2011年2月19日土曜日

京都 四条大橋から三十三間堂へ(5) 三十三間堂(蓮華王院) 方広寺南大門 太閤塀

豊国神社、方広寺から大和大路を南下して、七条通りに行き着くと、そこから南側一帯は元の後白河の法住寺御所。
長寛2年、後白河が清盛の援助で御所内に建てたお寺が蓮華王院で、その本堂が三十三間堂という。
源義仲が法住寺御所を襲撃した時も、蓮華王院は焼けなかったようだ。
建長元年(1249)に火災で焼失するが、文永3年(1266)には再建された。
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入母屋造り
長さ120m、幅17m。ひたすら長い。
そして内部は、中央に千手観音坐像(中尊)を置き、左右に五百体、合計千一体の千手観音が観る者を圧倒する。
要するに、ひたすら長く、ひたすら多い、のである。
これが後白河の美意識か。
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ほんの偶然のいたずらで天皇になった後白河は、
今様に狂い、
「愚昧な君主」(信西)と批判され、
好きなものは男女貴賎を問わず、
権力の座に居ること四十年弱、
摂関家を骨抜きにし、
武者の世を生き抜き、大往生を遂げた。
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後白河の一の谷の姦計(騙し討ち)で平家は致命的打撃を蒙った。
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▼入口を入ったところが、三十三間堂の北東角にあたる
ここから、反時計回りに三十三間堂を一周する。

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▼その東側に、後白河上皇院政庁「法住寺殿」址碑


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▼太閤塀
秀吉の方広寺の南の門、南大門(一番下の写真)とそれに続く築地塀(長さ92m、高さ5m)
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▼三十三間堂の南端
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▼西側の南端から北方向を見たところ。
いわゆる「通し矢」の射場となったところ

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▼「通し矢」射場を反対から(北から)見たところ

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▼南大門
これは太閤塀とペアで、秀吉の方広寺遺構です。
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▼内部は勿論撮影禁止
拝観料600円。
これは価値ありと思います。
(パンフはしょぼい)

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