2011年1月24日月曜日

昭和16年(1941)1月25日 「政府はこの窮状にも係はらず獨逸の手先となり米國と砲火を交へむとす。 笑ふべく亦憂ふべきなり。」(永井荷風「断腸亭日乗」) 

永井荷風「断腸亭日乗」より
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昭和16年(1941)1月13日
一月十三日。寒菊漸く厳しくなりぬ。昏暮南鏓子と共に芝ロの牛肉屋今朝に飰す。
米不足なりとて一人の客は門口にて断りて入れず、また七時頃より米飯の代りに饂飩を出すなり。
余は去年の夏頃より女中に淺草興行物の切符または祝儀をやりゐたれば断られし事もなく、また必米飯を持来れり。
いつの世になりでも金が物言ふことばかり更にかはりなきこそうたてき限と云ふぺけれ
歸途寒月皎々たり。
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「うたて」
嘆かわしい、情けない、の意
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1月25日一月廿五日。暮方より空くもりて風俄にさむし。やがて雪ならん歟。
人の噂にこの頃東京市中いづこの家にても米屋に米すくなく、一度に五升より多くは賣らぬゆゑ人数多き家にては毎日のやうに米屋に米買ひに行く由なり。
パンもまた朝の中一二時間にていづこの店も売切れとなり、饂飩も同じく手に入りがたしと云ふ。
政府はこの窮状にも係はらず獨逸の手先となり米國と砲火を交へむとす。
笑ふべく亦憂ふべきなり
白米不足の原因は之を獨逸に輸出する為なりと云ふ。
日本の漆(うるし)も大砲の玉を塗る時は湿気の露を防ぐとてこれも獨逸へ送らるること夥しきものなりと云ふ。
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1月26日一月廿六日 日曜日 晴天。底冷する日なり。
午後町會の爺會費を集めに来りて言ふ。三月より白米も切符制となる筈にて目下其仕度中なり。労働者は一日一人につき二合九勺普通の人は二合半。女は二合の割當なるぺしと。むかし捨扶持二合牛と言ひしことも思合はされて哀れなり。
夜物買ひにと銀座に行く。日曜日の人出おびたゞしきが中に法華宗の題目かきたる幟二三流押立てゝ人中を歩み行くものあり。
怪しき愛国者なるぺし。
蜀山人の随筆 名は忘れたり に和蘭陀と法華宗とは将来我國に害あるものなりと言ひしことも思合さるゝなり。

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「★永井荷風インデックス」 をご参照下さい。
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