「酢屋」というのは、「酢」を商うのではなく、材木商(中川嘉兵衛)なんですよね。
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③は中京区河原町通蛸薬師下ル西側にある近江屋の跡です。
慶応3(1867)年11月15日夜、2人はここで暗殺されます。
70年代に黒木和雄監督(亡くなられましたね)、役者は原田芳夫(竜馬役)、松田優作(この方も亡くなられた)、桃井かおりなどが出ている「竜馬暗殺」という映画がありました。
この時の原田の竜馬ぶりのは迫力はすごかったですよ。
それと、あの頃は、原田・桃井はコンビでよく映画にでてましたね。
この時の原田の竜馬ぶりのは迫力はすごかったですよ。
それと、あの頃は、原田・桃井はコンビでよく映画にでてましたね。
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司馬さんの暗殺シーンで、
「「ほたえなっ」とどなった。土佐言葉で、騒ぐな、という意味である。」
という一節がありますが、私の記憶では、「ほたえなっ」は、京都でも使ってました。司馬さんも関西なんで、この言葉をお使いではなかったのかなと、かねがね不思議に思っています。
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方言繋がりで・・・。
子供の頃、親に叱られた時などに、グチュグチュ言い訳すると「へんじょこんごいうな」とまた叱られた記憶があります。これって、変な言葉だとずっと思ってましたところ、高校生の頃か、多分、河野多恵子さんの書名を忘れた新潮文庫だったかの本に、その「へんじょこんご」の起源が書かれていて、疑問氷解となったのを思い出しました。河野さんも関西です。
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空海(弘法大師)が、805年に命がけで唐に渡り修行し、伝法阿闍梨位の灌頂を受けますが、その灌頂名が、「この世の一切を遍く照らす最上の者」を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)でした。
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専門でないので間違っているかもしれませんが、この灌頂の関連で真言宗の「お唱え」は「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」となっています。四国のお遍路さんの背中にもこれが書かれてます。
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これが転じて、「もったいないお唱え、有難い、有難い、でも長い、早く終わらんか」から、また転じて「ぐずぐず(長口上で)言い訳するな」になったようです。
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先ほどパラパラとネットを見たら、方言にこだわっている方もたくさんおられまして、その方たちの調査では、京都・大阪など関西、四国、出雲地方、山口、佐賀などでもこの「へんじょこんご」を使っていたそうです。
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バチ当りついでに・・・。
龍馬がもし暗殺されなかったら、その後はどうなったか?
①薩長同盟の立役者ですが、これは軍事的相互援助同盟で倒幕同盟ではないので、武力討幕にはくみしない。近しい関係にある松平慶永・伊達宗城などに近い路線をとる。
②維新後は、土佐出身ということもあり有司専制にはくみしない。西南戦争でも西郷にはくみしない。
板垣らの民権派、岩崎みたいに商売に進む、あたりではないでしょうか。
商船・軍船を率いて朝鮮半島へ、という最悪ストーリーもあり得る。・・・・。
こんなことをボケーと考えたりします。
(竜馬ファンにどつかれるかな)
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