(『朝日新聞』2015-01-29論壇時評)
イスラム過激派組織「イスラム国」に、ふたりの日本人が人質として捕らえられた。いまわたしがこの文章を書いている火曜深夜、事態は流動的だ。
①太田光(爆笑問題)、テレビ番組「サンデー・ジャポン」での発言(1月25日)
爆笑問題の太田光はこの事件に関し、報道の問題として「黙ることが必要なときもあるんじゃないか」とテレビで語った(①)。太田光が沈黙を求めたほんとうの理由はわからない。けれど、いまのわたしは同じことを感じている。
テロにどう対処するのか、政府や国家、「国民」と名指しされたわたしたちは、こんな時どうすべきなのか。わたしにも「意見」はある。だが、書く気にはなれない。もっと別のことが頭をよぎる。
動画を見た。オレンジの「拘束衣」を着せられ、跪かされ、自分の死について語る男の声をすぐ横で聞かされながら、ふたりはなにを考えていたのだろうか。その思いが初めにある。「意見」はその後だ。
②スーザン・ソンタグ、2001年のエルサレム質受賞スピーチ「言葉たちの良心」から(『同じ時のなかで』〈09年刊〉所収)
同時代の誰よりも鋭く、考え抜かれた意見の持ち主であったにもかかわらず、スーザン・ソンタグは、「意見」を持つことに慎重だった(②)。
「意見というものの困った点は、私たちはそれに固着しがちだという点である・・・何ごとであれ、そこにはつねに、それ以上のことがある。どんな出来事でも、ほかにも出来事がある」
そこにはつねに、それ以上のことがある。目に見えるそれ、とりあえずの知識で知っているそれ。それ以上のことが、そこにはある。そのことを覚えておきたい。なにか「意見」があるとしても。
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③エマニュエル・トッド、インタビュー「パリ銃撃テロ 移民の子、追い込む風潮」(読売新聞1月12日付)
やはりイスラム過激派によるテロがフランスで起こった。「預言者ムハンマド」の風刺画を出した週刊紙「シャルリー・エブド」編集部が襲撃され、十数人が亡くなった。「表現の自由」が侵害されたとしてフランス中が愛国の感情に沸き立つ中で、フランスを代表する知の人、エマニユエル・トッドは、インタビューにこう答えた(③)。
「私も言論の自由が民主主義の柱だと考える。だが、ムハンマドやイエスを愚弄し続ける『シャルリー・エブド』のあり方は、不信の時代では、有効ではないと思う。移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾(つば)を吐きかけるような行為だ。ところがフランスは今、『私はシャルリーだ』と名乗り、犠牲者たちと共にある。私は感情に流されて、理性を失いたくない。今、フランスで発言すれば、『テロリストにくみする』と受けとめられ、袋だたきに遭うだろう。だからフランスでは取材に応じていない。独りぼっちの気分だ」
トッドを「独りぽっちの気分」にさせたその国ではなにが起こっているのか。
④ジャニーン・ディジョバンニ「フランスの衝撃、フランスの不屈」(ニューズウィーク日本版1月20日号)
「移民2世や3世のイスラム教徒の若者は権利を奪われ、チャンスも未来もないと感じている。殺伐とした高層住宅が並ぶパリ郊外の貧困地区には、多くのイスラム系住民が暮らす。よほどの幸運か意志がなければ、そこを抜け出すのは不可能に近い」とジャニーン・ディジョバンニは書いた(④)。
⑤竹下誠二郎「移民家庭出身の若者がイスラム国の戦闘員に 欧州に迫る新たな脅威」(週刊ダイヤモンド1月17日号)
ヨーロッパは多元的な文化の融和を目指してきた。だが、それは困難に直面している。「イスラム国」に象徴される、イスラム過激派を表立って支持する者はいない。だが、竹下誠二郎によれば、ある調査は「フランスでのISIS(イスラム国)への支持率は16%に達するが、移民のルーツを持ち、社会的に隔離されているか失業している若者に至っては27%にもなる」と伝えている(⑤)。
ヨーロッパの移民社会の若者たちは貧困と差別の中で、行き場を失いつつある。明るい希望がないなら、せめての希望は、自分を受け入れない豊かな社会が壊れる情景を見ること、となるだろう。
この、社会の深刻な分裂を糧にして、移民を排斥する極右は不気味に支持を伸ばしている。だが、これらすべては、わたしたち日本人にとって「対岸の火事」ではない。この国でも、貧困と差別は確実に拡大しつづけているのだから。
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⑥ロバート・クラム、インタビュー「Legendary Cartoonist Robert Crumb on the Massacre in Paris」(ニューヨーク・オブザーバーのサイト、1月10日、英文、
http://observer.com/2015/01/legendary-cartoonist-robert-crumb-on-the-massacre-in-paris/)
襲撃事件から数日後、「二十世紀のもっとも偉大な風刺漫画家」ともいうべきアメリカ人ロバート・クラムのインタビューが掲載された(⑥)。彼は四半世紀にわたってフランスに住んでいたのだ。
クラムは、ことばを慎重に選びながら、「表現の自由」を守れと熱狂するフランスへの静かな違和を語った。
「9・11の同時多発テロの時と同じだ。国の安全保障が最優先され、それに反するものは押しつぶされるのだ」
「それで、あなたは何をしているのですか?」と記者は重ねて訊ねた。
「わたしは(風刺)漫画を描いた。ひとりの臆病な(風刺)漫画家としてね」
クラムは「意見」を述べるのではなく、漫画を描くことを選んだ。
クラムが描いたのは、クラムらしき人物が申し訳なさそうに「ムハンマドの尻」と題された風刺画を抱えている画(え)だった。「シャルリー・エプド」の漫画家たちがムハンマドの顔を描いてイスラム教徒を挑発したことを逆手にとった画だった。しかも、その尻の持ち主ムハンマドはクラムの友人の名前だった。
そこで風刺されているのは、クラム自身、あるいは、この状況の下で右往左往する人びとすべてであるように思えた。
周りの熱狂から取り残されて、クラムの画は「独りぼっち」に見えた。だが、風刺とは、自分自身さえ例外にせず、あらゆる熱狂を冷たく笑うことだということをクラムは知っていたのだ。
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