2011年3月17日木曜日

樋口一葉日記抄 明治27年(1894)3月(22歳) 「唯此死といふ事をかけて、浮世を月花におくらんとす。」(樋口一葉「塵之中日記(ちりのなかにつき)」)

明治27年(1894)3月(22歳)
この時期、一葉は糊口的文学脱却を目指して商い(吉原周辺の貧民相手の雑貨、駄菓子の商い)を初めているが、年初より不振にみまわれ、生活は逼迫し、四面楚歌の状況に陥っている。
しかし、結果論的に見ると、この時期はまた、一葉の人生最高の文学的高揚を迎える準備期でもある。
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この頃(3月頃)、一葉は日付のない感想文を三つ書き残している。
今回はその二つ目をご紹介する。
なかなか一葉の真意は理解し難いものがありますが、一葉の必死さは伝わってきます。
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塵之中日記(ちりのなかにつき) 
表書年月「二十七年三月」。
署名「樋口夏子」。
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日々にうつり行(ユク)こゝろの、哀れいつの時にか誠のさとりを得て、古潭(コタン)の水の月をうかペるごとならんとすらん。
愚かなるこゝろのならひ、時にしたがひことに移りて、かなしきは一筋にかなしく、をかしきは一筋にをかしく、こしかたをわすれ行末をもおもはで、身をふるまふらんこそ、うたても有けれ。
こゝろはいたづらに雲井(クモイ)にまでのぼりて、おもふ事はきよくいさざよく、人はおそるらむ死といふことをも、唯(タダ)嵐の前の塵とあきらめて、山桜ちるをことはりとおもへば、あらしもさまでおそろしからず、唯此死といふ事をかけて、浮世を月花(ツキハナ)におくらんとす
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(現代語訳)
日々に移り行く心は、いつになったら本当の悟りを得て、水に澄む月のような心境になれるの。
愚かな私の心は時の流れとともに移り変わり、事あるたびに揺れ動き、悲しい時はただもう悲しいばかり、おかしい時はただもうおかしいばかりで、過去を忘れ未来を思わず、その場限りの生き方をしているのは、本当に情けない思いである。
心は雲の上まで高く登り、清くいさざよい事ばかりを考え、人の恐れる死というものも塵のようにはかないものとあきらめて、山桜が散るようにやがて死ぬのは道理だと思えば、嵐もそれ程恐ろしいこともない。
このように死ということを覚悟した上で、浮世を風流に楽しく生きて行こうと思う。
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ひとへにおもへば、其(ソノ)いにしへのかしこき人々も、此願ひにほかならじ。
さる物から、おもふまゝを行なひておもひのまゝに世を経んとするは、大凡(オホヨソ)人の願ふ処なめれど、さも成がたきことなれば、人々身を屈し、ことをはゞかりて、心は悟らんとしつゝ、身は迷ひのうちに終るらんよ。
あはれはかなしやな。虚無のうきよに君もなし、臣もなし君といふ、そもそも偽(イツワリ)也、臣といふも、又偽也。
いつはりといヘども、これありてはじめて人道さだまる。・・・
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「君もなし、臣もなし。」:
師匠の中島歌子のことを言っているのか。
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(現代語訳)
よく考えてみると、昔の賢人たちもこのことを願っていたのでしょう。
そうは言っても、思うままを行って思うままに暮らそうとするのは誰でも願うところですが、そうも出来ないので、大方の人は自分の考えを曲げて遠慮し、心では悟ろうと努力しながらも現実には迷いのなかに一生を終わるようです。
本当にはかない事です。この虚無の人生には君とか臣とかの区別はないのです。君といっても仮のものです。臣というのも仮のものです。
しかし仮のものとは言っても、現実にはこれがあって、人の生きる道がきまっているのです。
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・・・四時(シイジ)の順環(ジユンクワン)、日月(ニチゲツ)の出入(デイリ)、うきよはひとりゆかず、天地はひとり存せず。
地に花あり、天に月あり。香(カ)は空(クウ)にして、色は目にうつる。あれも少(セウ)とし難く、これも大とはいひ難し。
されば、人世(ジンセイ)に事を行はんもの、かぎりなき空(クウ)をつゝんで、限りある実(ジツ)をつとめざるべからず。・・・
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(現代語訳)
季節の巡りや日月の出入りを見てもわかるように、人生も天地も、それだけが勝手に動いているのではない。
地には花があり天には月がある。花の香りは空に流れ、月の色は目に映る。そこには大小の差はない。
だから人生で何かを行おうとする者は無限の空を内に抱いて、有限の実を行うのです。
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「★樋口一葉インデックス」 をご参照下さい。
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