東京 江戸城東御苑(2011-12-13)
*「日経ビジネス」12月19日号によると、
震災を機に「つながり」「絆」が見直され、結婚するカップルが増えたと言われていたが、
実は婚姻数はそんなに増えていないという。
一方で、「「絆」連呼に違和感」(精神科医・斎藤環)というご意見もあり、
事実をよく確認すること、
ムードの裏に何かあるのか、ないのか、よく注意しておくこと、
が非常に重要と感じた。
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「日経ビジネス」12月19日(p22)
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(見出し)
消費拡大に淡い期待 「震災婚」という幻想
(記事)
東日本大震災を機に、「つながり」や「絆」が見直されるようになった。
それに呼応して、結婚に踏み切るカップルが増加したと言われ、「震災婚」なる言葉も生まれた。
こうした流れを受けて、この年末年始は「結婚」をテーマにした商品が多く登場しそうだ。
(略)
だが統計を見る限り、震災で結婚が増えたという明確な裏づけはない。
人口動態統計によれば、震災直後の4月の婚姻数は前年比で若干増加したものの、以降は前年比横ばいか減少傾向にある。
それでも「婚活」や「絆」といったキーワードを消費拡大の突破口として小売業界は期待をかける。
(略)
(飯山辰之助)
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一方、どこかで(新聞だったか、TVだったか忘れた)、
震災で、パートナーの見たくない一面を見てしまったとかいうことで、
離婚が増えているというのを聞いたことがある。
これも、「ガセ」だったのか?
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「「絆」連呼に違和感」は、ブログ「ウィンザー通信」さんに教えてもらった。
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「時代の風」
「絆」連呼に違和感(精神科医・斎藤環)
◇自由な個人の連帯こそ
3月の震災以降、しきりに連呼されるようになった言葉に「絆」がある。
「3・11」「帰宅難民」「風評被害」「こだまでしょうか」といった震災関連の言葉とともに、今年の流行語大賞にも入賞を果たした。
確かに私たちは被災経験を通じて、絆の大切さを改めて思い知らされたはずだった。
昨年は流行語大賞に「無縁社会」がノミネートされたことを考え合わせるなら、震災が人々のつながりを取り戻すきっかけになった、と希望的に考えてみたくもなる。
しかし、疑問もないわけではない。
(略)
おそらく「絆」には、二つのとらえ方がある。
家族や友人を失い、家を失い、あるいはお墓や慣れ親しんだ風景を失って、それでもなお去りがたい思いによって人を故郷につなぎとめるもの。
個人がそうした「いとおしい束縛」に対して抱く感情を「絆」と呼ぶのなら、これほど大切な言葉もない。
しかし「ピンチはチャンス」とばかりに大声で連呼される「絆を深めよう」については、少なからず違和感を覚えてしまう。
絆はがんばって強めたり深めたりできるものではない。それは「気がついたら結ばれ深まっていた」という形で、常に後から気付かれるものではなかったか。
つながりとしての絆は優しく温かい。
利害や対立を越えて、絆は人々をひとつに包み込むだろう。
しかし、しがらみとしての絆はどうか。
それはしばしばわずらわしく、うっとうしい「空気」のように個人を束縛し支配する。
たとえばひきこもりや家庭内暴力は、そうした絆の副産物だ。
もちろん危機に際して第一に頼りになるものは絆である。その点に異論はない。しかし人々の気分が絆に向かいすぎることの問題もあるのではないか。
絆は基本的にプライベートな「人」や「場所」などとの関係性を意味しており、パブリックな関係をそう呼ぶことは少ない。
つまり絆に注目しすぎると、「世間」は見えても「社会」は見えにくくなる、という認知バイアスが生じやすくなるのだ。
これを仮に「絆バイアス」と名付けよう。
絆バイアスのもとで、人々はいっそう自助努力に励むだろう。
たとえ社会やシステムに不満があっても、「社会とはそういうものだ」という諦観が、絆をいっそう深めてくれる。
そう、私には絆という言葉が、どうしようもない社会を前提とした自衛ネットワークにしか思えないのだ。
それは現場で黙々と復興にいそしむ人々を強力に支えるだろう。
しかし社会やシステムに対して異議申し立てをしようという声は、絆の中で抑え込まれてしまう。対抗運動のための連帯は、そこからは生まれようがない。
なかでも最大の問題は「弱者保護」である。
絆という言葉にもっとも危惧を感じるとすれば、本来は政府の仕事である弱者救済までもが「家族の絆」にゆだねられてしまいかねない点だ。
(略)
さらに問題の射程を広げてみよう。
カナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クラインが提唱する「ショック・ドクトリン」という言葉がある。
災害便乗資本主義、などと訳されるが、要するに大惨事につけ込んでなされる過激な市場原理主義改革のことだ。
日本では阪神淡路大震災以降になされた橋本(龍太郎)構造改革がこれにあたるとされ、さきごろ大阪市長選で当選した橋下徹氏の政策も、そのように呼ばれることがある。
人々が絆によって結ばれる状況は、この種の改革とたいへん相性が良い。
政府が公的サービスを民営化にゆだね、あらゆる領域で自由競争を強化し、弱者保護を顧みようとしない時、人々は絆によっておとなしく助け合い、絆バイアスのもとで問題は透明化され、対抗運動は吸収される。
もはやこれ以上の絆の連呼はいらない。
批評家の東浩紀氏が言うように、本当は絆など、とうにばらばらになってしまっていたという現実を受け入れるべきなのだ。
その上で私は、束縛としての絆から解放された、自由な個人の「連帯」のほうに、未来を賭けてみたいと考えている。
=毎週日曜日に掲載
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最後に、もう一つの「絆」をご紹介する。
全国中学人権作文コンテストで福岡の朝鮮学校生徒が最優秀・内閣総理大臣賞
「第31回全国中学生人権作文コンテスト 内閣総理大臣賞 玄祺と健太の「絆」」(コチラでご紹介)である。
是非ご一読を。
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