2015年1月10日土曜日

堀田善衛『ゴヤ』(55)「宮廷画家・ゴヤ」(2) : 「カルロス四世、マリア・ルイーサ、マヌエル・ゴドイの、この地上の三位一体は、如上の革命的頽廃の象徴のようなものであった」

京都 高台寺前から八坂の塔を眺める 2015-01-02
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王妃マリア・ルイーサは鼻持ちならぬ女悪党であった
 「一方、王妃のマリア・ルイーサは、これはもう鼻持ちならぬ女悪党であった。
・・・とにかく慾の皮のつっぱった、これが欲しい、あれが欲しいとなったら、土地でも、恋人でも、宝石でも、それはもうどこどこまでも頑張り通して手に入れる。」

 「大体この女性、パルマ公国の公女として生れていて一六歳の皇太子カルロスと一三歳のときに結婚をしたもので、婚約がととのった瞬間から、もう家中でも未来のスペイン王妃としての、ふさわしい敬意を払うように、と要求して兄弟姉妹の間で喧嘩が絶えなかったというのであるから、はじめから絶望であったものかもしれない。」

若い夫たる皇太子は、従の地位に立たねばならぬことになってしまっていた
 「マドリードへあらわれて結婚式がとり行われると、悪い事に、父のカルロス三世はすでに妻をなくしてやもめの生活を送っていたために、事ある毎に、このマリア・ルイーサが王妃代理として公式にホステス役をつとめることになった。英語で言うとして First Lady of Spain である。従ってここで既に若い夫たる皇太子は、従の地位に立たねばならぬことになってしまっていた。外交官との接見や、重臣の任免などに立ち会うのは、義父である王とマリア・ルイーサなのである。彼女は一五歳の頃に、もう父王の言うことなど聞かないことにしたらしい形跡がある。この頃から、扈従なしでマドリードの町を浮れて歩いていたと言われる。」

そうしてマヌエル・ゴドイが来る・・・
 「彼女は一七八〇年頃、二八歳あたりのときから自分で自分の生活をすることに決めたようである。はじめの若いツバメは、後にゴドイの副官になるモンティーホ家のテバ伯爵であったらしく、次なる男はピニャテルリ家の若いフエンテス伯爵。この後者は、アルバ公爵夫人に寝取られてしまって、これがあとあとまでつづく王妃の側の怨恨のもととなる。その次がポルトガル王家のランカストレ伯爵、廷臣のオルティス伯爵、そうしてマヌエル・ゴドイが来る・・・。」

マリア・ルイーサはまんまと罠にひっかかった
 「政治向きのことで、この王妃が一番熱心になれるのは、実家であるパルマ公国の領地を拡大することであった。幼少の頃に、おれはパルマ大公になるんだ、あたしはスペイン王妃だ、というわけで引っぱたき合いの喧嘩をした兄貴の地面をひろげることの引き合いに、スペインはアメリカのフロリダ(ルイジアナ)と軍艦六隻をフランスに譲った。この交渉をしたのはナポレオンの弟リュシアンであったが、マリア・ルイーサはまんまと罠にひっかかったのである。実家の領地をひろげるどころか、ヒサシを貸して母屋をとられてしまった。
パルマ公国を大きくしてやってスペイン王室の影響から切り離せば、そこからイタリア中央部に対するナポレオンの睨みが利くという次第である。」

陰気なまでに謹厳で厳格なカルロス三世時代の宮廷内の風潮が、急速に頽廃して行ったのは何故か -
- それは、カルロス三世そのものが種を播いたことに発する
- イエズス会士の追放は、スペインの精神風土に一つの真空地帯を残した
 「カルロス三世は一七六七年に強大な、軍隊風の組織をもっていたイエズス会をスペインから追放した。この強力な教団は、スペインにおいて教育、特に高等教育の担当者としてほとんど専権的に振舞っていた。・・・
ではこのイエズス会が追放されて一挙にフランス啓蒙派風な、進歩的な教育が行われるようになったか。・・・
そうは行かない。異端審問所が、山脈の向うからこぼれて入って来る書物には厳重な監視体制をしいている。
ではどうするか。実はどう仕様もないのである。大混乱がやって来る。前進も後退もならなくなる。
つまり、イエズス会士たちの追放は、スペインの精神風土に、一つの真空地帯をのこして行くことになった。」

伝統的道徳律の崩壊と価値観の変換は、社会の上層部に消極的なマゾヒスティックな反応を呼び起した
 「この真空地帯へなだれ込んで来たものが、前記の、社会の「革命を前にしたマゾヒズム」であった。社会の上層部の下向志向であり、自虐、あるいは自殺希求である。皇太子や皇太子妃までが、まるでわれ勝ちにというふうで、巷の境にまみれたがった。
スペインの伝統的に厳格な道徳律が音をたてて - ここで社会の上層部においてと断っておかなければならないが - 崩れはじめた。フランス啓蒙派の思想は、価値観の根底的な変換を要求していた。・・・
伝統的道徳律の崩壊と、価値観の変換は、社会の上層部に積極的な反応を、ではなくて、消極的な、マゾヒスティックな反応を呼び起した。積極的に、ということになればフランス革命と同じことが起るであろう。しかしそれを許すには、まだまだ伝統は強かった。・・・」

「消極的、通俗的にということになれば、それはまず風俗の面にあらわれる。下層階級であるマハやマホの服装を真似たがる。偽りの解放である。そうしてこれが昂じて行けば、まず第一に洪水が突破する堤は、性道徳である。はじめはひめやかに、しかしついには大びらに。
カルロス四世、マリア・ルイーサ、マヌエル・ゴドイの、この地上の三位一体は、如上の革命的頽廃の象徴のようなものであった。」
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