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小田原市のHPから無断借用。
<稲葉一族の墓所>
墓所は、入生田の旧東海道から約700m入った長興山(標高209m)の中腹にあって、360段の石段を登った先にあります。 この墓所は、東西約20m、南北約9mの長方形で、三面を低い石垣で山際を区切り、正面は南を向いていて、石段を登ると正面に3m近い堂々とした8基の墓石が横に並んでいます。 墓石は、正面向かって左から、稲葉美濃守正則、稲葉丹後守正勝の正室、稲葉丹後守正勝、春日局(正勝の母)、稲葉美濃守正則の正室、稲葉丹後守正通の後室、稲葉美濃守正則の長兄、塚田木工助正家の墓および供養塔となっています。 墓および供養塔の型は、美濃守正則だけ位牌型で、そのほかは五輪塔です。 塚田正家は、丹後守正勝の近臣で、正勝の一周忌に殉死したので、その忠節をたたえ、藩主の墓地に葬られました。
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初代藩主の正勝の父は小早川秀秋の旧臣であった正成(美濃の稲葉重通の婿養子)、母は明智光秀の重臣斎藤利三の娘の福(春日局、家光の乳母)だそうです。
小早川家臣ということで関ヶ原ではいろいろあった(家康に内通の件)と思います。
家光の乳母春日の局の存在でわかるように、徳川家の信頼厚く、東海道の要衝小田原城を任されたのだと思います。
ナヴィゲータのシマさん、ご同行のヤマさん。お疲れサマ。
でもチョイ飲み過ぎかな。焼酎ボトル900ml空けて、追加で900は無理かと、350にしたらこれが2本。おまけに、お銚子大も3~4本転がってましたよ。モチロン、「とりあえずナマチュー」もあったし。
終電は間に合いました。
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