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在原業平の「名にし負はばいざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」(古今和歌集)にちなんで名付けられた橋。
昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲では、ここで多くの方が亡くなられた。そして、石柱には現在でも空襲で焼かれたときの痕跡が残っている。
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西詰、南側(下流側)の石柱。1、2枚目。
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西詰、南側(下流側)の石柱。1、2枚目。
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浅草寺にも東京大空襲の痕跡があった。
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このいちょうは、空襲の炎に焼かれ、木の内部が無くなっているが、それでも緑の葉を付けている。
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このいちょうは、空襲の炎に焼かれ、木の内部が無くなっているが、それでも緑の葉を付けている。
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「浅草の凌雲閣のいただきに 腕組みし日の 長き日記かな」(啄木「一握の砂」明治43年)。
凌雲閣は通称「十二階」と呼ばれ、「十二階下」と呼ばれるこの界隈には多くの私娼窟があったとのこと。郷里に妻子を残し、ようやく朝日新聞に職を得た啄木は、この街の常連だったようです。
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「鎌倉橋の空襲の痕跡」
「京都にも空襲があった」
「★東京インデックス」
浅草再訪
をご参照下さい
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