2009年6月28日日曜日

鎌倉 元八幡神社 芥川龍之介寓居跡

元八幡神社
源頼義が、奥州の安倍貞任を討った後、康平6年(1063)8月、鎌倉郡由比郷に石清水八幡宮を勧請したのに始まり、その後永保元年(1081)には義家がこれを修復。
治承4年(1180)10月6日、頼朝は、鎌倉入りすると、この社を遥拝し、12日、これを小林郷北山に移す(現在の鶴岡八幡宮)。しかし、遷座後も元の土地に社壇の祭祀は続く。こちらは、「下の若宮」或は「由比の若宮」と呼ばれる(これが、元八幡神社)。
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「吾妻鏡」では下記(改行を施した)
「寅の刻、祖宗を崇めんが為、小林郷の北山を点じ宮廟を構え、鶴岡宮をこの所に遷し奉らる。専光坊を以て暫く別当職と為す。景義をして宮寺の事を執行せしむ。
・・・本社は、後冷泉院の御宇、伊豫の守源の朝臣頼義勅定を奉り、安倍の貞任を征伐するの時、丹祈の旨有り。康平六年秋八月、潛かに石清水を勧請し、瑞籬を当国由比郷に建つ(今下若宮と号す)。
永保元年二月、陸奥の守同朝臣義家修復を加う。
今また小林郷に遷し奉り、頻繁の礼奠を致すと。」(「吾妻鏡」10月12日条)。
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また、この地域は、新婚時代の芥川龍之介が居を構えた土地でもある。
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芥川は、大正5年(1916)7月、東京帝大を卒業し、12月から海軍機関学校教授嘱託となる。初めは、鎌倉町和田塚に下宿する(この時期の作品は、「鼻」「芋粥」「手巾」)。
その後、翌大正6年9月、横須賀市汐入に転居。
大正7年(1918)年2月に結婚、翌8年4月まで新居をこの辺に構える(小山さんという人の広い別邸の中にある一戸建て)。
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バス通りから元八幡神社への道の角にある石碑
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この道をまっすぐに行く
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元八幡神社
芥川の寓居はこの神社の北にあったといいますので、
神社の裏手左側の辺りでしょうか
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元八幡
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「寺社巡りインデックス」をご参照下さい。
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