2016年6月13日月曜日

憲法学者・樋口陽一氏 「国民が求めるのは改憲ではない」 (日刊ゲンダイ) ; いま問われているのは、2012年4月に自民党が発表し、現に掲げ続けている「憲法改正草案」に賛成か、反対か、それを作った人たちが描いているこの国の未来像への賛否なのです。抽象的に改憲が問題になっているわけではないのです。


 来月10日に参議院選挙が行われる。安倍政権は争点を「アベノミクスを進めるか、後戻りさせるか」などと言っているが、その裏で、憲法改正という野望を抱いているのは間違いない。9条の解釈改憲、違憲の安保法施行と、憲法破壊を断行した政権が「本当の改憲」に向けて蠢いているのだ。そこで自らの政治活動を40年間禁じてきた憲法学界の権威が立ち上がった。闘う憲法学者、小林節氏との対談「『憲法改正』の真実」(集英社)も話題。今そこにある危機を語ってもらった。

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 首相は国会答弁で「憲法改正問題については国民レベルで大いに議論して下さい」と言う。しかし、いま国民の大多数は「憲法を変えて欲しい」などと政府に要求していないのです。世論調査でも分かるように、国民が求めているのは「原発停止」「TPPの影響や問題点の提示」「格差是正」「社会保障の将来への不安の解消」など、生活に直結する身近で具体的な課題です。

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 「護憲」「改憲」という言葉を、抽象的に憲法を変えた方がいいのか、変えない方がいいのか、という意味で使う人がいますが、間違いです。それぞれが「理想の憲法」を出し合え、というのが改憲問題ではありません。いま問われているのは、2012年4月に自民党が発表し、現に掲げ続けている「憲法改正草案」に賛成か、反対か、それを作った人たちが描いているこの国の未来像への賛否なのです。抽象的に改憲が問題になっているわけではないのです。

 ――「『憲法改正』の真実」のなかで、自民党改憲草案の問題点を子細に分析なさっていましたが、とくに驚いたのは、この草案が、戦前回帰、明治憲法回帰どころか、江戸時代の「慶安の御触書」レベルのものだと断言なさっていたことです。

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 現政権を「保守」と呼ぶ人が多いが、本来の意味での「保守」には3つの要素が不可欠です。第1は、人類社会の知の歴史遺産を前にした謙虚さです。第2は、国の内・外を問わず他者との関係で自らを律する品性。第3は、時間の経過と経験による成熟という価値を知るものの落ち着きです。私たちをいま取り巻いているのは、そのような「保守」とはあまりにも対照的な情景です。

 2012年12月の第2次安倍政権の発足時、日本のメディアが「保守化」と捉えた鈍感さとは対照的に、例えば、英エコノミスト誌は、「歴史修正主義に執着」する「ラディカル・ナショナリスト(急進民族主義者)の政権」と論評していました。当時から欧州では、そうした勢力が台頭し始めていて、懸命にそれを抑え込もうと苦慮していただけに、アジアで唯一、「価値観を共有」する仲間として安心して見ていた日本で、そのような勢力そのものが政権に座ったのか、という驚きだったのです。翌年初めの首相訪米の時のびっくりするほどだった冷遇は、その表れだったのでしょう。一転して去年の首相訪米の時の厚遇ぶりは、安保法制との物々交換で、「価値観の共有」より、それを優先させたということでしょう。

 ――安倍政権の言う「戦後レジームからの脱却」を、世界の秩序を揺るがしかねない構想だとして海外メディアは危惧していたのですね。

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 ――ナチスといえば、民主主義的な手段でワイマール憲法をほごにしてしまった。安倍政権も「民主主義にのっとって」と装いながら、結果的に立憲主義を破壊し、民主主義を制限する憲法に作り変えてしまおうとしている。非常に巧妙で危険な手口に見えます。

 有権者は3年半の間に3回の国政選挙で現政権に多数議席を与え続けてきました。その意味で言えば、「民主」というカードの枚数の多さの上に政府与党が座り続けてきた。4度目の機会にそのカードを何枚、奪い返せるか、それが選挙の争点です。

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