という恐ろしい罪名で未決藍に入れられた時に、礼ちゃんが僕の留守宅に見舞いに来てくれたそうだ。その頃僕は僕よりも二十歳ばかり上の或る女と一緒に下六番町に住んでいた。」(『自叙伝』「母の憶い出・三)

3月11日

東京市街鉄道運賃値上げ反対第1回市民大会。

「明くれは十一日、朝来春雨うち烟る日比谷公園には各方面から参集する男女一千余名、陸続としてひきも切らぬ盛況であった。園内の芝山には「電車値上反対市民大会 日本社会党」と大書した赤旗を中心に数十旒の赤旗が林立し、軍隊用の大太鼓を絶えず打ち鳴らしている。定刻の午後一時、主催者を代表して山路愛山(国家社会党)が全員の拍手喝采裡に左の二決議文を朗読した。


(略)


次いで主催者代表は、右の二決議を内務大臣に手交するため、細野次郎(市民派)、田川大吉郎(同)、木下尚江(社会党)、西川光次郎(同)、堺利彦(同)の五人を委員に指名したが、大臣不在のため委員は決議文をのこして帰った。五委員は解散後、群衆とともに赤旗四旒、幟二旒を押し立て大太鼓を打ち鳴らしつつ公園を出て有楽町の堅く門扉を閉ざした街鉄会社に押し寄せ、口々に値上げの不当を鳴らした。群衆は更に数千枚の檄を配布しつつ 『人民』、『日日』、『時事』、『毎日』、『萬朝』、『読売』の各新聞社前に至り、「資本家に買収された新聞」「電車賃値上げに反対せよ」「反対せざる新聞は購読せず」などと叫んで示威運動の威勢を示した。一千余の群衆は銀座通りに出て市民の歓呼に迎えられ、電車を立ち往生させながら東京市庁、市議会に反対の示威を試み、京橋際の凱旋門下に至って解散したのである。」(荒畑『続平民社時代』)


大杉栄(21)、森近運平、深尾韶、堺利彦、山口孤剣、樋口伝、石川光二郎らと150から160人のデモの先頭に立つ。

東京市内には、明治36(1903)年から翌年にかけて街鉄、東電、外濠の三つの私営電車会社が開業、それがこの年(1906)6月に合併して東京鉄道会社となり、1911年に東京市が買収して東京市電となった(現在は荒川線のみが残る都電の前身)。

日露戦争当時、電車賃は3銭均一と安く、市民の足として定着していた。ところが、3社それぞれ5銭に値上げするというので、日本社会党は、山路愛山らが創立した国家社会党やその他の市民団体と共同で、反対運動を起こすことになった。

「日本社会党が労働者擁護の旗をかかげつつも、各地のストライキにたいして拱手し、わずかに手近な電車値上反対運動に全力を傾注したことは、その小市民的性格を如実に示したものといえるが、一つは、国家社会党、新紀元派その他のいわゆる社会主義派の総連合運動にしようとしたためもあった。- その第一撃を電車問題に加えたのは、三十九年三月十一日のことであった。午后一時日比谷公園芝山に集まれと日本社会党の名で呼びかけた。その日は雨もあって来会者は少く、三四百人の人々が集まった。- 山路愛山が決議文を朗読して会衆の賛成を得、今日は雨だから来る十五日を期して第二の大会を此処に閲くべしといい、散会後堺枯河を先頭に例の旗を雨中に押し立てて内相官邸にむかった。-」(田中惣五郎「日本社会運動史(中)」-本期明治時代)


「昨年の日比谷の戦争終結不満の焼打ちさわざにも集まったこの群衆には、社会党のこの動きはおだやかすぎて物足らなかったらしい。」(木下尚江「鳴呼三月十一日」(『新紀元』6号))。


3月11日

小宮豊隆は漱石の書簡から、漱石が『坊っちゃん』を書き始めたのはこの年3月11日頃と推定している(1937年12月岩波文庫版「解説」)。

着想を得たのは、「腹案有たといふ次第でも有ません、さやう三日計り前に不意と浮かんでずるずると書て了つたんです」(『国民新聞』明治39年8月31日)という漱石自身の言葉から、3月10日前後と思われる。

2月中、漱石が英語学試験委員を辞退したことから教授会とこじれる。このいざこざに憤慨し想を得たともいわれるが、それだけが執筆動機ではないとの説もあり。

書き上げたのはおそらく3月25、26日。

3月23日付、高浜虚子宛ての手紙に「拝啓新作小説存外長いものになり、事件が段々発展只今百〇九枚の所です。もう山を二つ三つかけば千秋楽になります。」と書いている。


つづく


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