2011年2月25日金曜日

京都 四条大橋から三十三間堂へ(6) 京都国立博物館(明治28年) 養源院 法住寺 智積院

三十三間堂周辺について。
但し、この時は時間の制限があり寺院、施設には入らずに素通りしましたので、ご紹介は外観だけです。
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▼三十三間堂の前、七条通りから見る京都市街
この辺りは、東山にかけての坂の途上にあり、京都の街が見渡せます。
正面は愛宕山。
平家の六波羅や後白河の法住寺御所が、鴨川の氾濫の影響をうけない地帯に置かれたということがわかる。

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▼京都国立博物館(明治28年)
三十三間堂の向いにあります。
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▼養源院
文禄3年、淀君が父浅井長政の追善のため、秀吉に願って開山。
養源院とは、長政の法号。
元和5年(1620)、火災により焼失するが、2年後、徳川秀忠夫人崇源院(淀君の妹、長政の三女)により再建。
「崇源院」は、要するに「お江」さんのこと。
下の写真右側に「血天井」の看板があります。
関ヶ原の戦いの前、西軍が、伏見城を守る徳川方の鳥居元忠を攻めた際、元忠以下が奮戦の末に自害した板間を天井に使ったといわれるもの。
中学生の頃か、一度来たことがある。
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門を入ってしばらくは参拝料フリーです。
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▼法住寺
今は、後白河のお墓があります。
後白河は、平家の六波羅に近い、もともとこの地にあった法住寺を核にして、周辺の施設、民家を追い出し、白河院や鳥羽院を真似て、離宮をつくります。
要するに遊び場ですね。
それは、まだ自分の子の二条天皇の親政の時期です。
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下の地図は三十三間堂にあったものですが、この地図の西四足門とある辺りが下にあるお寺の門の辺りではないでしょうか。

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▼智積院(ちしゃくいん)
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「★京都インデックス」 「★四季のうつろいインデックス」 をご参照下さい。
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