パウル・クレー(1879-1940) 『破壊と希望』(1916大正5年)
「ゴルツのためのリトグラフに彩色を始めた」。1916年8月からシュライスハイム航空学校に配属されて軍用機輸送の任に就いていたクレーは、その年10月23日の日記にこう記している。ここで言及されている「リトグラフ」が、ミュンヘンの画商ゴルツの依頼を受けて制作した《破壊と希望》である。すでに前年の初頭には線のみのコンポジションは完成していたが、それから1年以上を経た翌年秋になってクレーはそれを取り出し、新たに水彩で彩色を始めたのである。『パウル・クレー版画総目録(レゾネ)』によると、この作品には、題名を≪破壊と希望》ではなく、《廃墟と希望》とした2点の試刷りが知られている。対角線状に交差する格子と細かな線によるキュビスム的なコンポジションは、戦争によって廃墟と化した世界を連想させ、星・月・三日月という色のある天体の記号がそれらの線と対照をなし、宇宙的なヴィジョンを現出させている。たとえば、同様に不吉な運命を象徴する六角の星が瞬き、此岸=生と彼岸=死の境界である港に天意を象徴する船が停泊する《世界劇場(寄席)》も、一見したところ遊戯的な情景でありながら、実は《破壊と希望・図上》に通じる悲劇的な世界像である。
ところで、≪破壊と希望》の彩色された記号的フォルムは、型紙で輪郭を定めて色づけするという方法によって描かれていることが、これまでにも指摘されてきた。ほかならぬその方法は、冒頭に引用した同じ日の日記に「飛行機の古い番号を改修し、新しい番号を先頭のほうに型紙を使って描いた」(1018番/1916年)と記述されている通り、軍用機の補修に際して行われていた方法であった。世界を破壊する軍用機をふたたび蘇らせるという軍事目的に用いられていた方法を自らの作品に応用し、《破壊と希望》と名づけたクレーの諷刺的態度がここに見て取れる。
世界現代美術作家情報より
パウル・クレー 『山への衝動』
美術館の説明
パウル・クレー
山への衝動1939昭和14年
この作品は、最晩年に故郷であるスイスのベルンで描かれました。
画面下部には登山列車か戦車のような乗り物があり、下敷きになって倒れる人がいます。
上部には絡み合った木々や山のような形が見えます。
この時クレーは、長く過ごしたドイツからナチスの迫害を逃れて来ていました。
画面を覆うどこかとげとげしい雰囲気は、時代の反映でしょうか。
パブロ・ピカソ(1881-1973) 『ラ・ガループの海水浴場』(1955昭和30年)
1955年、アンリ・ジョルジュ=クルーゾー監督が映画「ピカソ―天才の秘密」を南仏二−スのスタジオで撮影したが、その時カメラの前で描いた同モティーフの作品2点の内の第一作である。
横長の画面に水着姿の男女、水上スキーをする男、浜辺のカフェテラスなど海辺の景色が描かれ、右端にその全てを見つめるかのごとく当時ピカソのモデルで伴侶であったジャクリーヌ、また中央には画家本人の分身であると思われる顔が描かれている。
全てを記憶から描いたこの作品には老画家の心の淵のイメージと景色が自由な空間的繋がりで描かれている。
(文化遺産データベースより)
ジョージ・グロス 版画集『影の中で』
美術館の説明
ジョージ・グロス(1893-1959)
版画集『影の中で』1919-1921大正8-10年
20世紀が生んだ偉大な風刺画家と呼ばれるジョージ・グロスの版画集『影の中で』は、精巧に組み立てられた空間構成とモンタージュ的な手法を駆使して、戦間期のドイツの都市風俗を分析的に描き出しています。
グロスは、厳しい表情で仕事場に向かう労働者や町に佇む傷痍軍人などの弱者に注目すると同時に、放蕩な資本家に対しては厳しい批判の眼を向けます。
敗戦国ドイツの復興の背後で高まる社会的な緊張に、作者は新たな不安を感じていたのかもしれません。
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