2009年6月18日木曜日

京都のいしぶみ 淳和院跡 西院之河原旧蹟高山寺 淳和院礎石

淳和天皇(在位:弘仁14年(823)~天長10年(833))の別荘があった場所で、内裏より西にあたるため「西の院」=「西院」と呼ばれたという。
現在もこの辺りの地名は西院です。正しくは、「さい」ですが、現在では「さいいん」と呼びます。
碑は、西大路四条北東角にある高山寺の前にあります。
*
この地は、戦国時代には京都の南の砦としての小泉城があった所です(ここよりやや西方)。
*
*
高山寺の碑の上の部分に「西院之河原旧蹟」とあります。
「西院の河原」とも「賽の河原」とも言い、全国にこの伝承の伝わる場所があるようです。
幼くして亡くなった児が、三途の川の河原(賽の河原)で、「一重組んでは父のため 二重組んでは母のため ・・・」と、石を積むのですが、積み終える前に鬼がそれを壊すのです。
*
平安時代の庶民の幼児死亡率がどうだったかは知りませんが、恐らく想像を絶する高さであったろうし、まして貧民層であれば成長するほうが希であったかもしれません。
飢餓、疫病、夜盗、・・・。
そんな中でも、人々は幼児の死亡を悲しみ、児の親に同情し、宗教者は亡くなった児や残された者の救済に心を砕いたに違いないと思います。
この人間的心情が、全国に賽の河原伝承を残す理由なんでしょう。
*
この積み石の行為は、どこかカミュのシジフォスの神話に似ていますね。
*
*
近くの「春日神社」に置かれている淳和院の礎石。
家電量販店のビル建設の際に出土したとのこと。
*


*
この春日神社の隣に小学校がありますが、そこは私の母校です。
*
淳和院跡
*

0 件のコメント: