北の丸公園
*明治37年(1904)
1月17日
・週刊『平民新聞』第10号発行
論説「吾人は飽くまで戦争を非認す」、「徴兵猶予の取締り」(第2面)、「平民の見たる戦争」(第3面)、「愚劣なる主戦論」(第4面)。
論説「吾人は飽くまで戦争を非認す」
戦争反対は『平民新聞』創刊の日に宣言したが、「爾後の紙上、いまだ特にこの一事に向つて全力を傾注するの機を得ざりしといヘども」、今や「時は来れり、真理のために、正義のために、天下万生の利福のために戦争防止を絶叫すべきの時は来れり」。
「朝野戦争のために狂せざるなく、多数国民の眼はこれがために昧(くら)み、多数国民の耳はこれがために聾(ろう)するの時、独り戦争防止を絶叫するは隻手江河(せきしゆこうが)を支ふるよりも難きは吾人これを知る。しかも吾人は真理正義の命ずる所に従つて、信ずる所を言はざるべからず、絶叫せざるべからず。即ち今月今日の平民新聞第十号の全紙面をあげてこれに充(あ)つ」。
「……吾人は飽くまで戦争を非認す、之を道徳的に見て恐るべき罪悪也、之を政治的に見て恐る可きの害毒也、之を経済に見て恐る可きの損失也、社会の正義は之が為に破壊され、万民の利福は之が為めに蹂躙せらる、鳴呼、朝野戦争の為に狂せざるなく、多数国民の限は之が為に眩(くら)み、多数国民の耳は之が為に聾(ろう)するの時、独り戦争防止を絶叫するは隻手江河を支ふるよりも難きは吾人之を知る、而も吾人は真理主義の命ずる所に従って信ずる所を言はざる可らず、絶叫せざる可らず、鳴呼我愛する同胞、今に於て基本に反(かえ)れ、其狂熱より醒めよ、而して汝が刻々歩々に堕せんとする罪悪、害毒、損失より免れよ、天の為せる禍ひは猶は避く可し、自ら為せる禍ひは避く可からず、戦争一度破裂する其結果の勝と敗に拘らず、次で来る者は必ず無限の苦痛と悔恨ならん、真理の為めに、正義の為めに、天下万生の利福の為めに、半夜汝の良心に問へ」
「徴兵猶予の取締り」
「独り将校のみではない、民間の財力を有する者はその子弟のために徴兵を実際上まぬがれる手段を講じていること、第二面の「徴兵猶予の取締り」と題する記事の示すところである。
「文部大臣は各府県知事に向って大要左の如き訓令を下せり。
徴兵猶予の特典ある学校に入りてこの特典を濫用し、徴集を猶予されんとする者あり。学校もまた、別に注意を加えずしてこれを容認すると聞く、かくの如きは臣民の本分を誤るものというべし。故に地方長官はこれら学校の監督を厳にし、徴兵忌避の疑いある場合には速かにその情況を具申し、また相当の処置をなすべし。」」
(荒畑「平民社時代」)
「平民の見たる戦争」
「第三面の論説「平民の見たる戦争」は、戦争を企て決する者が「天皇陛下は申すも畏(かしこ)し、桂首相、寺内陸相、山本海相、小村外相、曽禰蔵相、児玉参謀総長、伊東軍令部長、伊藤、山縣、松方、井上の諸元老、大山、樺山、野津、井上の諸大将……」なるを知るも、一般人民はかつていかなる相談にも与(あづか)ったことはないと喝破した。なるほど帝国議会なるものがあって人民を代表すると称するが、日本の人口四千五百万のうち選挙権を有する者は百万に足らず、衆議院はすなわち日本人民の四十五分の一を代表するに過ぎない。「されば世の政争と称するものは帝王、貴族、軍人、富豪の仕事にして決してわれわれ平民の仕事にはあらざるなり」と断言した。
最後に、平民が戦争についてもっとも迷惑を感ずるのほ、「兵卒に徴発せらるること是れなり」として、「将校は自ら志願して軍籍に入り月給年俸をとりながらしかも大いに優待され、兵卒は脅迫せられて軍籍に入りほとんど無給にしてしかも奴隷の如く扱はるゝは何の故ぞや。更に戦死の場合を考ふるに、将校の遺族は相応の生活費を給せらるれど、兵卒の遺族はほとんど遺棄せらるゝに等しぎは何の故ぞや」と痛論切言している。」(荒畑「平民社時代」)
「愚劣なる主戦論」
「第四面には「愚劣なる主戦論」をのせ、「主戦論者が露国すでに満洲をとる必ず朝鮮をとらん、一たび朝鮮をとる必ず対馬をとり、九州をとり、日本全土をとらん」というを取り上げて左のごとく論ずる。
「もしこの論法を以て拠るべしとなさば、日本を防ぐまず朝鮮を防がざるべからず、朝鮮を防ぐまず満洲を防がざるべからず、満洲を防ぐまずシベリアを防がざるべからす、シベリアを防ぐまずウラル以東を防がざるべからす、露国本部を防がざるべからず、露国々家を滅尽せざるべからす、然らずんば日本はついに永遠に安全なるを得べからじ、今の主晩論者よくこれをなし得べしとするか。」
戦争は無一文ではできぬ。日露一たび戦わば日本国民は一年三--五億円、二年で八--九億円の戦費を負担しなければならぬ。商業萎靡(いび)し貿易杜絶し田園荒廃する損害はいうも更なり、単に清韓およびアジア・ロシアの貿易上の損害のみでも一年一億円を下らないであろう。況んや戦後の軍備拡張、清韓経営費の膨脹、内外債の支払い、殷鑑(いんかん)遠からず日清戦役の後にある。
好戦論者は戦後、満洲における多大の利権をいうが、ロシアが二千マイルのシベリア鉄道を敷設する間に、日本はわずか二百マイルの京釜(京城・釜山)鉄道をすら完成し得なかったではないか。満洲にして一たび門戸を開放せんか、英・米・独・仏の資本は赳然(きゆうぜん)として集注せられ各種の事業は大いに興るであろう。日本はこれら列国の資本家を利するために幾千万の人命を失い幾億の財力を抛(なげう)ち、国民を塗炭の苦に陥らしめてまでロシアと戦わんとするのであるか。内閣の延命のために、御用商人を富ますために、日本国民の生命財産を犠牲とする戦争は吾人絶対に否認すると主張した」
(荒畑「平民社時代」)。
「戦争と兵士の家族」(英文欄)
「(荒畑「平民社時代」による要旨)
……わが国の好戦主義者は戦勝を予期して欣喜しているが、勿論われらはかかる楽観的見解を抱き得ない。そしてこの戦争は勝敗の如何にかかわらず、恐るべき惨害を人類に及ぼすべきを確信する。それは貧民の犠牲において貪婪(どんらん)な資本家を富ませ、兵士の費用で将軍に多大の栄誉をもたらすが、しかし、何よりも国家にとって最悪なのは戦争が、ほとんど絶望的な窮乏と苦悩の生活に沈淪(ちんりん)している多数無辜(むこ)の寡婦孤児をつくることである。そして今や彼等の稼ぎ人を奪われたこれらの家族に関連する、わが国の法律を想起するを要する。
一九〇二年(明治三十五年)には、これらの家族援助費を増加するように法律が改正された。この法律によれば、国家が戦死者または戦傷死者の遺族に与うる給与は次のごとくである。
遺 族 年 額(円)
兵 卒 三六 -- 五七
下士官 六〇 -- 一五〇
少 尉 一八〇
中 尉 二二五
大 尉 三〇〇
少 佐 四五〇
中 佐 六〇〇
大 佐 七五〇
これらの年金は寡婦の生存中支給され、再婚とともに停止される。……概言すれば、この年金は士官または兵卒が生存中にうけた給与の三分の一である。大尉の階級から以下の年金が一家族を支うるに足りないことは極めて明白で、戦死した兵卒の寡婦や遺児は一週三十五セント(約七十銭)のみじめな端た金で生活しなければならない。
自身の死がその家族を飢餓におとしいれることを思うて、言語に絶する悲しみに沈むこともなく、かかる法律の下に戦争に征き得る人間を誰が想像したろうか。しかもなお好戦主義者は、われらがロシアと戦わねはならぬといい張る。……われらは好戦主義者が、彼等自身の謬見を悔悟するの時期を見るであろう。」
「第八面には、露領ポーランド人プロッホの近著『戦争論』のなかから、軍器の改良による近代戦争の惨害ますます拡大される事実を抄録する。
(略)」(荒畑「平民社時代」)
「小日本なる哉」
「平民社の非戦論は「真理、正義、人道のため」なること、「吾人は飽くまで戦争を否認す」との論説の冒頭に明らかである。だが、戦争を廃止する手段方法については、未だかつて明瞭な説明がおこなわれなかった。この点に関してやや明瞭な見解を述べたのは、第二面にのった「小日本なる哉」の一文である。
この記事は、人民の幸福のために一日も早く軍隊の廃止を希望し、速かに軍備を撤去して国境を無意味に帰せしめ、一方では教育、交通、娯楽などの機関は世界の共用となすとともに他方、「人民をして一地方ずつ団結して真の自治制を行なはしめんことを欲す」と主張する。そして、いわゆる其の自治制とは軍隊や警察の力、裁判官や監獄などを後援とせず「徳義を唯一の柱とせる政治をいふ」のである。
かりに軍隊の廃止はいいとしても、もし警察、裁判所、監獄などを廃したら社会の秩序は紊乱して何人も高枕安臥し得ざるに至るであろうと、危倶する者があるかも知れない。しかし実際は法律、警察、裁判所、監獄の完備した社会で人命の必ずしも安全ならざるを見れば、「社会の秩序は実に警察、裁判所、監獄以外のあるものによって維持」されていることを信ぜざるを得ない。今や権力者の権力強大なるがために人間の道義心は地に堕ち、人は隣人の飢ゆるを見ても平然としている。だが、これらの権力が消滅して真の自治制が行なわれるに至り軍隊、警察、裁判所、監獄などが廃された後にこそ「初めて人間の真我現はれて、深く人の胸底に潜める相互補助の精神を発揮し、このとき人間初めて真に幸福なるべし」という。
この小論の結論とするところは、以上の理想を実現する順序としてまず、日本の国是を「小国を以て甘んずる」こととしなければならぬという。大国の民はいずれも不幸で、ことに大国たらんとして成り損ねたイタリア国民の不幸なるに反し、小国の人民はみな幸福なることスイス、デンマーク等の人民を見れば明らかである。「かく内にありては人民を幸福ならしめ、さてその後に他の小国と協議して平和を主張し、以て彼の憐れむべき大国の民を救ふにつとめ、吾人の理想が全く世界に実現さるるの日を来らしめんと欲す」と結んでいる。」
(荒畑「平民社時代」)
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