2011年3月23日水曜日

夏目漱石「吾輩は猫である」再読私的ノート(補1) 「猫」執筆の明治37年(1904)11月の日本 第3回旅順総攻撃失敗

「吾輩は猫である」は日露戦争の真っ最中に発表された。
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年譜によると、
明治37年(1904)12月、漱石は勧められて初めて創作の筆を採る。
これが、「吾輩は猫である」と題され、山会(碧梧桐、虚子、四方太らの文章会)で、虚子の朗読により発表された、
とある。
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「黙翁年表」より、明治37年11月~12月を抜き出して、作品の書かれた時代背景の参考にする。
今回はまず11月。
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明治37年(1904)11月
・上海、光復会結成(蔡元培・秋瑾・陶成章・徐錫麟ら)。
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・黄興ら、長沙で挙兵を図って失敗。
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・与謝野晶子「ひらきぶみ」(「明星」)。桂月の批判へ反論。
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・吉野作造「大に黄禍論の起これかし」(「新人」)。日本が「満韓の主人」にあることの正当性。
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・平民新聞発行1周年記念平民絵葉書発行。
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・平民社婦人講演会。
菅谷いわ子(木下尚江妹)・寺本みち子・松岡文子(松岡荒村悟未亡人)の講演。
聴衆青山学院生徒神川松子・吉崎吉子、のち入社。
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・安部磯雄、「資本論」翻訳に専念するとして平民社から遠ざかる。
翌38年夏、早稲田大学野球部を率い渡米。
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・正宗白鳥「寂寞」(「新小説」)
・坪内逍遙「新曲浦島」(「早稲田大学出版」)
・綱島梁川「真理と人生」(「中央公論」)
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・ハンガリー首相ティサ、議会と対決し、反対派を力で抑圧したため国内の危機高まる(~12月)。
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・マックス・ウェーバー、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』」第1章を「アルヒーフ」第20巻に発表。
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11月1日
・ロシア・バルチック艦隊、ビーゴ港出港。
2日、モロッコ領タンジール入港。石炭補給。
4日、スエズ運河通航の独立支隊、タンジール出港。
5日、希望峰迂回の本隊、タンジール出港、ダカールを目指す。
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11月1日
・ジョージ・バーナード・ショー「ジョン・ブルのもう一つの島」初演。
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11月2日
・社会主義協会大演説会。神田YMCA。聴衆約1千。田添鉄二・佐治実然・幸徳秋水、
全て弁士中止。巡査と小競合い。
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11月2日
・(露暦10/20)ロシア、ペテルブルク、解放同盟第2回大会、立憲主義。
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11月3日
・天長節、国民後援会大会、日比谷、5万。
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11月3日
・植村正久、東京神学社設立。
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11月3日
・鉄幹・晶子、東京府豊多摩郡千駄ヶ谷村字大通549番地第四荻の家へ転居。明治書院の所有。
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11月6日
・石川三四郎「小学校教師に告ぐ」(「平民新聞」第52号)。発禁。
9日、編集人兼発行人西川・印刷人幸徳、朝憲紊乱で起訴。
第1審、印刷人幸徳禁固5ヶ月・編集人兼発行人西川禁固7ヶ月・夫々罰金50円。
「平民新聞」発禁。印刷機没収判決。
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11月8日
・大本営陸海軍部合同会議。伊東祐亨軍令部長・伊集院次長・山県有朋参謀総長・長岡次長。
9日午前1時、山県参謀総長名で大山総司令官に203高地(艦隊砲撃の拠点)占領要請電。
大山返電は203高地の戦略的重要性否定。第7師団増派要請。
山縣元帥は第3軍への第7師団増派決定。
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11月8日
・アメリカ大統領選挙、共和党のセオドア・ルーズベルト、民主党のバーカーを破り当選。
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11月10日
・第2回6分利付英貨公債1200万ポンド募集、公布。
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11月11日
・第7師団を第3軍戦闘序列に加える下命。
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11月12日
・バルチック艦隊、北アフリカ仏領ダカール入港。
フランス、港外での石炭積込勧告。
ロジェストヴェンスキー中将、港内積込強行。
16日、ダカール出港。
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11月13日
・平民新聞1周年記念号(第53号)に「共産党宣言」訳載(幸徳、堺訳)。
未明、発禁。
滝野川紅葉寺での園遊会禁止処分。
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11月13日
・ポーランド人民連合成立。ワルシャワ。
ポーランド社会党(パリ)、最初の武装デモ組織。
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11月14日
・午前、御前会議。桂首相・寺内陸相・山本海相・山県参謀総長・伊集院次長。
旅順艦隊を砲撃できる203高地攻略の必要性結論。大山総司令官に打電。
16日、大山総司令官より、203高地占領に全力尽くす旨返電。
203高地論争は満州軍総司令部が押し切る
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11月14日
・(露暦11/1)ロシア、綜合技術高専、ペテルブルク学生統一民主団呼掛け学生集会。
戦争即時停止、憲法制定会議即時召集。
17日、電機技術高専、女子医専。
18日、レスガフト医専門。
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11月15日
・横浜正金銀行、清国の遼陽に出張所設置。
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11月15日
・平民新聞第52号(「小学教師に告ぐ」)公判。
19日、1審判決。「平民新聞」発禁、幸徳・西川禁固5ヶ月、罰金50円、別に西川禁固2ヶ月。控訴。
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11月19日
・社説「民権拡張の好機」(「万朝報」)。
主戦論を唱えるが、挙国一致の義務あるところ、民権拡張の権利もあると主張。戦前からの普選論を継続。
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11月19日
・ハンガリー、全野党合同「連合」結成。議長コシュート・フェレンツ、実際指導者アポニとアンドラーシ。
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11月19日
・バルチック艦隊独立支隊、クレタ島スダ港集結。
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11月19日
・~21日(露暦11/6~8)サンクト・ペテルブルクで第3回ゼムストボ(地方自治会)代表大会開催
34県中33県100人以上、議長シーボフ。
代議制議会と市民の基本的人権としての自由を要求。憲法制定議会要求なし。
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11月20日
・「平民新聞」第54号英文欄、2日の社会主義協会演説会中止処分を弾劾。
25日「神戸クロニクル」紙は「平民新聞」を引用し、政府の弾圧政策を非難。
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11月21日
・大山総司令官、第3軍に旅順港内を眺望できる高地(203高地)一帯への攻撃・占領厳命。
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11月21日
・アメリカ、労働連盟大会、日本人・韓国人労働者排斥決議。
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11月22日
・第3軍司令部乃木大将に旅順攻撃、激励、勅語下命。
山県参謀長より漢詩が送られる。
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11月22日
・幸徳秋水(33)、横浜伊勢佐木町の相生座での社会主義演説会で「家庭と社会主義」を講演。
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11月23日
・乃木大将、11月26日総攻撃下命。
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11月23日
・非常特別税(織物消費税・塩専売・米籾輸入税)反対運動。
無所属代議士田口卯吉(「東京経済雑誌」社長)・島田三郎(「毎日新聞」社長)の呼掛けで、この日、全国各市選出代議士(総数73中42人が参加)が協議。
連日、政府、政友・憲本両党に訴え。
主力の無所属議員17人は「有志会」を組織。
第21議会では、板倉中・大縄久雄・浅野陽吉が反対討論を行う
(第20議会では増税反対を唱える者なし)。
戦後の悪税反対運動の発端となる。
また、この過程で講和反対運動に中小商工業者が参画するベースができる。
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11月23日
・独露間の同盟交渉(7月28日~)、露が仏の同意を条件としたため失敗。
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11月24日
・バルチック艦隊独立支隊、スエズ運河入口ポートサイド着。石炭積込制限受ける。
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11月25日
・特別支隊(「白襷隊」)編成。第1師団第2旅団長中村覚少将。3,105名。
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11月25日
・石川三四郎・斉藤兼次郎、「平民新聞」発禁を予期して予め後図を策し、「日本平民新聞」発行届出、警視庁受理拒否。
12月1日、同氏ら、学術雑誌「平和」発行届出。警視庁受理拒否。
翌明治38年1月18日、「曙新聞」、発行届出。再々度差し戻し。
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11月25日
・「平民新聞」大演説会。神田錦旗館。
西川「普通選挙の請願」・堺「新聞紙と紳士閥」・幸徳「ビスマルクの社会党弾圧」、中止。ついで解散命令。
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11月25日
・バルチック艦隊独立支隊、スエズ運河入り。
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11月26日
・第3回旅順総攻撃
午前8時、砲撃開始。
午後1時、総攻撃。正面攻撃失敗。
決死隊「白襷隊」3千余進撃。大半死傷。
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第1師団(松村務本中将):第2旅団第2連隊(渡辺祺十郎大佐)(松樹山攻撃隊)。
第1大隊(馬場鉾之助少佐)を突撃隊にして、第1・2突撃隊が突撃するが大半が死傷。退却。
午後5時30分、第3大隊が第2次突撃、失敗、退却。
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第9師団:
二龍山堡塁に向った右翼左の第18旅団(平佐良蔵少将)第36連隊第1大隊(田中貫一少佐)、第1中隊1個小隊を突進させるが、殆どが死傷。田中大隊長は退却下命。
右翼中央の第19連隊(服部直彦中佐)第1大隊が突撃するが死傷者続出。
うち第4中隊は十数人が敵塁に突入するが、全滅。
予備隊第2大隊が増派されるが、ロシア側の抵抗強靭で両大隊併せて70に減少。
盤龍山第1砲台に向った左翼の第6旅団(一戸兵衛少将)第7連隊は第2大隊第5中隊・第3大隊第11中隊が突撃し、ほぼ全滅。
両大隊より4中隊を増派するも、敵砲台の囲壁に到達する者なし。
盤龍山望台に向った左翼の第6旅団第35連隊(佐藤兼毅中佐)第1大隊(峰田俊少佐)が突撃、第3中隊半数と第4中隊数十人が囲壁に到達するが、やがて全員死傷。峰田少佐負傷。
第2大隊2中隊が続くが、過半を失う。
第6旅団一戸少将は第35連隊に攻撃中止命令。
午後3時30分、右翼第19・36連隊が攻撃再開。
第36連隊第3大隊長原田清次郎少佐戦死。第19連隊長服部中佐負傷。
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第11師団(土屋光春中将):
①第22旅団(前田隆礼少将)第43連隊(西山保之大佐)は第1大隊(渡辺小太郎少佐)から突撃隊を選抜し望台東斜面に向う。
選抜隊は大半を損失、続く第4中隊一部が囲壁に辿りつく。
続く第1・2中隊は到達できず。連隊長西山大佐負傷。
②第10旅団(山中信義少将)第22連隊(青木助次郎大佐)は東鶏冠山北堡塁に向う。
正面攻撃の第1大隊4中隊はいずれも死傷。
続く第3大隊(佐々木栄次郎少佐)第11中隊は陣地を出て20m地点で全滅。
第1大隊長福地守太郎少佐・第2大隊長厚東秀吉大尉戦死、第3大隊長佐々木少佐負傷。
③第10旅団第44連隊(石原大佐)は東鶏冠山第2堡塁に向う。
第1大隊3中隊が突撃するが前進中断。
④第22旅団第12連隊(新山良知大佐)は東鶏冠山に向う。
第3大隊(志岐守治少佐)は第1~4突撃隊を編成。
第1突撃隊第10中隊長代理橋本鹿之助中尉が敵散兵壕に単身突入、中隊および第2突撃隊第9中隊が続き、散兵壕を奪取。
ロシア兵は三方から散兵壕に迫る。
志岐大隊長・第11中隊長北原信次大尉・第9中隊長村田利行大尉・第12中隊長筑士大尉負傷。
午後3時過ぎ、ロシア軍の逆襲。
午後4時10分、突撃陣地の確保も危うくなり、散兵壕より退却。
第12連隊はほぼ全滅状況(第2大隊:死傷313・残兵137、第3大隊:死傷372・残兵49)。
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午後5時、乃木大将、「白襷隊」に松樹山4砲台付近の敵塁占領下命(敵をひきつけ来援を待て)。
午後8時50分、第1師団特別連隊2大隊が突撃、先頭は散兵壕に飛び込む。そこには地雷炸裂と手榴弾「雨注」。
次に、第11師団第12連隊第1大隊が続くが散兵壕に至らず、大隊長児玉象一郎少佐ら死傷。
午後9時30分、第25連隊第2大隊が散兵壕に向うが、先発した第35連隊第2大隊が退却してきて、突撃の状況にはない。
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11月26日
・バルチック艦隊、フランス領ガボンのリーブビル港外20カイリの領海外に到着。
現地のフランス知事は、同港で載炭せず70カイリ離れたロペス湾での作業を要請。
載炭後、12月1日、ガボン発。
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11月27日
・午前2時、「白襷隊」を含む全攻撃部隊から、第1目標すら攻略できないで突撃中止の報告。
午前10時、第3軍司令官乃木大将、「正面攻撃中止、203高地攻撃」下命。
午前10時30分、203高地砲撃開始。
午後6時、第1師団(松村中将)第1旅団(馬場命英少将)第1連隊が203高地東北部(第3大隊)と老虎溝山(第1大隊)攻撃。
午後6時50分、第1大隊が老虎溝山西部山頂堡塁に突入。
午後7時40分、第1師団後備第1旅団(友安治延少将)後備第15連隊が203高地西南部に突撃。難渋。
午後10時、老虎溝山にロシア軍の逆襲。
第1旅団の突撃隊は第1線散兵壕に後退。
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11月27日
・バルチック艦隊独立支隊、スエズ運河通航、紅海南下。
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11月27日
・(露暦10/14)獄死した学生マルイシェフ葬送デモ。
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11月28日
・夜明け、203高地への砲撃。
午前8時10分、後備第1旅団後備第15連隊(香月中佐)第1・2大隊が203高地西南部に突進。
午前10時30分、援軍を得て再突入。203高地頂上占領。
ロシア軍の逆襲により山頂の兵士は全て死傷、山頂へ進む兵士は退却。
正午、備第15連隊は三度突進、203高地西南部一部奪回。東北部に向う第1連隊は連隊長田中中佐負傷し突撃態勢とれず。
午後1時40分、第1旅団(馬場命英少将)第1連隊長代理枝吉歌麿大佐が203高地東北部に突撃するが、先頭は40m進んだ地点で全滅。
午後4時、総攻撃(西南部を後備第15連隊が、東北部を第1連隊が)。足並み乱れ、西南部への突撃のみ。西南部山頂の一部と第2線散兵壕の維持に留まる。
午後4時30分、東北部への攻撃。一旦山頂一部を奪取するが、逆襲により中腹散兵壕に退却。第15連隊は老虎溝山に向かい、一旦山頂堡塁を占領するも、退却。
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11月28日
・西川光二郎、足尾金田座講演会。聴衆1千余。長岡鶴造(労働同志会組織運動)の招き。
29日、足尾いろは座で演説会。
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11月28日
・第21議会召集。30日開会、1905年2月27日閉会。
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11月29日
・午前0時30分、ロシア軍の逆襲。
203高地西南部一部占領の後備第15連隊香月中佐部隊の第1線は全滅、第2散兵壕の維持がぜいぜい。東北部中腹の第1連隊は連隊長代理枝吉少佐が戦死。
午前2時、第1師団長松村少将は203高地・老虎溝山攻撃失敗を報告。
乃木大将は、第7師団(大迫尚敏中将)に第1・7師団を指揮させて203高地攻略を決める。
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11月29日
・午後8時、満州軍参謀総長児玉大将、「第三軍司令官に代わり指揮可」との大山元帥の一札持ち烟台の総司令部を出発。
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11月30日
・乃木大将次男保典少尉、戦死。
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11月30日
・午前6時、満州軍総参謀長児玉大将、遼陽発。
午前10時、第1・7師団による203高地・老虎溝山攻撃開始。
夜襲により、203高地西南・東北部に進出。
西南部では第26連隊第2大隊長静田一郎少佐・後備第15連隊第1大隊長林昭正少佐ら負傷。
東北部では第7師団第28連隊第10中隊と第27連隊第11中隊が山頂に到達。
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11月30日
・政府、一般経費を削減して軍事費を歳出の35.5%とする1995年度予算案を衆議院に提出。
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