2010年6月12日土曜日

大逆事件への処し方(3) 堺利彦の場合 売文社開業 「ここしばらく猫をかぶるの必要にせまられている」 ルソー生誕200年記念晩餐会・講演会開催

堺利彦は、大逆事件後の「冬の時代」を細々とではあってもとにかく生き抜くために、明治43年(1910)12月30日、幸徳秋水に面会した翌日の大晦日31日、四谷区南寺町の自宅に「売文社」を開業します。
文章代理業(女学校の卒業論文の代作、小学校新築落成の祝辞、法律書翻訳の下請けなど)を行うかたわら、浮世顧問の看板を出します。
そして、岡野辰之助が番頭格、高畠素之・荒畑寒村・大杉栄らが営業(自称技手)として、堺の家に住み込んで働きます(のち、百瀬晋・小原慎三・橋浦時雄などが参加)。
*
大正2年(1913)年9月の堺利彦の文章。
「日本の社会主義運動は今まさに一頓挫の場合である。したがってすべての社会主義者はここしばらく猫をかぶるの必要に迫られている。ただしその猫のかぶり方には色々の別がある。ただ沈黙して手も足も出さぬのも一種の猫かぶりである。少し保護色を取って何かやって見るのも固より猫かぶりである。ところが僕自身として考えてみるに、僕がもし保護色をとるとすれば、一歩右隣に退却して国家社会主義に行くより外はない。しかし退却はイヤである。そこでやむを得ず沈黙しておる次第である。」(「近代思想」)。 
*
そんな状況下、堺の面目躍如といえるのが、 
大正元年(1912)年6月28日に開催された「ルソー生誕200年記念晩餐会・講演会」
である。
大逆事件以降初めて、社会主義者・自由主義者が一同に会します。
*
発起人は、堺利彦・高島米峰。
晩餐会は神田淡路町料亭、40余参加。会費無料(京都府須知町の岩崎革也が寄付)。
三宅雪嶺・伊藤痴遊・根元日南・内田魯庵・生田長江・上司小剣・片上伸・野依秀一・福田英子・西川光二郎・山口孤剣・樋口伝・荒畑寒村・安成貞雄・白柳秀湖・守田有秋・大杉栄・高畠素之・吉川守邦ら(在京中の社会主義者と彼らと席を同じくする事を厭わない自由主義者)。
夜7時より講演会。
高島米峰「新しき人ルソー」、生田長江「文明史上のルソーの地位」、樋口勘次郎「教育史上のルソー」、福本日南「天民の自覚」、三宅雪嶺「ルソーと現代」、堺利彦「二十世紀のルソー」。
神田美土代町青年会館。参会者200人。警官隊100余。平穏に終る。
*
三宅雪嶺:秋水遺書「基督抹殺論」・堺「売文集」の序文を書く。
高島米峰:「基督抹殺論」出版の丙午出版社社長、新仏教徒同志会。
野依秀一:「実業之世界」社長野依秀市。戦後は反共主義者。売文社最大の顧客、「実業之世界」編集・執筆、当時の野依名で発表された文章の多くは売文社員によるもの。大杉・寒村「近代思想」の最大広告主。
*
新聞報道は、
黒岩周六「婁騒誕生二百年」(「万朝報」6月28日)、「ルッソー二百年祭(国民文学欄)」(「国民新聞」6月28日)、松居松葉の談話「仏国の誇りとするルソーの碑」(「東京日日新聞」6月30日)のみ。
*
雑誌では、「革命経典作家誕生二百周年」(「日本及日本人」6月1日)、同誌7月1日に加藤坧川「ルソーの片鱗」、磯部四郎「ルソーとその立場」、不繁舟「畸偉人ルソー」。三宅雪嶺の記念講演筆記「仏国革命の点火者ルソー」・久津見蕨村「ルソーとニイチエ」(「新仏教」8月号)。箕作元八「ルソーとその時代」、三宅雄一郎「ルソーの人物」、山田萃一郎「ルソーの二名著に現はれたる政治思想」、山岸光宣「ルソーと独逸文学」、浮田和民「ルソーの政治思想に含まれたる誤謬と真理」、塩沢昌貞「ルソーの経済思想」、片上伸「文学者としてのルソー」(「新日本」7月号「ルソー誕生二百周年記念」特集)。
これらは、新聞・雑誌責任者が記念会に関わりのあるもののみであった。
*
*
*
*

0 件のコメント: