2024年9月25日水曜日

立憲・野田代表の「政権奪取」戦略の"落とし穴"  刷新感重視の新体制も、程遠い「ノーサイド」(東洋経済) / 「ノーサイド」どころか「あからさまな論功行賞」 立憲・野田新体制の顔触れは「代表選で応援した人」ばかり(東京) / 信濃毎日新聞 →  当初、「昔の顔」は良くいないと代表選出馬をためらう野田佳彦氏の背中を押したのは、泉健太執行部の辻元清美代表代行だった。


〈ツイート全文〉

 立憲代表選について、信濃毎日新聞の記事、とても驚いた。

当初、「昔の顔」は良くいないと代表選出馬をためらう野田佳彦氏@NODAYOSHI55

 の背中を押したのは、泉健太執行部の辻元清美代表代行@tsujimotokiyomi だった。

都知事選敗北後の7月下旬、蓮舫氏の慰労会で辻元議員、「私は政治的スタンスは違うが、やはり野田さんがもう一回、チャレンジすべきだと思う」

野田氏「そんな簡単に言うなよ」、回答をはぐらかしたものの、ベテラン議員は「立場を超えた要請に心が動いたのは間違いない」とみる。

野田氏の出馬要請を辻元議員までもがしていたとは、一体どういうことなのか。辻元氏は野田氏に何を期待して出馬要請をしたのか、説明してほしい。

7月6日の七夕街宣、高田馬場駅前のビッグBOXでの野田議員ら旧民主党幹部陣らの登壇には、市民から批判の声も根強かった。

都知事選で無党派層を取り込めなかった原因の一つは、旧民主党幹部を全面に出しすぎたからだと指摘されているが、そもそも立憲自体がそのことへの総括や反省を全くしていない。萩生田光一都連会長は辞職したが、都知事選で立憲は誰1人責任を取っていない。

辻元議員は、代表選後の取材で「吉田はるみ議員の応援になぜつかなかったのか?」と聞くと、「相当、吉田議員からは相談を受け、陰に陽に皆でサポートしていた。はるみさんか出れて良かった。(自分は)泉執行部なので、推薦人には名前を出せなかった」と言うものの、誰に投票したかは明言しなかった。

「野田新代表の下、立憲全体が右傾化するのではとの懸念はないか?」との質問には、「これから。参議院の憲法審査会の責任者は私。衆議院は逢坂誠ニさん@seiji_ohsaka 。野田さんは今すぐ憲法改正は必要ない、政局に利用するなという立場。安保法制でも日米の(軍事)一体化の中でどこが違憲なよか、切り分けて議論する必要があると言っている。私も同じ立場だ」と野田氏の考えへの賛意を示した。

消費税減税については「これから議論が必要。税制全体で考えていく必要がある」と、これも野田氏と同じような回答だった。

野田新代表の人事では、辻元議員は代表代行を継続、これも結局、「論功行賞」だったのだろうか。

野田氏はとぼけたが、2012年7月の衆議院予算委で、集団的自衛権について「政府内での議論も詰めていきたい」「集団的自衛権の一部を必要最小限度の自衛権に含むというのは一つの考えだ」と述べ、憲法解釈の見直しを検討する意向を表明している。

野田新代表の下、立憲は自民裏金や統一教会問題を全面に掲げ、政治改革を訴え、他の野党との連携を模索する一方で、「論憲」と言う名の下、改憲を推し進めていくのではとの懸念が拭えない。そして、野田氏の出馬を辻元議員が要請、野田氏が出馬に傾いた大きな動機の一つになっていたとは。

Arc Timesでは、立憲代表選や自民総裁選、斎藤元彦知事について、作家の古谷経衡さん

@aniotahosyu と議論→

https://youtube.com/live/5GGomjy-khs?si=YZQCHbp2H-YWMWID


野田氏が首相時代の2012年に自身の諮問会議「フロンティア分科会」が、集団的自衛権の解釈変更を提言したとの朝日新聞の記事↓これに基づき、野田氏は解釈変更について「議論も詰めていきたい」と初めて首相の立場で解釈変更に言及した。

http://asahi.com/special/minshu/TKY201207060738.html


野田首相の発言を受けて、当時の日弁連の抗議声明→ https://nichibenren.or.jp/document/statement/year/2012/120727_3.html


望月衣塑子



 

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