1931(昭和6)年の今日(9月18日)、柳条湖事件(満州事変の発端)が起る。
夜10時20分頃、奉天郊外の柳条湖付近の南満州鉄道線路上で爆発が発生。実は関東軍の謀略だ合ったが、関東軍はこれを張学良の東北軍による破壊工作であるとして中国軍を攻撃する。
〈1931(昭和6)年9月の年表〉
9月
上海で抗日大集会。
日本全国労農大衆党、対中国出兵反対闘争委員会結成。
日本商工会議所、在中国権益擁護・排日運動絶滅声明。
新興キネマ株式会社が創立。松竹資本により帝キネの業務を代行。
鈴木伝明、高田稔、岡田時彦ら、松竹を退社し不二映画を創立。
蔵原惟人(谷本清)「芸術的方法に就いての感想」(「ナップ」)、~10月)。
中野重治「今夜おれはおまえの寝息を聞いてやる」(「中央公論」)。
小林秀雄(29)「眠られぬ夜」(佐藤春夫編「古東多万」創刊号)
谷崎潤一郎「盲目物語」
藤沢恒夫「少年」
インヴァゴードンのイギリス大西洋艦隊水兵反乱。
イギリスの金本位体制の停止による金輸出再禁止を見通して、三井財閥などのドル買いが激化。日本銀行と横浜正金銀行、協議の上無条件で売りに応じる。11月、問題化。
アメリカ、銀行恐慌、全国に拡大。この年だけで2千以上の銀行が倒産。
9月1日
関東軍司令官本庄繁中将、着任第一声として隷下一般に訓示。
「本職深く期する所あり。精鋭なる我が将卒に信頼し、戮力協心(りくりょくきょうしん)匪窮(ひきゅう)の節を効し、以てこの変局に処し、相偕に国運伸展の大業に寄与せんことを庶幾う」。
9月1日
上越線の清水トンネル開通。工事期間9年4ヶ月、全長9702m世界最長、上越線が開通
9月2日
アメリカ、ラジオ番組「ビング・クロスビー・ショー」の放送が始まる。
9月3日
外交部長王正延、中村大尉事件を中国側の犯行とみて謝罪を求める日本に対し「事実無根」と声明。
この頃、中国政府は、今後の対日方針を示す「対日方法建議案」を採用。中国は、日本の満蒙侵略政策を徹底的に抑制する強硬姿勢を打ち出す。
9月3日
大阪大丸、第1回服飾研究生として初めて女子店員をパリに派遣。
9月3日
ユーゴスラヴィア、新憲法施行('41年迄ユーゴ基本法として存続)。議会復活。ユーゴスラヴィア王国と改称。
9月3日
イギリス、外国為替制限令を公布。
9月4日
河本大作(予備役大佐)、参謀本部第5(支那)課長重藤千秋大佐の要請により、奉天で特務機関花谷正少佐に開戦謀略資金5万円を渡す。
3日、河本は参謀本部第2課長(実際は第5=支那課長)重藤千秋大佐の求めにより、奉天特務機関(長は土肥原賢二大佐、A級戦犯として絞首刑)に柳条湖における開戦謀略資金5万円を渡すことになり、4日朝羽田を出発、京城経由で夕刻奉天着、特務機関花谷正少佐に5万円を渡し、料亭で高級参謀板垣征四郎大佐(河本の後任、A級戦犯として絞首刑)、石原莞爾中佐(関東軍作戦参謀)と会談。
8日午後奉天~空路大連へ、大連大広場の大和ホテルに宿泊し、星ヶ浦の大和ホテルで満鉄理事・経済調査局委員長十河信二(戦後の国鉄総裁)と会い、板垣・石原との会談結果を伝え、「十河に頼んで満鉄総裁内田康哉に働きかけ、関東軍が軍事行動に出た時ただちに積極的に協力させることとした」という。
9日早朝大連発、空路京城に行き、朝鮮軍参謀中山大佐に、関東軍からの開戦後即時救援依頼を伝え、その日のうちに空路福岡に帰着、鉄道で11日に帰京。
河本大作は、参謀本部・関東軍・満鉄・朝鮮軍を結ぶ連絡役として、満州事変の開戦謀略の最後の仕上げを行う(1953年8月2日、太原戦犯管理所における河本大作(同月25日病没)の供述調書)。
9月4日
この日、原田熊雄、若槻首相・幣原外相に、満州での浪人の暗躍の様子を伝え、近く陸軍が武力行動に出るのではないかと注意を促す。翌日、幣原は奉天の林久治郎領事に暗号電報で浪人取締りを訓令。
4日付け原田の日記。
「とにかく(軍部は)現在の政治の状態に頗る不満であるから、実際において統制のとれていない陸軍においては、いつ何事が起こるかもしれない。この点は頗る憂慮に堪えないのである」と満州事変直前の危機的状況を予感(「原田日記」第2巻)。
4日付け訓令。
「最近関東軍板垣大佐等は、貴地方面に於て相当豊富なる資金を擁し、国粋会其他支那浪人を操縦し、種々策動に努め居り。特に中村事件の交渉捗々しからざるに顧み、本月中旬を期し具体的運動を決行することとなれりとの聞込あり・・・」。
9月4日
陸軍、軍制改革案の大綱を発表。
9月5日
幣原外相から林奉天総領事へ訓電。
「最近関東軍板垣大佐ラハ・・・浪人連ラノ策動取締り上、コノ上トモ御手配アリタシ」。
4日頃、外務省へ、奉天領事館以外の現地から電報が入り、関東軍の少壮士官が満洲で武力発動を計画中と伝える。この露顕は、特務機関に雇われている男からとも、花谷が酒に酔って放言した為とも云われ、大川周明ら内地の右翼団体の一部からも噂が流れる。料亭に入りびたる国士らが、問題の周辺を徘徊しているので、洩れない方が不思議なくらい。
9月5日
独墺関税同盟構想、ハーグ国際司法裁判所で違反判決。
10月2日、独クルティウス外相辞任、ブリューニング首相が外相を兼任。
9月6日
関東軍石原参謀、特務機関花谷少佐・今田新太郎大尉(張学良顧間柴山兼四郎の補佐官)・三谷清少佐(奉天憲兵隊長)らに、9月下旬の柳条湖計画は中止と煙幕を張る。奉天総領事館が彼らの動向に注目し始めたため。
9月6日
国際無産デーのこの日、反戦を叫ぶ130人が検挙。
9月7日
本庄繁関東軍司令官、各部隊巡視(初度巡視)開始。旅順、大石橋、鞍山、連山関、奉天、鉄嶺、長春、更に奉天、遼陽の各部隊を巡祝し、18日午後10時頃、旅順に戻る。
途中13日、長春での独立守備隊に対する訓示。「近時匪賊の跳梁甚しく、鉄道の運行を妨害し、剰え我が付属地を窺うもの多きは、誠に寒心に堪えざる所なり。我が威武を軽視する是等不逞の徒輩に対しては、進んで断乎たる処置をとり、鉄道守備を完うすると共に、帝国在留民の不安を一掃することを努むべし。」
9月7日
天皇、中村大尉事件で出兵不許可言明。
9月7日
安保海相、参内。軍紀について下問され、「軍紀の維持作興」について言上して退出。
9月7日
陸軍、省部の間で、中村事件に関して強硬態度をとるとの公式決定に達す。
9月7日
大川周明・津久井竜雄・赤松克麿、日本国家社会主義研究所を設立。
10月1日、「日本社会主義」を創刊(1932年6月「国家社会主義」と改題)。
9月7日
第16師団(京都)の「醒めよ国防に !」というビラを福井・金沢・富山・松本に撒く。10万枚散布
9月7日
ジュネーブ、国際連盟第12回総会開催。
9月7日
ロンドン、第2次英印円卓会議、開催。~12月1日。
14日、ガンディー、国民会議派代表として参加。少数派教徒の代議権について合意に達せず。
9月8日
この日付東京朝日社説、「共存共栄の原則」が中国側から蹂躙されつつある、「国策発動の大同的協力に向つて、その気運の促進と到来とを・・・痛切に希望する」と論じる。社論は対中国強硬論に転換しつつある。別の個所では、「軍部の反動的強硬論にも国民は無条件的賛意を表しかねる」と武力行使を牽制するが、それも及び腰。
9月9日
奉天、東北辺防軍司令部、第2回中村事件調査隊呉根香、奉天軍栄臻参謀長に「屯墾軍第三団の関玉衝が部下に命じて中村らを殺害し金品を強奪した形跡あり」と報告。
つづく
毎年この時期になると、中国では必ずと言っていいほど話題になる「九一八」。1931年9月18日に起きた柳条湖事件です。我々も日本史で勉強しました。
— 藤田康介 (@mdfujita) September 18, 2026
中国では非常によく知られている出来事ですが、日本では詳しく知らない人も少なくありません。
柳条湖事件は、満州事変の始まりとなった事件です。… pic.twitter.com/QL64JVvyJD

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