北の丸公園
*権力というショック
「不幸にもわれわれは勝利した」(ワレサ)
ラテンアメリカの経験と同じく、独裁政権は、経済政策が崩壊に瀕したときに民主主義に移行する。ポーランドも例外ではなかった。
共産主義勢力は何十年にもわたって経済政策に失敗し続け、破滅的で高い代償を伴う失策を重ね、もはや破綻寸前の状態だった。
「不幸にもわれわれは勝利した」と宣言したワレサの言葉は有名(しかも予言的)だ。
「連帯」主導の政権が発足したとき、ポーランドの債務は400億ドル、インフレ率は600%に達し、深刻な食糧不足が国を覆い、闇市場が活況を呈していた。
工場の多くは、買い手もなく倉庫で腐敗することが目に見えている製品を作り続けた。
ポーランド人にとって民主主義の幕開けは残酷きわまりないものだった。
待ち望んだ自由は実現したものの、給料の価値はどんどん低下し、祝福する時間も気持ちのゆとりもない。
人々は毎日、小麦粉やバターを手に入れるために(店頭にあればの話だが)長い列に並ばなければならなかった。
経済の完全な破綻と大規模な飢餓の発生を回避するという緊急の任務
「連帯」が圧勝した6月から夏の終わりにかけて、新政権は何も決められない麻痺状態に陥っていた。
古い秩序の急激な崩壊と突然の選挙での圧勝は、彼ら自身にも衝撃をもたらした。
たった数ヵ月で、「連帯」の活動家は秘密警察から身を隠す状態から、同じ警察官に給料を支払う立場へと変った。
そこに、政府には給料をかろうじて払える程度の金しかないことに気づくという衝撃も加わる。
夢に描いていたポスト社会主義経済の構築などという前に、まず経済の完全な破綻と大規模な飢餓の発生を回避するという、はるかに急を要する任務に取り組まなければならなかった。
労働者による管理か、漸進的な市場原理導入か
「連帯」の指導者たちにとって、国家による経済統制を終わらせねばならないことは自明だったが、それに代わるものが何なのかが明確ではなかった。
戦闘的な一般組合員は、これを自分たちの経済プログラムを試す好機と見ていた。国営工場を労働者の協同組合に転換すれば、ふたたび経済的に存続可能な状態にすることができる(党官僚にかかるコストが削減され、より効率的な労働者の管理が可能になる)という。
一方、ソ連でゴルバチョフが提唱していた漸進的な改革路線を取るべきだという主張もあった。需要と供給のバランスによる市場原理が適用される領域を徐々に拡大しつつ(合法的な商店や市場を増やす)、北欧の社会民主主義にならって公共部門の強化を進めるという考え方である。
まず今ある危機からの脱却のための債務救済や援助が必要
だがラテンアメリカと同様、ポーランドもまた、何かをする以前にまず、今ある危機から脱却するための債務救済や援助を必要としていた。
本来なら、経済破綻を防ぐために安定化資金を提供するというのは、まさに国際通貨基金(IMF)の中心的な任務だ。
もしそうした救済策を必要としている政府があるとすれば、それは「連帯」が主導する政府、すなわち東欧ブロックで40年ぶりに共産主義政権を倒し、民主主義政権を打ち立てた最初の政府以外にありえなかった。
冷戦期、鉄のカーテンで隠された全体主義に対して浴びせられてきた非難の大きさを考えれば、ポーランド新政権が少々の助けを期待したとしてもおかしくはない。
IMFはポーランドを援助せず、ポーランドの債務とインフレ悪化に任せる
しかし、そうした援助はいっさい提供されなかった。
今やシカゴ学派のエコノミストの牙城となったIMFとアメリカ財務省は、ポーランドの問題をショック療法という観点から見ていた。
経済破綻や大量の債務、急激な体制転換によって引き起こされた混乱といった要素を総合すると、ポーランドは過激なショック療法プログラムを受け入れるのにうってつけの弱体化した状況にあると言えた。
しかも経済的な可能性は、ラテンアメリカをさらに上回る。
東欧は欧米資本主義にとって手つかずの地域であり、消費者市場と呼べるものはまだ存在してない。
価値のある資産はいまだに国が所有しており、それらは民営化の最有力候補となる。
ここに一番乗りすれば、手早く大きな利益を上げられる可能性は計り知れない。
状況が悪化すればするほど新政府が自由放任資本主義への全面転換を受け入れやすくなると確信していたIMFは、ポーランドの債務とインフレが悪化するに任せた。
アメリカのブッシュ(父)政権は共産主義政権を倒した「連帯」を祝福しながらも、その活動を非合法化して組合員を大量に拘束してきた旧政権によって蓄積された債務を、「連帯」が支払うべきだという立場を取った。
同政権が申し出た援助はわずか1億1,900万ドルで、経済危機に直面し抜本的な構造改革を必要とする国にとっては、雀の涙ほどの額だった。
ジェフリー・サックス(34歳)の登場
こうした状況のなか、「連帯」の経済顧問に就任したのが34歳のジェフリー・サックスである。ボリビアでの功績以来、彼の評判は熱狂的なレベルにまで達していた。経済的ショック療法を5、6ヵ国で実施するかたわら、大学教授の職も続けていたサックス(外見はまだハーバード大学のディベートチームの学生のように見えた)の活躍ぶりに驚嘆し、『ロサンゼルス・タイムズ』紙は「経済学界のインディ・ジョーンズ」と呼んだ。
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