今年1月についで2回目です。
http://mokuou.blogspot.com/2009/01/blog-post_31.html
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茅葺の山門の向こうに参道がつづく。
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前回、このお寺非公開と書きましたが、今回、他の参観者の方の後にくっついて、中にも入らせて貰いました。
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「空山 人を見ず 但だ人語の響きを聞く」(王維)ってとこですかね。
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尼将軍北条政子の墓。嘉禄元年7月11日没(69歳)。
「コレ前大将軍ノ後室、二代将軍ノ母儀ナリ、前漢ノ呂后(リョコウ)ニ同ジク、天下ヲ執り行ハシメタマフ、若ハマタ神功皇后再生セシメ、我国ノ皇基ヲ擁護セシメタマフカト云々」と、「吾妻鏡」は最大級の賛辞を記す。
周囲の反対を押し切って流人頼朝と結婚、頼朝没後の武家政権の危機(特に承久の乱)を乗り切り、没直前まで伊賀氏事件を仕切るために奔走。
「吾妻鏡」の立場からすれば、あながち誇張ではないのか。
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お墓そのものは、「伝」ということだそうです。
「・・・ちなみに実朝の墓とされる岩窟は、牡丹と唐草との模様を胡粉で彩色しており、政子の方も彩色された痕跡があるという。考古学的知見と重ね合わせても、この五輪塔は鎌倉末から南北朝期のものとされており、これが政子・実朝に関係するとの確証はない。」(関幸彦「北条政子」)
「・・・ちなみに実朝の墓とされる岩窟は、牡丹と唐草との模様を胡粉で彩色しており、政子の方も彩色された痕跡があるという。考古学的知見と重ね合わせても、この五輪塔は鎌倉末から南北朝期のものとされており、これが政子・実朝に関係するとの確証はない。」(関幸彦「北条政子」)
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また、政子は晩年の居所である南新御堂で火葬され(「吾妻鏡」)、勝長寿院に葬られたとされています(実朝も勝長寿院に葬られる)(「河野真知郎「中世都市 鎌倉」)
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また、政子は晩年の居所である南新御堂で火葬され(「吾妻鏡」)、勝長寿院に葬られたとされています(実朝も勝長寿院に葬られる)(「河野真知郎「中世都市 鎌倉」)
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