東京 北の丸公園 2012-12-05
*ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(53)
「第4章 徹底的な浄化 - 効果を上げる国家テロ - 」(その2)
裁判を受けずに長寿を全うしたピノチェト
二〇〇六年一二月にピノチェトが九一歳で死亡すると、彼が大統領在任中に犯した殺人や誘拐、拷問から汚職や脱税に至る数々の犯罪で裁判にかけようという動きがいくつも起きた。
レテリエルの遺族は数十年にわたって、ワシントンでの爆破事件の首謀者としてのピノチェト告発と、この事件に関する米当局の資料公開を求めてきた。
だが結局、ピノチェトは迫りくる死を前にすべての裁判を逃れる。
そしてクーデターを起こしたことと、「プロレタリアート独裁」を回避するために「最大限の過酷な手段」を用いたことを正当化する書簡を、死後発表するのだ。
「一九七三年九月一一日、軍事行動に出る必要がなければどんなに良かったことか!」と彼は書く。
「マルクス・レーニン主義イデオロギーがわが祖国に入ってこなければどんなに良かったこと!」
終身刑となったアルゼンチンの元警察本部長ミゲル・オスバルド・エチェコラッツ
ラテンアメリカの恐怖の時代におけるすべての犯罪者が、これほど幸運だったわけではない。
アルゼンチンの軍事独裁政権崩壊から二三年後の二〇〇六年九月、テロの主要な実行者の一人がついに終身刑を言い渡された。
軍政期にブエノスアイレス州の警察本部長だったミゲル・オスバルド・エチェコラッツである。
二回行方不明になった男
この歴史的裁判の最中、重要な証人のホルへ・フリオ・ロペスが行方不明になった。
ロペスには七〇年代に残虐な拷問を受けたあげくに解放された過去があるが、それと同じことがふたたび起きたのだ。
その後アルゼンチンでは、ロペスは「二回行方不明になった」最初の人物と呼ばれるようになる。二〇〇七年半ばの時点で彼の消息はいまだに不明であり、彼が今後証人になる人々への警告として誘拐されたことは警察もほぼ確信していた - あの恐怖の時代と同じやり日である。
アルゼンチン連邦裁判所のカルロス・ロザンスキー判事は、
これは対立陣営の衝突ではなく、「ジェノサイド」だと主張
この事件を担当したアルゼンチン連邦裁判所のカルロス・ロザンスキー判事(当時五五歳)は、エチェコラッツが六件の殺人と六件の違法拘禁、七件の拷問で有罪であるとの判断を示した。
ロザンスキー判事は判決を下すとともに異例の発言を行なった。
有罪判決はエチェコラッツが犯した罪の本質に十分見合うものではなく、「集合的記憶を構築する」ために、これらすべては「一九七六年から一九八三年までの間にアルゼンチン共和国で起きた集団虐殺(ジェノサイド)という状況のなかで行なわれた非人道的犯罪」であることをつけ加えなければならない、と述べたのだ。
この判決によって、ロザンスキー判事はアルゼンチンの歴史を書き換えることに貢献した。
七〇年代に左翼活動家が多数殺害されたのは、対立する二つの陣営が衝突しさまざまな罪が犯された「汚い戦争」の一部にすぎないというのが、数十年間流布されてきた「公式の歴史」だが、彼はそれに異を唱えた。
そしてこうも主張した。
行方不明になった人々は、単にサディズムに酔いしれた狂気の独裁者とその個人的権力の犠牲者であるだけではない。
実際に起きたのは、より科学的で身の毛がよだつほど理性的なことだった。
「この国を支配していた人々によって実行された絶滅計画」が存在したのだ、と。
殺害は軍事政権の体制の一部であり、周到に計画され、まったく同じやり方で国の至るところでくり返されたと、ロザンスキーは指摘した。
それは個々人に対する攻撃ではなく、そうした人々によって代表される社会の一部を壊滅させるという明確な意図のもとで行なわれた。
ジェノサイドとは単なる個人の集合ではなく、ある特定の集団を殺害することを目的にしたものを指すのであり、したがってそれは紛れもないジェノサイドだったと彼は主張した。
「ジェノサイド」という言葉にはさまざまな議論があることを認識していた彼は、この言葉を選んだ理由について長い説明をつけている。
国連ジェノサイド条約はジェノサイドを「国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図をもって行なわれる」犯罪と定義しているが、政治的信条に基づく集団を抹消すること(たとえばアルゼンチンのように)は条約には含まれていない。
だが、それを除外したことは法的に正当ではないとして、ロザンスキーはほとんど知られていない国連の歴史の一幕に言及する。
一九四六年一二月一一日、ナチスによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)を受け、国連総会は「人種的、宗教的、政治的および他の集団の全部または一部を破壊する」ジェノサイド行為を禁止する決議を全会一致で採択した。
ところが二年後のジェノサイド条約では「政治的」という言葉が削除された。
これはスターリンが反対したことによる。
もし「政治的集団」を破壊することがジェノサイドだとすれば、彼が行なった血の粛清や政治犯を大量に強制収容所送りにしたことはジェノサイドとみなされてしまうからだ。
政敵を消滅させる権利を保持しておきたい各国指導者はスターリン以外にも十分にいたため、「政治的」という言葉は削除されてしまったのだ。
スペインのパルタサル・ガルソン判事も、アルゼンチンで起きたのはジェノサイドであると主張
こうした自己利害に基づく妥協とは無縁の、国連のもともとの定義のほうがより正当だとロザンスキーは書く。
さらに彼は、一九九八年にスペイン国家法廷が、アルゼンチンで軍事政権が行なった悪名高い拷問のひとつに「ジェノサイド」の判決を下したことについても言及する。
アルゼンチン軍事政権がに壊滅させようとした集団とは、「同国に確立されつつあった新秩序に適切だと抑圧者たちがみなすモデルに適合しない市民」だったと、スペイン法廷は定義した。
翌一九九九年、アウグスト・ピノチェトに逮捕状を出したことで知られるスペインのパルタサル・ガルソン判事も、アルゼンチンで起きたのはジェノサイドであると主張し、絶滅の標的になった集団について定義を試みた。
軍事政権の目的は「ヒトラーがドイツで達成しようとしたのと同じ新しい秩序の確立であり、そこにはある一定のタイプの人間が存在する余地はなかった」と彼は書く。
新秩序に適合しない人々とは、「新しいアルゼンチン国家の理想的な形態にとって障害となる部門に属する」者だった。
*ポルトガル、ペルー、コスタリカなど、ジェノサイドの定義に政治的集団あるいは「社会的集団」を明らかに含めたうえで、刑法でジェノサイド行為を禁止している国は少なくない。
フランス法の定義はさらに広く、ジェノサイドを「なんらかの恣意的基準によって確定された集団」の全部または一部を破壊することを意図した計画と定義している。
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