昭和13(1938)年2月
*
2月2日
この日付けジョン・ラーベの日記(「南京の真実」)。
「韓の調べによると、うちの難民は六百人を超え、世帯数は百三十五だという。そのうち、二十四家族は家を焼かれ、帰るところがない。昨日、泣きながら出ていった人もいた。だれも日本軍を信頼していない。あたりまえだ。ふたつの収容所の報告から、まだ安全でないことがよくわかった。
昨日、本間少将到着。南京の混乱を鎮めるため、日本政府から全権をあたえられているそうだ。ここには二日しかいないというが、それで足りるのだろうか。ローゼンは、一月三十日付けの私の手紙をもとに、難民がどんなに困っているかを詳しく説明した結果、あまり本間には期待できないだろうという意見だ。
今日、上海日本大使館の日高信六郎参事官と、ローゼン宅で昼食。我々が記録した日本兵の暴行はこの三日間だけでもなんと八十八件もある。これはこの種のものとしては、今まででいちばんひどかった十二月を上回っている。報告書を渡すと、日高氏はまったく困ったものだとつぶやいて、部隊が交代するときには往々にしてこういう事件が起きがちだといいわけした。
「前の部隊は評判が悪く、一月二十八日に離任させられたんですが、撤退前にもう一度けしからぬふるまいに及んだという話です」
この手の逃げ口上は先刻承知だ。けれども我々は、いま報告されている強姦などの事件が実は新しい部隊のしわざだという証拠をつかんでいる。難民が二月四日に力ずくで追い立てられるというのは本当かと聞くと、自分が知る限りでは、ぜったいにそんなことはないと日高氏はいった。・・・」
*
2月2日
・財団法人協調会(1920(大正9)年労資協調のため設立)、「時局対策委員会」を開催。
傷痍軍人対策、労働力需給・調整、労働保護政策、銃後の社会施設、労資関係調整方策、思想対策の6項目を研究課題とする決定。3月30日、傷痍軍人対策と労資関係調整方策の2項目の審議研究の結果を発表。
労資関係調整は専門委員会で、これまでの協調主義から脱皮した「労資一体」を指導精神とし、事業主を会長、職員労働者を会員とする企業単位の全体組織を作る事を決める。
これが、全国産業団体連合会(全産連)理事膳桂之助の協力を得て徹底普及され、7月30日、産業報国連盟が結成される。
前年末の第1次人民戦線事件の合法左翼の大量検挙・結社禁止により、労働界ではもはや共産主義者ではないというだけでは不十分で、自ら進んで国策に協力しないと共産党の偽装団体と看做され検挙される風潮、と協調会による巧みな産報加入勧誘により、普及徹底される。
*
2月2日
・関東消費組合連盟解体
*
2月2日
・日本銀行、満州中央銀行に対し、満州重工業開発(株)事業資金として1億円を限度に、同行引受の満州国国幣公債を担保とする特別融通を承認。
*
2月2日
・連盟理事会、日中問題に関する決議案を採択。
*
2月3日
・この日付けジョン・ラーベの日記(「南京の真実」)。
「日高氏の言葉は本当だろうか。・・・日本当局はやつらを「ならずもの」とか呼んでいるそうだが、聞いて呆れる。こっちじゃ「人殺し部隊」といってるんだ。・・・
今しがた張から聞いたのだが、私たちがかつて住んでいた家の近く、通りを入ったすぐのところの小さな家で人が殺されたそうだ。十七人の家族のうち、六人が殺されたという。娘たちをかばって家の前で日本兵にすがりついたからだ。年寄りが撃ち殺されたあと、娘たちは連れ去られて強姦された。・・・
(・・・書くに堪えない有様につき省略する・・・)の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。七十を越えた人さえ、なんども暴行されているのだ。・・・」
*
2月3日
・内務省、東大セツルメントが左翼思想の温床になるとして解散命令。穂積重遠会長は自発的に閉鎖決定。
*
2月4日
・この日付けジョン・ラーベの日記(「南京の真実」)。
「フィッチが、昨晩再び上海ラジオにでた。今回も日本に対して好意的なことを言っていたが、それは、一月二十八日から三十一日の間に強姦などの事件がさらに増えたことを知らないからだ。もし知っていたらああいう言い方はしなかったろう。なにしろ今までで一番ひどかった十二月の数日間より多かったのだから。」
*
2月4日
・独、ヒトラー統帥権掌握。
国防軍改組、軍務大臣兼任、三軍統括の国防軍統合司令部を設置。長官ヴィルヘルム・カイテル・国防相ブロンベルク・陸軍司令官フリッチュ解任。フリッチュへの陰謀により国防軍内に反ヒトラーグループ結成
*
to be continued
0 件のコメント:
コメントを投稿