2020年5月26日火曜日

慶応3年記(6)6月 「エエジャナイカ踊り」始まる 新選組105名、幕府召し抱えとなる 坂本龍馬「船中八策」 薩土王政復古盟約成立(のち安芸が加わる) 福澤諭吉、米より帰国

慶応3年記(5)5月 薩土討幕盟約成立 兵庫開港勅許 薩摩藩、武力討幕に傾く 四候会議難行(薩摩の武力討伐論が土佐の公武合体論を圧倒、容堂退出帰国)
より続く

慶応3年(1867)6月
・箱館駐在英国領事代理ユースデン着任。明治13年(1880)に帰国。 
・会津藩家老梶原平馬(25)、兄内藤介右衛門と共に永井尚志を訪問、容保の一時帰国許可を依頼。
6月2日
・坂本龍馬、紀州談判の償金の品物代価について後藤岩崎と3人で密談し、五代に帖面を渡す。3日岩崎と置酒し心事を談合「坂本抵レ掌称レ善」(弥太郎日記)。4日、坂本龍馬、お竜らユニオン号で下関へ航海の途中長崎に寄港。6日、龍馬、岩崎と共に大洲藩船将を訪い、いろは丸代価のことを談合。
・山内容堂、土佐へ帰着。
6月5日
・幕府、大坂の豪商に商社の結成・兵庫開港資金拠出・貿易取締方を命じる。
6月6日
・(新7/7)幕府、兵庫開港と江戸・大坂開市を12月7日と布告。
・まず京都で、次いでこの日から大坂で「豊年おどり」がおこる。この踊りは、その最初から、「エエジャナイカ」をあいの手とする「エエジャナイカ踊り」でもある。
これは「エエジャナイカ踊り」として、下旬には、大垣地方にまで伝播したという。この踊りは、物価引き下げの期待をこめた長州軍上京への期待と、明らさまな猥語によって表現された抑圧された人間感情の吐露とを、「エエジャナイカ」という語によって結びつけたもの。
6月7日
・長州藩士村岡伊助、暗殺。
6月8日
・高台寺党発足。伊東甲子太郎ら御陵衛士、善立寺から東山高台寺月真院に移る。
・オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、ハンガリー国王即位、戴冠式。フランツ・リスト作曲・指揮戴冠式ミサ曲。
6月9日
・坂本龍馬、正午頃土佐藩船水蓮(夕顔)にて後藤と共に長崎出航。岩崎より馬上袴仕立てを贈られる。船長由井畦三郎、属官松井周助、高橋七右衛門、海援隊文司長岡謙吉ら同船。10日下関着、桂を訪うも不在。11日朝岩見島辺で少々座礁。
肥後藩士を紹介する書「一筆啓上仕り候。然るに天下の勢云々。さて肥後庄村助右衛門、度々面会、大兄にお目にかかりたきよし。其故は云々――この間は石田栄吉よりくわしく申上げるお聞取りにてご返書願い奉り候。なにとぞ、思召しのほどお聞かせ願い奉り候。謹言。 六月十日 龍馬 木圭先生 才谷」(10日付け龍馬から桂小五郎宛書簡)。
6月10日
・近藤勇・土方歳三ら新選組105名、幕府召し抱えとなる。近藤勇・土方歳三が直参旗本となる(近藤、土方外沖田ら見廻組6名、吉村貫一郎ら見廻組並8名、島田魁ら平士見廻組並御雇77名、岩崎一郎ら12名の合計105名)。
6月12日
・新撰組茨木司・佐野七五三之助ら10人、局を脱して月真院に至り、伊東甲子太郎ら御陵衛士への糾合を願うが拒絶される。
・坂本龍馬、兵庫入港。此間大政奉還の基案「船中八策」成り長岡に筆記さす。13日大坂着。後藤象二郎と京都入り。
「慶応三年六月付 一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。 一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。 一、有材の公卿・諸侯及び天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来の有名無実の官を除くべき事。 一、外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事。 一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。 一、海軍宜しく拡張すべき事。 一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。 一、金銀物貨、宜しく外国と平均の法を設くべき事。 以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内万国に徴するに、之を捨てゝ他に済時の急務あるべし。苟も此の数策を断行せば、皇運を挽回し国勢を拡張し、万国と並立するも亦敢て難しとせず。伏て願くは、公明正大の道理に基き、一大英断を以て天下と更始一新せん」(「坂本龍馬関係文書」)。
・プロイセン、国民自由党結成。
6月13日
・長崎浦上の潜伏キリスト教徒68人逮捕。
・山本旗郎、水戸藩士住谷寅之介を京都松原河原に殺害。
・土佐藩乾退助、大監察復帰。
・新撰組茨木司ら、京都守護職へ新選組離隊の嘆願書を提出。近藤勇・土方歳三、守護屋敷へ赴き、説諭するも説を曲げず離隊を弁ず。14日、近藤勇、この日も説諭するが功を奏さず、茨木司・佐野七五三之助・中村五郎・富川十郎4人を殺害、他6人を追放処分とする。
6月14日
・メキシコ皇帝マクシミリアン、「国家反逆の罪」で新生メキシコ共和国の軍事法廷により死刑判決。
6月15日
・坂本龍馬、京に到着。中岡・田中光顕に会い河原町三条下ル車道材木商酢屋中川嘉兵衛(海援隊京都本部)に止宿。長岡謙吉に船中八策を起草させる。16日、「船中八策」成文化。
6月16日
・島津久光長藩士山県狂介(有明)、品川弥次郎を引見して、薩長連合の密旨を長藩毛利敬信に伝えるよう託す。
・ワーグナー「ローエングリン」再上演。ミュンヘン。ルートヴィヒ2世臨席。
6月17日
・(新7/18)幕府親藩の会議が開かれる。
・後藤象二郎、前宇和島藩主伊達宗城を訪問。
・マルクス、エンゲルスより価値形態の付録に関する注意を受け、27日、この付録を仕上げる。
6月19日
・オーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世弟、元メキシコ皇帝マクシミリアン、メキシコ共和政権により銃殺刑
6月20日
・(新7/21)幕府の三兵士官学校の設立が宣せられる。
・(旧5・18)徳川昭武ら、フランス万国博覧会に臨む。
6月22日
・「薩土王政復古盟約」成立。土佐後藤・福岡藤次、薩摩西郷・大久保・小松、浪士坂本龍馬・中岡。三本木料亭吉田屋にて。
慶喜が自ら大政を返還、将軍職も辞退し王政復古を実現。京都の朝廷に上下2院の「議事院」を設け、慶喜以下、公家・大名・藩士・庶民も参加する。慶喜も入れた大名会議による連邦国家構想。薩摩藩は、土佐藩を討幕クーデタに巻き込むため薩土密約に加わる。
薩土盟約。「慶応三年六月付 前文 方今皇国の務、国体制度を糺正し、万国に臨みて恥じず、是れ第一義とす。其の要、王政復古、宇内の形勢を参酌し、天下後世に至て猶其の遺憾なきの大条理を以て処せん。国に二王なし、家に二主なし、政権一君に帰す、是れ其の大条理。我皇家綿綿一系、万古不易、然に古郡県の政変じて今封建の体と成る。大政遂に幕府に帰す。上皇帝在るを知らず。是れを地球上に考ふるに、其の国体茲の如き者あらん歟。然れば則ち制度一新、政権朝に帰し、諸侯会議、人民共和、然る後庶幾は以て万国に臨みて恥じず、是れを以て初て我皇国の国体の特立する者と云べし。・・・ 主旨 一、国体を協正し、万世万国に亙て恥じず、是れ第一義。 一、王制復古は論なし。宜しく宇内形勢を察し参酌協正すべし。 一、国に二帝なし、家に二主なし。政刑惟一君に帰すべし。 一、将軍職に居て政柄を執る、是れ天地間有るべからざるの理なり。宜く侯列に帰し、翼戴を主とすべし」(「大久保利通関係文書」)。
・新選組離隊の武田観柳斎、竹田街道道銭取橋で殺害。この日、親藩会議に出席した近藤勇、親藩の建白書(5.26に薩摩・土佐・越前・宇和島の四候によって出された、慶喜政策を批判したもの)を批評。
6月23日
・「船中八策」を基案とする修正案八条目を京都貸席松本で佐々木三四郎・毛利恭助・中岡慎太郎・坂本龍馬会合。その夕、毛利・佐々木は龍馬・中岡の意見を聞くため東山會々堂に招き密会、「我ガ藩(土佐)ハ是迄幾度モ藩論変ジタル故薩藩モ未ダ疑念解ケズ。此度ハ目的相立テ変換無之ヲ要ス」(佐々木日記)と龍馬説く。
・味の素創業の鈴木三郎助、誕生。
6月24日
・土方歳三・山崎烝・尾形俊太郎・吉村貫一郎の4人、柳原前光・正親町三条実愛の両卿を訪ね、近藤勇の親藩批評の建白書を奉じ、その支持を願うとともに、公武合体の陳情をする。
6月25日
・中岡慎太郎、坂本竜馬を伴い岩倉具視を訪ねる。
6月26日
・王政復古実現のため薩摩藩・安芸藩と薩土芸3藩約定書を結ぶ。
6月27日
・福澤諭吉、多くの原書を携えて小野友五郎一行とともにアメリカから帰る。小野友五郎は福澤諭吉らとうまくいかなかったことを報告。
・武田観柳斎と同調の僧善応、醒ヶ井松原下ルで殺害。
・鍋島直正(鍋島斉正)、病躯をおして入京。
6月29日
・幕府、勘定奉行並関東在方掛河津祐邦に安房・上総・下総・常陸国支配を命じ、陣屋を下総国布佐村に設置。
・桂小五郎、坂本龍馬宛に書簡。容堂の動静を問う。
「拝啓、引継ぎ内外容易ならずご苦慮のよし、い曲石田(英吉、土佐人で海援隊士)兄よりあいうかがい、欽慕奉り候。紀州一件もいかがかと存じ奉り候ところ、ご応接のしだい承知仕り、かく有る可の義とは存じ奉り居候えども、ここに至って図らずも雀躍仕り候。肥後庄邨(荘村助右衛門)へ返書の義、石田兄より是またあいうかがい候につき、即別紙にて差出し候あいだ、よろしく願い奉り候。時に上国の風説取りどりにて甚だ懸念仕り候。老君上にもご帰国遊ばせられ候よし、いかがの御事にござ候哉。近況苦しからず儀はあい伺いたく存じ奉り候。先々は後藤君ご一同、馬関ご通行のよし、駈け違ひ拝青仕りえず、残懐に存じ奉り候。使節のことも石田兄へご伝言くだされ候ところ、この節は上にもご帰国遊ばせられ居、また後藤君などもご帰国中と存じ奉り、寡君の存じ付もこれ有り申し候間、お引請いかがこれ有るべきかと存じ奉り候えども、とりあえず差出し申し候。い曲は石田兄よりご承知なし下さるべく候。先ずは其のため申し上げたく存上げ奉り候。匇々頓首拝 六月二十九日 竿鈴 龍大兄拝呈」(この日付書簡)。


つづく

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