2010年6月20日日曜日

京都 高瀬川に沿って木屋町通そぞろ歩き(2) 高瀬川一之船入 角倉氏邸址 兵部大輔従三位大村益次郎公遺址 佐久間象三遭難之碑 大村益次郎遭難之碑 桂小五郎・幾松寓居跡

高瀬川一之船入。
前回の「高瀬川源流庭園」のすぐ向かいにあります。
「船入」は、荷物の積み下ろしや船の方向転換を行う場所のことで、
この二条通りから四条通りまでの間に、「一」から「九」までの9ヶ所あったそうです。
この「一之船入」はずっと前にもご紹介したことがありました。



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角倉氏邸址
この地点は、高瀬川が川として一般の目に触れる起点にあります。
石碑の意味は、前回の「源流庭園」と同じです。
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兵部大輔従三位大村益次郎公遺址
司馬遼太郎が「花神」で描いた村田蔵六こと大村益次郎が、明治2年9月4日、このあたりの旅館で襲撃され重傷を負い、11月5日、40歳で亡くなります。
兵制改革で薩摩の某々と対立しており、その某々が襲撃の黒幕とも云われている。
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佐久間象三遭難之碑
元治元年(1864)7月11日、攘夷派により暗殺。
下手人は肥後の河上彦斉と云われている。
この月19日には禁門の変が起りますが、その直前の長州兵が続々京都を包囲しつつある騒然とした状況下でのことでした。
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上の佐久間象三の碑と並んで置かれている大村益次郎遭難之碑
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木屋町三条の角にある、佐久間・大村遭難碑を案内する石碑
この石碑の少し北方に上でご紹介した佐久間・大村遭難碑があります。
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桂小五郎・幾松寓居跡
のちに木戸孝允と改める桂小五郎が、これも後に正式に結婚して木戸松子となる祇園の芸妓幾松と暮した場所といいます。
現在は料理旅館。
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次回は、木屋町御池から三条通りまでをご紹介の予定です。
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「★京都インデックス」をご参照下さい
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