2010年6月28日月曜日

江戸城 平川橋 平川門 当時のままの「ぎぼし(擬宝珠)」

江戸城 平川門。
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竹橋から見た平川橋。
これで6月24日の午後5時44分です。
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同日昼間の平川橋と平川門。
スケッチされている方がたくさんおられたところをみると、このアングルが一番いい顔らしい。
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平川橋上から竹橋をみたところ。
正面のメガネの片方みたいのが竹橋。
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平川橋を渡って振り返ったところ。
毎日新聞社のあるパレスサイドビル。
「ガンバレ毎日」
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欄干の飾り、これを「ぎぼし(擬宝珠)」と呼ぶ。
これには、工事を請けた棟梁の名が刻まれている。
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「寛永元年」が読み取れる。
1624年、三代家光(21歳)の頃。
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こちらは慶長19年と読める。
1614年、大坂冬の陣の年である。
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これが平川門
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不浄門とも呼ばれ、浅野内匠頭もこの門から出されたと云う。
大奥(コチラ)からはこの門が一番近く、奥女中の通用門でもあったため「お局御門」とも云われたそうだ。
家光の乳母、春日局がある時何らかの理由で入門時刻に遅れ、門外に一晩野宿させられた逸話があるとも云われている。
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「★東京インデックス」をご参照下さい
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