2025年8月3日日曜日

大杉栄とその時代年表(575) 1905(明治38)年4月1日~2日 「東京朝日」「大阪朝日」の戦争継続論。「東京朝日」社説「昨今の講和沙汰」、アメリカ大統領の調停説をウソと断定、ロシアの弱り目に乗じてさらに躍進せよ、と主張。 「大阪朝日」社説「激励の機会」、ロシアが旅順・奉天の大敗にもこりないなら、ハルビン・黒竜江・沿海州までも進撃するのみ、と主張。

 

大阪朝日新聞 明治38年1月29日 号外

大杉栄とその時代年表(574) 1905(明治38)年3月21日~31日 「過去一切社会の歴史は階級闘争の歴史なり。之を欧洲に見るに、希臘(ギリシヤ)の自由民(フリーマン)と隷奴(スレーブ)、羅馬の貴族(パトリシアン)と平民(プレビアン)、中世の領主(ロード)と農奴(サーフ)、同業組合員(ギルドマスター)と被雇職人(ジャーネーマン)、一言以て之を掩(おほ)へば圧制者と被圧制者、此両者は古来常に相反目して、或は公然、或は隠然、其戦争を継続したりき。  然れども此階級闘争が極めて単純なるに至れるは、現時代即ち紳士閥の時代が有する特徴なりとす。然り、今の社会は全体に於て、刻一刻に割裂して、両個の相敵視する大陣営、直接に相対立する二大階級を現じつゝあるなり。其階級とは何ぞや。曰く紳士(ブールジヨアー)、曰く平民(プロールタリアツト)。」(「日本紳士閥の解剖」) より続く

1905(明治38)年

4月

朝鮮駐剳軍司令官、全州地区治安警察権掌握。

4月

横浜正金銀行、奉天に出張所設置。

4月

清国の科学補習所閉鎖により、武昌で知日会結成される。

4月

芥川龍之介、東京府立第三中学校入学。

4月

今村均、新発田歩兵連隊で陸軍士官候補生試験を受験。隣に佐渡中学を出た本間雅晴。

12月、陸軍士官学校(第19期生)入学。

4月

ベトナムのファン・ボイ・チャウら、横浜に到着。後、梁啓超の援助で「ベトナム亡国史」出版。

4月

刻み煙草製造専売実施。

4月

阪鶴鉄道舞鶴(京都府)~境(鳥取県)間航路開設。隔日運航。

4月

西田天香、「一燈園」を滋賀県長浜に開設(1907年には京都市長浜に設立)。托鉢、奉仕、懺悔の共同生活。

西田天香:

滋賀県長浜の紙問屋の子。明治24年、兵役逃れを兼ねて開拓民として北海道に移住。小作紛争に苦悩し3年余で辞す。放浪生活の中で、明治36年トルストイ「我が宗教」に啓示を受ける。

4月

(日不詳)、安倍能成、第一高等学校で最初の時間に質問を受ける。(安倍能成)

4月

シャムで奴隷廃止法発布。自由民及び解放奴隷の販売が禁止される。3年後奴隷が全面的に禁止される。

4月1日

「韓国通信機関委託に関する取極書」調印。郵便・電信・電話事業を日本政府に委託。この名目で通信機関支配。4月28日公示。

4月1日

有栖川宮夫妻、ドイツ皇太子結婚式参列のため横浜港出港。

4月1日

刑の執行猶予制度制定。

4月1日

原敬(49)、古河鉱業副社長(~39年1月7日、約10ヶ月)。

4月1日

『吾輩は猫である』(続々篇) 『幻影の盾』(『ホトトギス』4月号8巻7号)(通算第100号記念号)

『ホトトギス』2月号掲載の「猫」第2回は、第1回よりも面白いと言われ、この月の「ホトトギス」はよく売れた。漱石が3月号に書かなかったので、そのせいか「ホトトギス」の売れ行きが落ちた。

虚子は漱石を督促して、4月号に第3回を書かせ、以後毎月連載してもらうことにした。

また、漱石は4月号に「幻影の盾」という小説を書いた。

「幻影の盾」は、中世イギリスの騎士物語を題材とした幻想的な小説。「アーサア王物語」にあるように、騎士が自分のあがめる貴婦人の名誉のために路上で逢う他の騎士に戦を挑む習慣のあった古い時代に、ウィリアム(ヰリアム)という若い勇士がいた。彼は白城の城主なるルーファスの部下であったが、そこから20マイルほど離れた夜鵜の城の城主の娘クララを愛していた。だが白城の城主と夜鴉城の城主とが争いを起し、彼は恋人の父の城を攻撃せざるを得なくなった。友人のシワルドは、ウィリアムにむかって、クララを連出して南の国へ逃れよとすすめるが、夜鵜の城が焔に包まれて崩れるのを見ると、彼は絶望におそわれた。そして森の中へ逃れ去るが、彼の持っている円形の楯の面の鏡のように光った部分を見つめていると、そこにクララが現われて来る。そしてやがてその楯の与える幻影の中で、彼はクララと南の国の生活を楽しむ、というのが、この作品の筋であった。

幻想的なロマンスに過ぎないが、漱石はこの美的な散文詩のような物語りを、口語文として可能な限り美化し、古いロマンチックな感じを漂わせて巧妙にまとめ上げた。

彼は、この一篇をによって、諷刺的な写実風の随筆小説も書けるし、美的幻想的な物語りも書ける人間であることを証明した。

全く違った二種類の傾向の作品を書きこなすこの英文学者の仕事は、この頃から次第にもっと広い範囲の人々の目を引くようになった。

■日露戦争の投影

「幻影の盾」では二つの城の間で戦争が起こる。

語り手はこの戦争の原因について、・・・


君の為め国の為めなる美しき名を藉(か)りて、毫釐(ごうり)の争に千里の恨を報ぜんとする心からである。正義と云ひ人道と云ふは朝嵐(あさあらし)に翻がへす旗にのみ染め出すべき文字で、繰り出す槍の穂先には瞋恚(しんい)の焔(ほむら)が焼け付いて居る。狼は如何にして鴉と戦ふべき口実を得たか知らぬ。鴉は何を叫んで狼を誣(し)ゆる積りか分らぬ。


という。

日露戦争は「君の為め国の為め」「正義」「人道」などの美名のもとに戦われているが、その実体は名利の争いであり報復のための「口実」に過ぎないと、漱石は指摘しているのかもしれない。

狼のルーファス軍が夜鴉の城壁を攻める情景は、・・・


壁の上よりは、ありとある弓を伏せて、蝟(い)の如く寄手の鼻頭(はなさき)に、鈎(かぎ)と曲る鏃(やじり)を集める。空を行く長き箭(や)の、一矢毎に鳴りを起せば数千の鳴りは一(ひ)と塊(かたまり)りとなって、地上に蠢(うごめ)く黒影の響に和して、時ならぬ物音に、沖の鴎を驚かす。


と描かれているが、これは乃木希典率いる第3軍による旅順要塞攻撃の報道が投影しているようだ。


4月1日

「春画は何よりの好物、アリガタウアリガタウ! 然し不思議ですね、一年半ばかり此の国に居て、日本の春画を見るのは君のと、その少し以前湖山が呉れたのとを見たのが初めてです。所が少しの間に風俗と境遇が違つて居るので、日本の春画は可笑しいばかりで、少しも実感を起させない。実感の点からと云ふと足踊りをやツて居る安芝居の広告画の方が遥に有力なのです。今日春情実感を起させる一番有力なのは、女のペチコートの間から、ほの見える足の形一ツです。細い舞り靴をはいた女の足……此れが一番微妙な妄想を起させるです。靴と靴足袋とを取つて了つた素足になると、最う駄目です。裸体画かスタチューでも見る様で、実感は却て薄らぐ」 (明治38年4月1日付永井荷風の手紙)


4月2日

「東京朝日」「大阪朝日」の戦争継続論。

「東京朝日」社説「昨今の講和沙汰」、アメリカ大統領の調停説をウソと断定、ロシアの弱り目に乗じてさらに躍進せよ、と主張。

20日、「大阪朝日」社説「激励の機会」、ロシアが旅順・奉天の大敗にもこりないなら、ハルビン・黒竜江・沿海州までも進撃するのみ、と主張。

4月2日

上野公園竹の台で労働者観桜会。この日、社会主義伝道隊は午前9時に平民社を出発、赤旗をかかげ大太鼓をたたいて銀座、京橋、日本橋、今川橋、外神田を行進、檄文数千枚を撒布し正午に上野に到着。

午報を合図に待機していた百余名が赤色の小旗をかざし、社会主義万歳を呼号して集まると、これに巡査数十名が襲いかかる。結果、31人が検束される。

4月2日

『直言』第9号発行

社説「島田先生に呈す」(木下尚江):

「選挙権なき最大多数の貧民階級は戦争に際して啻(ただ)に血税を以て其の義務に殉ずるのみならず、租税負担の苦痛に於ても最大分量を賦課せらるるもの也」と論じ、木下が勤める毎日新聞社長・島田三郎が社説「選挙権と兵役」によって選挙権拡張反対の主張を抛棄したことを歓迎。

4月2日

大杉栄(20)、平民社に運動基金として金1円の寄付をする。

4月2日

(漱石)

「四月二日(日)、野村伝四宛手紙に、泉鏡花『銀短冊』(『文芸倶楽部』四月号)について、「玉だらけ疵だらけな文章だ。」と感想を伝える。」

「野村伝四宛手紙に、「鏡花の銀短冊といふのを讀んだ。不自然を極め、ヒネくレを盡し、執拗の天才をのこりなく發揮して居る。鏡花が解脱すれば日本一の文學者であるに惜しいものだ。文章も警句が非常に多いと同時に凝り過ぎた。變梴な一風のハイカラがつた所が非常に多い。玉だらけ疵だらけな文章だ。僕抔のいふ事は門外漢の言葉として彼等は首肯しないだらう。然し僕はあの人々の才が悪い方へ向いて居るのを非常に残念に思ふばかりで一寸君に洩らすのさ。」と述べる。」(荒正人、前掲書)

4月2日

(露暦3/20)ジュネーブ、革命派代表者会議、ガボン提唱。武装蜂起声明。


つづく

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