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仁丹:町名表示板、20年で半減 愛好家が保全訴え 京都
毎日新聞 2013年08月25日 11時32分(最終更新 08月25日 11時51分)
京都の町の隠れた名物「仁丹商標入り町名表示板」がこの20年で半減してしまったことが、愛好家グループの調査で判明した。民家の軒端などに掲げられている、縦長のほうろう表示板のレトロな雰囲気に魅入られた愛好家らは、表示板が設置されているほぼ全戸に「今や立派な文化財です」と保全をお願いするチラシも配布した。
町名表示板は、四つ辻や町境の建物外壁などに設置されている。多くは縦90・5センチ、横14・5センチで、達筆な黒字で掲示位置の住所が表記され、下部に森下仁丹の商標「大礼服マーク」が付いている。
1893年創業の医薬品会社「森下仁丹」(大阪市)が約100年前に広告を兼ねて設置し始めたとされ、同社100年史には「明治43年(1910年)ごろ、大阪、東京、京都、名古屋で始まり、全国津々浦々に広がった」とある。しかし、同社の資料は米軍の空襲で焼かれ、詳細は不明。現在は京都の市街地以外ではほとんど残っておらず、町名表示板の所有者は誰かという点も明確ではない。
町名表示板ファンを自任する全国の30〜70歳代の10人で作る「京都仁丹樂會(がっかい)」代表で元高校教諭の立花滋さん(75)=京都市山科区=は95年ごろ、一人で町を歩いて約1300点を確認した。しかし、同グループがここ数年で再調査したところ、740点に減少していた。町家の建て替えなどに伴い、撤去されているという。一方、愛好者同士の情報交換などで、室内に飾られるなどの「埋蔵品」が120点存在していることも判明した。
立花さんは「京都の町に現存する740点は空襲や開発から逃れてきた。町にとって『老舗のれん』のような物で、町並み同様に大事にしてほしい」と話す。同社は「表示板については不明点が多く、明らかにしてもらってありがたい」としている。【土本匡孝】
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