2020年5月27日水曜日

慶応3年記(7)7月 土佐藩、大政奉還を藩論とする 幸田露伴生まれる 中岡慎太郎の陸援隊結成 

慶応3年記(6)6月 「エエジャナイカ踊り」始まる 新選組105名、幕府召し抱えとなる 坂本龍馬「船中八策」 薩土王政復古盟約成立(のち安芸が加わる) 福澤諭吉、米より帰国
より続く

慶応3年(1867)7月
・仏、元老院令、立法院は委員会・参事院の承認がなくとも奉答文修正に関する審議をしてもよいと定められ、また憲法に定められている立法院会期(3ヶ月)規定削除。自由主義勢力の主張を取入れ、議会との軋轢を緩和する政府の議会対策。
・朝鮮【シャーマン号事件】重武装のゼネラル・シャーマン号、大同江から平壌近くまで侵入、殺人・略奪・暴行。
・ニーチェ、ライプツィヒ大学に懸賞論文提出。「文献学研究会」で「エウボイアの吟遊詩人の競争」発表。「文献学研究会」に入会したローデと短期間同じ下宿に住む。
7月1日
・坂本龍馬、中岡と共に十津川邸を訪う。後藤は薩邸に行き討幕挙兵の延期を依頼。
・前年、英議会通過の英領北米法発効。英領北米植民地のうちノヴァ・スコシア、ニューブラウンズウィック、ケベック、オンタリオの4州からなるカナダ自治領が発足。
・北ドイツ連邦憲法が発効。
7月3日
・成瀬正肥(尾州藩付家老)、登城し徳川慶喜に謁見。
7月4日
・後藤象二郎、大政奉還建白進言のために薩土王政復古盟約を持ち京都出発、土佐へ帰国の途につく。7日帰藩。
7月5日
・(新8/4)パークスと新潟奉行白石下総守との会見が行われる。
7月6日
・長崎丸山で英国軍艦イカルス号水夫2名殺傷事件。海援隊に嫌疑がかかる。
・長州藩正使岡義右衛門・副使野村靖之助、高知着。/10.容堂に藩書(毛利候親)を渡す。
7月7日
・田中顕助、京都より太宰府に至り5卿に上国の情勢を報告。
・後藤象二郎・真辺栄三郎、土佐浦土入港。容堂を訪問。9日、山内容堂、後藤象二郎・真辺栄三郎から大政奉還の説明を受け藩論とする。寺村左膳、大政奉還策を山内豊範に伝える。後藤象二郎・寺村左膳・真辺英三郎ら、藩庁に有司を集め大政奉還策の推進を声明。
・ゴーギャン(19)母アリーヌ・ゴーギャン(42)、没。
7月8日
・長崎で英国水兵を殺害した金子才吉、自刃(この時は彼が加害者とわからず)。
7月10日
・品川・新宿・下板橋・千住・新井の5関門、廃止。
7月13日
・土佐藩山内容堂、後藤・神山佐多衛門らに建白準備命ず。
7月14日
・福沢諭吉(外国書取調所)、前年の遣米使節に同行した際、公費を自分の資料購入の為に使い込んだとして謹慎処分。8月、外国奉行宛に弁明書提出。10月末、謹慎処分解除。謹慎中、中島三郎助が訪れ、事情を知ると、蟄居処分撤回を老中稲葉美濃守を訪れて嘆願(「福翁自伝」)。
7月15日
・薩摩藩村田新八、西郷吉之助の代理として山口着。/18.長州藩品川弥次郎・柏原数馬、村田と共に上京。
・中島三郎助(47)、軍艦役並となる。
・メキシコ、フアレス大統領、内戦を抑え共和制を復興。財政再建のため革命軍を解散し経済復興に力を集中。
・フランスとシャムの新条約が調印
7月16日
・山県狂助の婚礼。
7月17日
・土佐藩主山内豊範、兵制改革として士格も銃隊に再編成するよう布告。
7月18日
・陸奥宗光「商法の愚案」起草(9月初旬龍馬に提示)。
7月19日
・イギリス公使パークスの名代書記官ミツトフォード、通弁官アーネスト・サトウ、南京人リン・フー3人、福井入り。
能登七尾~18日、加賀から越前入り。19日、福井入り、昼過ぎ、福井発。鯖江城下を通過、夕方、府中着。20日朝、府中発。栃木峠~近江。
・米、第3次再建法が可決。
7月20日
・英国パークス公使、長崎発。/24.大阪着。老中板倉勝静に抗議。土佐藩取調べ要求。
・プロイセン軍艦ヴィネタ、箱館入港。公使ブラント乗船。箱館奉行杉浦誠を表敬訪問。ヴィネタは箱館沖で大砲射撃訓練。8月6日出港。7日、プロイセン領事ゲルトナーが杉浦を訪問し、かねてから勧めている箱館への西洋式農法導入の件を催促。
・バイエルン王ルートヴィヒ2世、パリ到着。~7月末迄。
7月21日
・土佐藩答礼使原平四郎・寺村亨、毛利敬親父子に謁見、大政奉還建白計画報告。毛利俊子の山内豊範への復縁。
7月22日
・幕府、陸軍奉行並平岡庄七に水戸藩政改革用掛を命ず。
・(新8/21)ええじゃないかの発祥。三河吉田(豊橋市)近くの草間・牟呂・野田新田・萱町などに伊勢のお札が降る。
7月23日
・天理教の中山秀司、吉田家より布教を許される。
・パークス、板倉老中へイカルス号事件で会見を求む。
・将軍慶喜、京都より大坂に至る。25日、フランス公使レオン・ロッシュを大坂城に引見、仏艦を訪問。26日、またロッシュを引見。27日、イギリス公使パークスを引見。28日、帰京。
・幸田露伴生まれる。
「幸田露伴は幕府お坊主衆、幸田成延の四男に生まれた。お坊主衆には表坊主、奥坊主、お数寄屋坊主などがあり、露伴の父は表坊主(表お坊主)だった。「お坊主といふのは、その頭が僧形なところから来るので、今日でいぶと、宮内省あたりの式部職の下役のやうな職をもってゐたと考へたら、一番よく当ってゐるかも知れない。格式や典例や犠礼のやかましい幕府に於けるその方面の案内掛りであり、引廻し役であり、頭次下役、高等給仕、さういふものをも兼ねてゐたと見てよい」(柳田泉『幸田露伴』)。お坊主衆は必ずしも身分的に高いとはいえなかったけれど、将軍や幕府の高官たちと直接に接する機会が多かったから、かえって、「田舎の小大名や無役の千石旗本などよりも威勢がつよがった」という。」(『七人の旋毛曲がり』)
7月24日
・土佐藩乾退助、参政抜擢。
7月25日
・マルクス、「資本論」第1巻の序文を書く。
7月26日
・西郷隆盛、アーネスト・サトウと会見。
7月27日
・土佐藩参政由比直春・大監察佐々木三四郎、中岡に白川村土佐藩邸の使用許可。
・伊東甲子太郎、柳馬場の中岡慎太郎を訪ねる。
7月28日
・長崎水夫殺害容疑、海援隊にかかる。滞京中の幕府大目付永井尚志、土佐藩京都留守居役森多司馬呼出し。大監察佐々木三四郎ら、再調査のため京都発。
7月29日
・この月6日長崎丸山のイカルス号英国水兵2人殺害事件に関し海援隊に嫌疑を蒙ること京坂に伝わる。同日、龍馬、松平春嶽より山内容堂あてイカルス号事件に関する書翰を托せられ京都出足、下坂。
・中岡慎太郎、京都で陸援隊結成。洛外白河村土佐藩邸(洛東白川藩邸)。中岡隊長、参謀格田中顕助、香川敬三(水戸)、大橋慎三、岩村精一郎、斉藤治一郎(大江卓)。隊員77名。中岡下宿は柳馬蛸楽師。

つづく



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