2011年1月1日土曜日

昭和16年(1941)1月1日 「人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり。」(永井荷風「断腸亭日乗」) 

謹賀新年
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永井荷風の日記「断腸亭日乗」
昨年は昭和15年をご紹介してましたが、今年は引き続いて昭和16年をご紹介。
読みやすくするために改行を施しました。
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昭和16年(1941)1月1日
昭和十六年辛巳正月起稿                荷風散人年六拾三
正月一日 旧十二月四日 
風なく晴れてあたゝかなり。炭もガスも乏しければ湯婆子(ゆたんぽ)を抱き寝床の中に一日をおくりぬ。
晝は昨夜金兵衛の主人より貰ひたる餠を焼き夕は麵麭と林檎とに飢えをしのぐ。
思へば四畳半の女中部屋に自炊のくらしをなしてより早くも四年の歳月を過したり。
始は物好きにてなせし事なれど去年の秋ごろより軍人政府の専横一層甚しく世の中遂に一変せし今日になりて見れば、むさくるしく又不便なる自炊の生活その折々の感慨に適應し今はなかなか改めがたきまで嬉しき心地のせらるゝ事多くなり行きけり。
時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣ひながら崖道づたひ谷町の横町に行き葱醤油など買うて帰る折など、何とも言へぬ思のすることあり。
哀愁の美感に酔ふことあり。
此の如き心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とても之を束縛すること能はず。
人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり
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昭和16年の正月、荷風は満61歳
もと高等遊民。世を避けて暮して来た荷風の軍国主義への一歩踏み込んだ怒りが見える。
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野口冨士男「わが荷風」は、こう書く。
「十三年から二十年末に至る八年間の記載をメモしながら最もふかい感銘を受けたのは十六年元日の記であった。」
この最後の一句に託されている信念こそ、未曾有の悪時代のなかにあって、彼に発表のあてのまったくない作品をえいえいとして書きつづけさせた唯一のささえであったに相違あるまい。」
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1月2日
一月初二。晴。
午後銀座より淺草に行く。家に在る時は炭の入用多くなればなり
淺草公園の人出物すごきばかりなり。駒形邊また田原町邊より人波を打ちたり。
赤十字の白き自働車二三台警笛を鳴して飛び行くを見る。
淺草にかきらず今年市中の人出去年よりも甚しきがごとし。
東京の住民は正月のみならず何か事あれば全家外に出で遊び歩くものと見えたり。
此れ近年の風俗なり。
其原因は何なるや。地方人の移住するもの多きが故とのみ断定する事も亦當らざるが如し。
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1月3日
一月初三。晴。温暖春の如し。
晡下食料品を買ひにと銀座に至り直にかへる。市中の混雑昨日の如し。
今年は年賀状もわづかに四五通、来訪の客一人もなし。時勢の變化にて喜ぶべきはこの事のみ
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1月4日
一月初四。終日吹き荒れたる北風日暮に歇む。
菅原君より電話あり。銀座に飰して淺草に行く。永井智子安東氏と共に来るに逢ふ。一同オペラ館に至る。
館主田代氏来り本年三ケ日は非常の大入にて毎日三千人以上の観客ありしと、毛皮襟付の外套をきて頗得意の様子なりき。
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昭和16年の正月、浅草は非常に賑っていたようだ。
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1月5日
一月初六。晴れて暖なり。ユイスマンの漫筆集De Toutをよむ。
夜赤十字社東京支部女事務員にて春を賣るもの電話をかけ来りよき人を御紹介したし御差支なくはこれよりすぐに連れて参るべしと言ふ。一時間ばかりして年二十二三。小づくりの女を連れて来れり。事務所は同じならねど懇意な友達なればよろしく御願ひします、わたくしは今晩は身体が汚れてゐますからお先に失禮しますとて新しき女を残してすたすた歸り去れり。
人心の變化は吾等老人の到底窺ひ知るべからざる所なり。
むかし提重とやら稱へて濁身の武家または勤番の侍の家を歩みまはりし私窠子ありし由なれど、これ等女事務員の為すところおのづから一致するも可笑しきはなし。新體制時代のことなればサンドイツチとでも稱ふべきにや。
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荷風の日記からは色んな風俗を教えられる。
この日、不思議?にも、日記の日付けの上に例の点(・)がない。
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1月10日
一月十日 陰。・・・
深夜遺書をしたゝめて従弟杵屋五叟の許に送る。左の如し
一 拙老死去の節ハ従弟大嶋加壽夫子孫ノ中適當ナル者ヲ選ミ拙者ノ家督ヲ相続セシムルコト其手続其他萬事ハ従弟大嶋加壽夫に一任可致事
一 拙老死去ノ節葬式執行不致候事
一 墓石建立致スマジキ事
一 拙老生前所持ノ動産不動産ノ処分ハ左ノ如シ
一 遺産ハ何処ヘモ寄付スルコト無用也
一 蔵書画ハ売却スベシ図書館等ヘハ寄附スベカラズ
一 住宅ハ取壊ス可シ
一 住宅取払後麻布市兵衛一ノ六地面ノ処分ハ大嶋加壽夫ノ任意タルベキ事
西暦千九百四十年十二月廿五日夜半認之
日本昭和十五年十二月廿五日
荷風散人永井壮吉
従弟杵屋五叟事
大嶋加寿夫殿
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「★永井荷風インデックス」 をご参照下さい。
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