脱ポピュリズム 「昭和の社会」と決別を
(小熊英二『朝日新聞』論壇時評2016-12-22)
①遠藤乾「EU 独メルケル首相は希少価値が出る」(文芸春秋1月号)
ポピュリズムの支持者は誰か。
遠藤乾はEU離脱支持が多い英国の町を訪ねた(①)。
そこでは移民の急増で病院予約がとれず、公営住宅が不足し、学級崩壊も起きている。
「英国のアイデンティティ」の危機を感じる人も多い。
だがこの論考で私の目を引いたのは、現地の女性が発したという以下の言葉だった。
「彼ら移民は最低賃金の時給七ポンド弱(約九百六十円)で休日も働き残業もいとわない。英国人にはもうこんなことはできないでしょ?」
私はこれを読んで、こう思った。
それなら、日本に移民は必要ないだろう。
最低賃金以下で休日出勤も残業もいとわない本国人が、大勢いるのだから。
西欧で移民が働いている職場は、飲食や建設などだ。
これらは日本では、(外国人や女性を含む)非正規労働者が多い職場である。
西欧では移民が担っている低賃金の職を、日本では非正規や中小企業の労働者が担っているのだ。
■ ■
それでは、英国でEU離脱を支持した層は、日本ならどの層だろうか。
日本の「非正規」が英国の移民にあたるなら、それは「非正規」ではないはずだ。
先月も言及したが、大阪市長だった橋下徹の支持者は、むしろ管理職や正社員が多い。
低所得の非正規労働者に橋下支持が多いというのは俗説にすぎない。
米大統領選でも、トランプ票は中以上の所得層に多い。
つまり低所得層(米国ならマイノリティー、西欧なら移民、日本なら「非正規」が多い部分)は右派ポピュリズムの攻撃対象であって、支持者は少ない。
支持者は、低所得層の増大に危機感を抱く中間層に多いのだ。
では、何が中間層を右派ポピュリズムに走らせるのか。
それは、旧来の生活様式を維持できなくなる恐怖である。
それが「昔ながらの自国のアイデンティティー」を防衛する志向をもたらすのだ。
②ファリード・ザカリア「トランプ後もポピュリズムは続く」(フォーリン・アフェアーズ・リポート11月号)
ファリード・ザカリアは、EU離脱やトランプを支持した有権者の動機は「経済的理由ではなく文化要因」だったと指摘する(②)。
移民増加や中絶容認などを嫌い、英国や米国のアイデンティティーの危機を感じたことが動機だというのだ。
確かにその背景は、雇用の悪化で生活の変化を強いられたことではある。
だがそれは、「古き良き生活」と観念的に結びついた国家アイデンティティーの防衛という文化的な形で表出するのだ。
■ ■
日本でも社会の変化とともに、右派的な傾向が生まれている。
だが日本では、移民や中絶の問題は大きくない。
その代わりに、歴史認識や夫婦別姓の問題が、「古き良き生活」と結びついた国家アイデンティティーの象徴となっている。"
③田中辰雄・山口真一『ネット炎上の研究』(4月刊)/辻大介「インターネットにおける『右傾化』現象に関する実証研究」(2008年、http://d-tsuji.com/paper/r04/report04.pdf)
そして調査によれば、ネットで右翼的な書き込みをしたり、「炎上」に加担する人に多い属性は、「年収が多い」「子供がいる」「男性」などだ(③)。
いわば「正社員のお父さん」である。
この層は、旧来の生活様式、つま終身雇用や専業主婦などが象徴していた「昭和の生活」を達成しようとあがきながら、それが危うくなっている中間層である。
10月の本欄で述べたが、都市部で子供2人を大学に行かせれば、年収600万円でも、教育費を除いた収入は生活保護基準を下回ってしまう。
さらに住宅を買い、多少の余裕を持つには年収800万でもぎりぎりだろう。
統計上は「中の上」の収入でも、「昭和の生活」を維持するのは苦しいのだ。
④特集「労基署が狙う」(週刊ダイヤモンド12月17日号)
もっと働いて稼げ、というのは解決にならない。
長時間労働はもう限界だ。
日本の労働時間は平均では減少したが、それは非正規労働者が増えたためで、正社員の労働時間は増加傾向だ。
長時間労働者の比率は欧米よりずっと多い。サービス残業のため「時給換算で約700円」の大企業正社員もいる(④)。
ではどうするか。
無理が多い時は、目標の立て方を見直した方がよい。
つまり「昭和の生活」をめざすことが無理なのだ。
男性が年収800万を長時間労働で稼ごうとするよりも、男女が適正な労働時間で400万ずつ稼ぐ方が、現代の経済状況に適合している。
「古き良き生活」に固執し続ければ、不安とストレスから抜け出せないし、右翼的な書き込みや投票行動をも誘発しかねない。
⑤滝澤美帆「日米産業別労働生産性水準比較」(日本生産性本部・生産性レポート、12月、http://www.jpc-net.jp/study/sd2.pdf)
しかも日本の労働生産性は製造業で米国の7割、サービス業で5割にすぎない(⑤)。
低賃金の長時間労働は、古い産業や古い経営を維持する結果になっている。
今の日本は「昭和の社会構造」を維持するために疲れ切っているのだ。
⑥安田浩一「ルポ 外国人『隷属』労働者」(G2・第17号、2014年)
これは都市だけの話ではない。
日本でも実習生という名の移民が農業や縫製などで働いている。
安田浩一はこれを「日本の地場産業が、低賃金で働く外国人実習生によって、ぎりぎりのところで生き永らえている」と評した。
安田によれば「移民によって日本が日本でなくなる」というのは逆で「外国人によって日本の風景が守られている」のが実態だ(⑥)。
過去への愛着は理解できる。
だが人権侵害が指摘される制度を使ってまで「日本の風景」を維持するべきだろうか。
同じく、人間を破壊する長時間労働で「昭和の社会」を維持するべきだろうか。
それは他者と自分自身の人権を侵害し、差別と憎悪の連鎖を招きかねない。
右派ポピュリズムの支持者は誰か。
それは古い様式に固執し、その維持のためには人権など二の次と考える人である。
他者と自分の人権を尊重し、変化を受け入れること。
それによってこそ、健全な社会と健全な経済が創られるはずだ。
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