松葉山妙法寺
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お寺の栞による縁起と沿革
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当山は建長五年(一二五三)日蓮大聖人が安房より鎌倉に来られ、初めて松葉谷に草庵を結ばれた日蓮宗最初の精舎であります。そして、文応元年(一二八○)八月二十七日松葉谷法難にあわれる等、身延山に入山される迄二十数年にわたり大聖人が起居された霊蹟で、はじめ松葉谷御小庵と称しのち法華堂と号しました。
四祖の日静上人の高弟、日数上人は大塔官護良親王の御子、幼名をりょう厳丸(りようごんまる)と呼び、仏門に入ってりょう厳法親王妙法房日叡と名のられたお万であります。
上人は父宮護良親王の亡くなった所であり、日蓮大聖人に由縁深い鎌倉の地を慕って、松葉谷に来り延文二年(一三五七)御小庵の跡に堂塔伽藍を復興されました。そしてりょう厳丸(りようごんまる)の名にちなんでりょう厳山妙法寺と称し、山頂に、父宮母宮の墓を建てその冥福を祈られました。
・・・(以下略)・・・。
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10月にも再訪して、この時は、護良親王の子の日叡上人のお墓にも参りました。
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お寺の栞による縁起と沿革
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当山は建長五年(一二五三)日蓮大聖人が安房より鎌倉に来られ、初めて松葉谷に草庵を結ばれた日蓮宗最初の精舎であります。そして、文応元年(一二八○)八月二十七日松葉谷法難にあわれる等、身延山に入山される迄二十数年にわたり大聖人が起居された霊蹟で、はじめ松葉谷御小庵と称しのち法華堂と号しました。
四祖の日静上人の高弟、日数上人は大塔官護良親王の御子、幼名をりょう厳丸(りようごんまる)と呼び、仏門に入ってりょう厳法親王妙法房日叡と名のられたお万であります。
上人は父宮護良親王の亡くなった所であり、日蓮大聖人に由縁深い鎌倉の地を慕って、松葉谷に来り延文二年(一三五七)御小庵の跡に堂塔伽藍を復興されました。そしてりょう厳丸(りようごんまる)の名にちなんでりょう厳山妙法寺と称し、山頂に、父宮母宮の墓を建てその冥福を祈られました。
・・・(以下略)・・・。
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10月にも再訪して、この時は、護良親王の子の日叡上人のお墓にも参りました。
妙法寺
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「寺社巡りインデックス」をご参照下さい。
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「鎌倉インデックス」をご参照下さい。
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