2020年5月28日木曜日

慶応3年記(8)8月 イカルス号事件談判(高知、長崎)、海援隊への嫌疑はれる 坂本龍馬、密かに高知上陸 一橋家臣・慶喜侍臣原市之進暗殺 名古屋にお陰参り「ええじゃないか」おき、諸国に蔓延

慶応3年記(7)7月 土佐藩、大政奉還を藩論とする 幸田露伴生まれる 中岡慎太郎の陸援隊結成
より続く

慶応3年(1867)8月
・駒場野一揆。この月、幕府、武蔵荏原郡上目黒村駒場野一帯を上知して、撒兵伝習調練場としたため、農民騒擾起る。
駒場野西方下北沢村の田畑並木・家屋取り払いを決めるが、替地などの連絡はなく農民達は連日相談を繰り返す。やがて対象土地が代田村・代々木村にも及び8月4日に現地見分があり、付近8ヶ村民家200軒取壊しを決める。20日、動揺した村民達は駒場野番人宅を打毀す。代官が説得に努めるが農民を沈静化できず、止む無く対象を羽根沢村などに変更するが、これを聞いた羽根沢村などの農民・町人は硬化し、見分もできない状況となる。結局、幕府は駒場野の上知を撤回。
・渡仏中の栗本鋤雲、アルプス登山し植物を採集。
・英、IRBマンチェスター大会、IRB再建。
・ナポレオン3世、ザルツブルグでオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフと会見。ロシアの南下政策を警告。
8月1日
・坂本龍馬、イカルス号水夫殺害事件再調査の土佐藩大監察佐々木三四郎と大坂から薩摩船三邦丸で土佐へ。イカルス号事件について松平春嶽より山内容堂あての手紙を託されている。2日、須崎入港。船中潜伏。
・(新8/29)パークス、イカルス号事件に関して大坂を出発し土佐へ向かう。
・ワーグナー「タンホイザー」再上演。ミュンヘン。
8月3日
・幕艦回天丸、イカルス号事件談判の為高知須崎入港。5日、外国奉行平山図書一行、高知城下にいる。
・龍馬、土佐藩大監察佐々木高行に托し春嶽書翰を容堂に渡す。龍馬帰国同乗のことを容堂は「内外やかましきことかな」と洩らす。8日夜、龍馬、密かに上陸し同志川原塚茂太郎を訪い時勢を談じて高知の兄権平の消息文を頼む。
8月4日
・杉浦譲(愛蔵)、江戸への派遣の辞令を受ける。
8月5日
・(新9/2)幕府、山城国全部を朝廷に献上。
8月6日
・イカルス号事件に関連してパークス公使、英艦パブリスク号で須崎入港。7日、パークスと後藤象二郎ら土佐側代表、夕顔船上にて第1次談判交渉。パークスの威嚇、後藤にたしなめられる。8日、第2次交渉調査は長崎に移すことになる。同日英艦でパークス出帆。10日、幕府回天丸出帆。12日、土佐藩大監察佐々木三四郎、松井・岡内重俊・アーネスト・サトウらと共に浦戸発。須崎で潜伏中の坂本龍馬も乗込み長崎へ。佐々木と上陸しお龍を紹介す。「有名なる美人なれども善悪ともになしかねまじき女」と批評。
8月8日
・伊東・斉藤・藤堂・鈴木4人、老中板倉伊賀守勝静へ建白書提出。この日、伊東甲子太郎・新井忠雄、再度九州遊説の旅に出る。
8月11日
・通訳官サトウ(24)、高知九反田開成館にて山内容堂と会見。
・薩摩藩村田・長州藩品川ら、京都着。西郷・大久保と会見。
この月、薩摩藩、長州藩に挙兵の「秘策」を説明。御所に藩兵を入れ、討幕派公家が結集して制圧。会津藩邸・幕兵陣営を「急襲」し「焼き払う」。天皇を男山に移し、「討将軍」の布告を出す。藩兵3千で大坂城を制圧し、大坂湾内の幕府艦隊を「破砕」。関東方面では、甲府城に「立て籠もる」という武力蜂起計画。久光・西郷・大久保・小松4人のみが関知する「奇襲」作戦と説明。
8月12日
・長府の三吉あて対幕戦に備え薩長土3藩に長府藩を加えて連合艦隊にて応ずる策を報知。
8月13日
・幕府、ベルギーと通商条約締結。
・小栗上野介忠順、三野村利左衛門(三井組)の訪問を受ける。
8月14日
・一橋家臣・慶喜侍臣原市之進(38、元水戸藩士)、暗殺。加害者の同藩士鈴木豊次郎・依田雄太郎ら3人も自刃。
8月15日
・坂本龍馬、長崎到着。海援隊本部小曽根家に入る。佐々木三四郎、土佐商会岩崎弥太郎と打合せイカルス号事件解決のため懸賞金つける。
・英、都市労働者階級を対象とした第2次選挙法改正法案成立。都市住民の殆どが選挙権を持つ。
8月16日
・マルクス、「資本論」第1巻の校正を終え、エンゲルスに感謝の手紙を書く。下旬、「資本論」第2巻の仕事に着手。
8月18日
・長崎立山役所にてイカルス号事件正式取調。海援隊。土佐藩、アーネスト・サトウ、幕府外国奉行平山図書頭、海援隊への嫌疑はれる。犯人は筑前藩士、犯行後自殺。
・陸援隊隊長横山勘蔵こと中岡慎太郎、東山の月真院を訪ねる。御陵衛士橋本皆助、陸援隊へ加盟し名を水野八郎と改める。
8月19日
・幕府、兵庫開港に備え大坂に商社設置。
8月20日
・龍馬、玉川亭で木戸・佐々木を会合させ土藩金1千両を桂に貸与周旋。21日、龍馬、岩崎を訪い、桂へ貸す金子1千両を依頼。
・土佐藩山内容堂、後藤の意見いれ大政奉還建白の意志布告。山内容堂・(藩主)山内豊範、大政奉還策推進について全権を後藤象二郎・寺村左膳に委任する旨を布告。同日、山内豊範、藩内に対し討幕論・攘夷論を唱え人心を刺激しないよう諭告。同日、板垣退助アメリカ派遣内命。翌日、軍備用兼致道館係解任。板垣拒否。板垣の武力討幕論かわす目的。
・幕府、外国渡航者に対する許可状、手数料等を決める。
8月21日
・後藤象二郎、単独で大政奉還の建白書をもち高知を出発。
・桂、龍馬あて書翰。建白論は「老婆の理屈」と批判忠告を発信。
・伊東甲子太郎・新井忠雄、太宰府に入る。
8月22日
・この日付けの木戸孝允の書状。
「幕府も一橋将軍と相成候巳後、諸事大変革に而兵制改革等之儀は実事余程相挙り」と、冷厳に判断し、「国に二王なき之大義」すなわち統一国家実現の立場から、「大姦雄(慶喜)を軽蔑致し候事は甚可恐儀に而」と対決的。
8月25日
・龍馬、岩崎と来談。横笛丸呼び戻しのこと(海援隊士管野・佐々木をイカルス号事件の証人として召喚するため)で岡内・石田英吉らを幕船長崎丸で鹿児島へ派遣。この時、龍馬は薩藩の贋造2歩金入手を岡内に依頼。27日、龍馬、岩崎訪問。28日、龍馬、長崎奉行所管の10万両を、一朝事起これば奪い取る計画を佐々木と相談。此頃より佐々木をしばしば訪問。時に起居を共にして論談大いに発す。31日、岩崎と置酒談話、海援隊旗にかけ「中白来」とからかわれる。
・英、化学者・物理学者ファラデー(75)、没。
8月26日
・【バルカン同盟完成】セルビアとギリシャ、同盟条約締結。セルビア、モンテネグロ、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ。
8月28日
・塩谷宏陰(59)、没。
・ロッシュ、将軍慶喜に政治改革意見書を呈す。
建言には、家屋・宅地税、営業税、酒・煙草・茶・生糸などへの課税が主張されている。この税制改革は、幕府の倒壊により実現せず。
・名古屋に御札の降下が始まる。この月、名古屋地方より、お陰参り「ええじゃないか」おきる。神礼降り庶民狂喜群舞して諸国に蔓延。10月中旬、京都でお札が降りはじめ踊りが始まる。大坂では10月下旬に始まる。10月14日の「大政奉還」直後から、降札も増え、騒動が繰り広げられた事は、この「ええじゃないか」騒動の政治性を物語る。
「恰も此時に当り京師に一怪事ある。空中より神符翩々と飛び降り処々の人家に落つ。其の神符の降りたる人家は壇を設けて之れを祭り、酒肴を壇前に陳らぬ。知ると知らざるとを問わず其人家に至る者の酔飽に任す。之れを祝して吉祥と為す。都下の士女は老少の別なく綺羅を衣て男は女装し、女は男装す。群を成し隊を作す。悉く俚歌を唱ひ太鼓を□ち以て節奏をなす。其歌辞は『ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、クサイモノニ紙ヲハレ、ヤブレタラマタハレ、エイジャナイカ、エイジャーナカト』と云ふ。・・・八月下旬に始まり十二月九日王政復古発令の日に至て止む」(「岩倉公実記」)。
8月4日の三河国宝飯郡御油宿の「お札ふり」を初見とする説。7月に三河吉田近辺のお札降りなど、初見には異説あり。
この騒動は、伊勢・京坂以西、とくに山陽筋・四国で、「ええじゃないか」のはやし言葉とともに祭りと踊りが展開し、美濃以西では「お札祭り」「お札ふり」「お札様」「おかげ」「チョイトサ踊り」などと呼ばれている。
8月29日
・浜松藩、「ええじゃないか」のための参詣を禁止する令を発布。
8月31日
・仏、詩人ボードレール(46)、没。

つづく

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