昭和16年3月の永井荷風「断腸亭日録」より・・・
(適宜改行を施しています)
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昭和16年3月1日
三月初一。乍晴乍雨。風も亦寒し。終日家に在り。牛後森銑三君來り訪はる。大沼枕山の東京欒事を示さる 明治二年板
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3月2日
・三月初二 日曜日 氷雨ふりて寒し。午後熱海スターホテルの主人北海道製純良牛酪を手に入れたればとてそれを携へ来り訪はる。
熱海の浴客去年の碁よりまたまた増加し利益尠からずと云。・・・
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戦争成金という人たちのことなんでしょう。
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3月3日
三月初三。晴れて暖なり。午後鹿沼町の女突然尋ね来たる。田舎にての縁談思はしからざるにより十日程前東京に來り、只今は蠣殻町の待合××といふ家に住み込み、當分こゝにてかせぐつもりなりと言ふ。
住込みの女三四人あり。いづれもいそがしく一日ならし二拾圓のかせぎあり。
この待合の客筋には警視廰特高課の重立ちし役人、また翼賛会の大立物 其名は祕して言はず あれば手入れの心配は決してなしと語れり。新體制の腐敗早くも帝都の裏面にまで瀰漫せしなり。痛快なりと謂ふべし。
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これは戦争寄生虫というところか。
それにしても、この日、日記には「・」はないのがちょっと不思議。
(以下、くどいので「・」のことは云うのを止めます)
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3月5日
三月初五。晴。寒気甚し。午後華氏四十八度なり。谷崎氏書あり。
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3月8日
三月初八。曇天。春來初めて庭に出でゝ落葉を掃き雑草を除く。野生の福壽草花さけり。夜谷町にてタオルを買はむとするに配給の切符なければ賣らずと言へり。
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3月9日
・三月初九 日曜日 晴。哺下酒泉空庵來訪。菅竹浦子來書。
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3月10日
三月十日。空晴れわたり春風のそよそよと吹通ふ暖かさ、四月も花盛りのころの如し。
正午カメラを提げ向嶋木母寺に往き先年見残せし石碑及石垣寄進者人名を撮影す。梅岩塚周囲の石垣には文政頃の藝人歌妓俳優の名きざまれたり。兩國薬研堀昇亭北壽の名も見ゆ。・・・
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お寺は大好きです。
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3月13日
三月十三日。くもりて風なし。
來客を避けんとて午後門を出でしがさし當り行くべきところも無ければ、ふと思出づるがまゝ三田臺町の濟海寺を尋ね見たり。維新前彿蘭西公使の駐在せし寺なればなり。魚籃坂上の道を左に曲りたる右側に在り。石塀に石の門あり。堂宇は新しきものにて門墻と同じく一顧の値もなけれど、基地より裏手の崖には老樹欝蒼として茂りたるに、眼下には三田八幡かと思はるる朱塗の神社より、高輪の町を望み、猶品川灣をも眺め得るなり。・・・
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3月14日
・三月十四日。雨午後に霽る。信子來る。哺下三越楼上の洋書を見る。賣れ残の彿蘭西書冊も今は數ふるばかりになれり。銀座通にて高橋邦太郎氏に逢ひ路傍の一茶店に入り閑話半刻。田村町にてわかれて歸る。
岩波書店三月勘定
一珊瑚集 第三版ノ二 六千部 金壹百貮拾圓也
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相変わらず本がよく売れている。
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3月15日
三月十五日。春風飴蕩たり。牛後カメラ提げて伊皿子臺町に至り長應寺を尋ねたり。維新前和蘭陀及瑞西兩國の公使の駐剳せし寺なればなり。・・・
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「★永井荷風インデックス」 をご参照下さい。
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