2011年2月2日水曜日

昭和16年2月4日 「彼国(朝鮮)の王は東京に幽閉せられて再び其國にかへるの機会なく、其國民は祖先傳來の言語歌謡を禁止せらる。」(永井荷風「断腸亭日乗」)

先月に引き続き、昭和16年2月の永井荷風「断腸亭日録」より・・・
(適宜改行を施しています)
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昭和16年2月1日

・二月初一 舊正月六日 晴れて寒し。夕月空にかゝるを見る。街上のまき水宵の中より凍りたり。
此のさむさにも関らず鹿沼町の女九時頃まづ電話をかけ來りし後、半時ほどして瓢の炭取に海鼠餅を入れたるを田舎の土産なりとて手にさげて尋來れり。
過去を精算して家庭の人になりますから、それでお暇乞に來ましたと言ふそばから、今月末にはまた出て來るかも知れませんと言ひ、いやだったら逃げるつもりですなど言ひ出で、何の事やら譯はわからず。
されど東京にて日蔭の世わたりせし事は止してさへしまへばその時かぎり誰にも知られず消えてしまふものと確信して更に氣づかふ様子もなし。
其の心の単純なる事われ等には寧不可思議なり。世間の前科者などの心情もまたかくの如くなるにや。
朴訥仁に近しと古人の言ひしは眞なるぺし。
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お世話になったのかお世話したのか、おつきあいしていた私娼が帰郷するための挨拶に来た様子。
しっかり、日付けの前にポチ(・)マークあり。
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2月4日

二月初四。立春 晴れてよき日なり。薄暮浅草に徃きオペラ館踊子等と森永に夕餉を食す。
樂屋に至るに朝鮮の踊り子一座ありて日本の流行唄うたふ。聲がらに一種の哀愁あり。
朝鮮語にて朝鮮の民謡うたはせなば嘸(さ)ぞよかるべしと思ひてその由を告げしに、公開の場にて朝鮮語を用ひまた民謡を歌ふことは厳禁せられゐると荅へさして憤慨する様子もなし。
余は言ひがたき悲痛の感に打たれざるを得ざりき。
彼国の王は東京に幽閉せられて再び其國にかへるの機会なく、其國民は祖先傳來の言語歌謡を禁止せらる。悲しむべきの限りにあらずや。
余は日本人の海外發展に対して歓喜の情を催すこと能はず。寧嫌悪と恐怖とを感じてやまざるなり。
余嘗て米國に在りし時米国人はキューバ鳥の民の其國の言語を使用し其民謡を歌ふことを禁ぜざりし事を聞きぬ。
余は自由の國に永遠の勝利と光栄との在らむことを願ふものなり
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日本の朝鮮に対する植民地支配の実態(朝鮮の国王を廃し、東京に幽閉。朝鮮の言語、歌謡の禁止。日本の言語、歌謡の強制)を記述し、「悲しむべきの限り」とその境遇に同情を寄せている。
そして、日本人の海外進出に対する「嫌悪と恐怖」を述べる。
「恐怖」という表現が怖い。
最後に、「自由の國」(アメリカ)の「永遠の勝利と光栄」を願う。
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朝鮮の国家、人々に対し、短縮した文字を使って呼び捨てるのが「常識」だった時代に、正しく「朝鮮」と表現している。
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戦後刊行するにあたって、何の訂正も抹消も必要なかった荷風の日記の真実がここにある。
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2月8日
・二月初八。晴。再び寒くなりぬ。飯米三月より切符制となる由。薄暮淺草に飰す。
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この日も日付けの前にポチ(・)あり。
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2月13日
二月十三日。晴。夕飯の後色紙短冊扇面等揮毫。累年の債を果す。岩波文庫二月勘定左の如し。
雪解 第三板二回 六千部  金壹百貮拾圓也
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荷風の本、結構売れてるんではないでしょうか?
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「★永井荷風インデックス」 をご参照下さい。
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