鎌倉 建長寺 2012-04-28
*承平3年(933)
この年
・宇多院の所有であった武蔵国秩父牧が御牧(天皇に馬を貢進する馬寮(めりよう)直属の勅旨牧)に組み込まれる(『政事要略』)。
藤原利仁の従兄弟言行(ことゆき)の子である惟条(これなが)が、秩父牧別当に任じられる。
藤原利仁は延喜年間に鎮守府将軍を務めた後、坂東には土着せず越前に帰り、子孫は北陸武士団として成長していく。
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1月
・群盗の横行
1月20日、坂上経行(「左大史」)、夕方に皇嘉門前において「群盗」に襲撃され、単衣のみの姿にされる(『日本紀略』)。
23日、京中において「群盗」が横行しているため、諸衛に結番夜行を行わせる(『扶桑略記』)。
同日、群盗の横行のため、左右衛門府・兵衛府・馬寮に結番夜行させていたが、陽明門内の近衛陣直であった大沢有春が同近衛府の小槻滋連に酒殿北辺において斬り付けられる。大沢有春は瀕死の重傷となる(『日本紀略』)。
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5月27日
・藤原実頼(「参議従四位上」「讃岐守」)、「右衛門督」を兼任することになり、更に「検非違使」の別当に補任される(『公卿補任』『西宮記』)。
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12月
・承平南海賊
この月には「南海国々海賊、いまだ追捕に従わず、遍(あまねく)く満つ」という状況。
この月、政府は、全国の国司に対し、衛府舎人(天皇親衛隊員)の騒動を強盗とみなして追捕せよ、と通達。
12月17日、南海諸国において「海賊」が未に追捕されていないため、諸国へ「警固使」が発遣される(『扶桑略記』)。
12月28日、諸衛舎人が徒党を為し人家を破壊、財物を掠奪するなど濫行が顕著となったため違反者は「強盗」に準じる扱いとし、これを禁ず(『法曹至要抄』)。
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