2011年3月16日水曜日

永禄2年(1559)10月~12月 本願寺顕如(17歳)、門跡に列する 宣教師ガスパル・ヴィレラ、京都で布教活動始める  [信長26歳]

永禄2年(1559)10月
この月
・宣教師ガスパル・ヴィレラ、豊後府内から堺を訪問。ロレンソ、ダミアンなど3人の日本人が従う。
ヴィレラは永禄4年8月、再び堺を訪れ、日比屋了珪の援助で精力的な布教活動を行う。
ヴィレラは瀬戸内海を東上中、異教徒の反感を買い下船させられるが、同じ船に乗り合わせた堺の女性ウルスラに洗礼を授けていた(おそらく畿内での最初の信者)。
堺に着いたヴィレラは、ウルスラの好意で、海岸にある貧しい彼女の義兄弟ソーゼン(宗全)の家に泊まる。
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10月2日
・松永久秀、春日社に参り神馬1疋を奉納。また若宮へは12貫神楽を奉納。
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10月5日
・大友義鎮、香椎社中に徳政令を下知。
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10月6日
・絵師狩野元信(84)、没。
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10月9日
・正親町天皇、広橋国光へ、山科言継の内々の披露を受け足利義輝への山科言継知行分山科郷の押領停止を通知する「女房奉書」を下す(「言継卿記」6)。
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10月12日
・信長の娘、五徳誕生。
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10月18日
・幕府、京都梅ヶ畑供御人に関役を免除(「梅畑村共有文書」)。
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10月22日
・筒井衆、椿尾上城から出陣し横井を焼き払い、救援に赴いた松永方の郡山辰巳衆らと戦う。
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10月26日
・将軍義輝の御所の小座敷立柱上棟(「言継卿記」6)。
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10月26日
・上杉景虎(謙信)、越後に帰る。
28日、関東管領就任祝宴。関八州平定支度。
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10月27日
・山科言継、庭田重保を訪問、正親町天皇即位装束借用を求められ承諾。
次いで五辻為仲を訪問し即位装束を借用(「言継卿記」6)。
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11月3日
・幕府、禁裏六町へ足利義輝第の堀開削の役を勤めさせる(「御湯殿上日記」)。
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11月9日
・大友義鎮、九州探題に補せらる。
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11月20日
・正親町天皇、松永久秀の右筆楠正虎に楠木正成の罪の赦免を伝え、正虎を河内守に任命。
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11月24日
・松永久秀、山城勝軍山城を攻め、六角氏方の永原安芸守を討つ。
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11月27日
・将軍義輝、正親町天皇の即位式の延期を要請、朝廷でこれを協議。
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12月15日
・朝廷、勅使万里小路秀房を本願寺顕如のもとへ遣わし、門跡勅許を伝達。
27日、本願寺顕如(光佐、17)、門跡に列する
本願寺顕如が門跡就任の返礼に朝廷に2万疋、将軍義輝に1万疋の銭を献上。
翌永禄3年5月、顕如祖母慶寿院、従二位に叙任(在野女性としては破格)。
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12月18日
・三好長慶の嫡子孫次郎慶興、義興と改名。
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12月20日
・信長、義輝の奉行人大館晴光に宛て、義輝からの御内書を受けた礼を述べ馬を献上。
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12月23日
・北条氏康(45)、嫡男氏政(22)に家督を譲る。
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12月24日
宣教師ガスパル・ヴィレラ、豊後府内より上洛。三好長慶・松永久秀と親交を結ぶ
三好長慶、布教許可を幕府に要請。長慶家臣にも70人信者。
翌年、義輝に謁見。
同年夏頃、布教許可。洛中の革棚(現、四条新町)に拠点を置いて熱心な伝道を始める。
ヴィレラは宗麟から幕府政所執事伊勢貞考を介して幕府に浸透してゆく。
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ガスパル・ヴィレラと日本人修道士ロレンソは、再び比叡山に上り、天台座主より京での布教の允許を得るよう働きかけるが、延暦寺側の態度が煮えきらず、ヴィレラは允許なしに京に定住して教えを弘める決心を固める。
ヴィレラ達は住居を転々とした後、下京四条坊門の姥柳という土地に定住。    
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天文23(1554)年、ロレンソは山口でコスメ・デ・トルレス神父(ザビエル離日後の布教の中心人物)より、比叡山で天台座主から京での布教の允許を得るよう命じられる。
比叡山では、座主に面会するには身分の高い人の紹介状が必要と教えられ、山口に引き返し初のキリスト教会大道寺の創建を許可した大内義長(大友宗麟の弟晴英)の紹介状を得る。
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12月24日
・ジャン・カルヴァン、喀血。
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12月25日
・教皇ピウス(ピオ)4世、即位(位1559~1565)。
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「★織田信長インデックス」 をご参照下さい。
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