2015年1月6日火曜日

火論 : それは晴れた日に=玉木研二 (毎日新聞) : 「しばしば歴史は、「明るい社会」とともに転落のふちへ向かうものらしい」

火論:それは晴れた日に=玉木研二
毎日新聞 2015年01月06日 東京朝刊
 <ka−ron>

 <見るべきもの一本もなく、ファンをして、徒(いたず)らに日本映画の索漠たる風景を嘆かしめる>

 1936(昭和11)年9月21日付東京日日新聞(現毎日新聞)の「映画週評」でこう書いたのは32歳、気鋭の映画評論家、岩崎昶(あきら)だった。

 各館に陸海軍後援の勇ましい<国策映画>が並ぶ。岩崎は<行き詰った生活や、険悪な国際情勢からしばしの間だけでも面をそむけようと考えて、映画館に足を踏み入れたのに、そこでもまたこういう種類の映画しか見せられない見物の人達の気の毒>をいい、<こういう現象は、われわれに多くの思考の材料を与えるものである>と皮肉る。

 この年、陸軍青年将校らが国家改造を唱えて武力反乱を起こした2・26事件が発生、これを機に、政治への軍部の介入と威圧は制御できないものになっていく。

 しかし新聞を見ると、街の生活は活気があり、広告は多く、批判の筆も生きている。偶然この記事を見て不思議だったのは、戦前は冷厳な統制一色の時代と私の頭に刷り込まれていたからだろう。

 しばしば歴史は、「明るい社会」とともに転落のふちへ向かうものらしい。

 昨年公開された松竹映画「小さいおうち」(中島京子原作、山田洋次監督)は、その36年、東京の中流家庭に「女中奉公」したタキが現代から回想して展開する。

 印象的なせりふがある。にぎやかで楽しい都会生活をタキが振り返ったのを、血縁の大学生健史(たけし)がいぶかる。

 「間違っているよ。昭和11年の日本人がそんなに浮き浮きしているわけないよ。2・26事件の年だろう? だめだよ、過去を美化しちゃ」

 健史は「あのころは軍国主義の嵐が吹き荒れていた」と信じている。タキは言う。

 「吹いてないよ。いい天気だった。毎日楽しかった」

 教科書と年表によれば、健史の理解が正しいのだろう。

 しかし、本当に恐るべきは、喜怒哀楽に彩られた日常生活に寄り添うように、しばしば前触れもなく、総動員の戦争のような「破局」が立ち現れることではないか。それは、国民が油断している間に軍閥の策略で−−などという構図だけでは説明できない。

 いったいなぜこんな抜き差しならぬ事態になったか、誰も説明できない(最高指導層さえも!)まま坂道を転がり落ちる。嵐とともにではなく、晴れた日にである。

 その不可解さは「戦後70年」の今も解けていない。おそらく、あの時代限りのものでもない。(専門編集委員)

0 件のコメント: